噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

2014年 09月 14日 ( 1 )

昨日は、ざまの落語会のことを書いたので一日遅れになったが、9月13日は、夏目家の猫の命日であった。

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夏目鏡子述『漱石の思い出』

 漱石の妻、夏目鏡子の聞書き『漱石の思い出』から。
 明治41年こと。

 九月十三日に猫が死にました。その次にも猫を飼いました。夏目といえばすぐさま猫と連想されるほど猫には縁があるように思われたものなので、訪ねておいでになる方が縁に遊んでいる猫を見られて、この猫は何代目ですなどとよくきかれたものです。この死んだ猫は有名な初代の猫ですが、こちらへ越してきてから妙に元気がなく、ことに死ぬ前などにはたべものをもどすやら、いったいにしまりがなくなっていて、子供の蒲団といわず、客用の座蒲団といわず、ずいぶん汚したものでしたが、いつの間にやら見えなくなったかと思ってるうちに物置きの古いへっついの上で固くなって」おりました。



 “こちらへ越して”とあるが、一年ほど前に、本郷区(現文京区)西片町十番地の家から、牛込区(現新宿区)早稲田南町七番地に最後の引越しをしていた。

 俥屋に頼んで蜜柑箱に入れて、それを書斎裏の桜の樹の下に埋めました。そうして小さい墓標に、夏目が「この下に稲妻起こる宵あらん」と句を題しました。九月十三日を命日といたしまして、毎年それからこの日はお祭りをいたします。
 その時夏目がご懇意の方々にあげた死亡通知のはがきがございます。
 「辱知猫久々病気の処、療養不相叶(あいかなわず)、昨夜いつの間にかうらの物置のヘッツイの上にて逝去致候。埋葬の儀は俥屋をたのみ箱詰にて裏の庭先にて執行仕候。但し主人『三四郎』執筆中につき、御会葬には及び不申(もうさず)候。 以上」 



 以前飼っていた二匹の犬が亡くなった時に、それぞれ喪中ハガキを友人に送った者としては、猫の死亡通知を知り、漱石になんとも言えない親しみを感じるのである。

 ちなみに「辱知」を辞書でひくと、こう書いてある。
 

《知をかたじけなくする意》知り合いであることを、へりくだっていう語。辱交。「—の間柄」


 知らなかった。

 昨年、門下生の小宮豊隆の遺族が、生まれ故郷に漱石の手紙や写真を寄贈したが、その中にこの手紙も入っていた。
スポニチの該当記事

漱石書簡、「三四郎」の故郷に 「猫の死亡通知」も

 夏目漱石の弟子で、小説「三四郎」のモデルとなったドイツ文学者小宮豊隆の遺族が、漱石から受け取った手紙や写真など計477点を小宮の出身地の福岡県みやこ町に寄贈した。「吾輩は猫である」の猫の死を伝える「死亡通知」など貴重な内容。みやこ町が10日、明らかにした。

 小宮は1905年に東京帝国大に入学。身元保証人になった漱石に弟子入りして交流を深め、小説の校正も手伝った。

 みやこ町によると、漱石の手紙は122点。「猫の死亡通知」は1908年9月14日付で、死んだ状況や埋葬の様子を伝え「主人(漱石)は三四郎執筆中で忙しいので、会葬には及びません」とユーモアあふれる。

 幼くして父親を失った小宮は、漱石を父親のように慕っていた。1906年12月22日付の手紙で漱石は「僕をお父さんにするのはいいが、大きな息子がいると思うと落ち着いて騒げない」とつづっている。

 ほかに漱石の漢文紀行「木屑録」や、千円札の肖像になった写真、同じく弟子だった物理学者寺田寅彦の手紙226点もある。いずれも東京都杉並区在住で三女の里子さんが「故郷で生かしてほしい」と寄贈した。

 町歴史民俗博物館の川本英紀学芸員は「小説からは見えない師弟関係が伝わってくる」と話している。同博物館で、手紙など約10点を14~26日に展示する。
[2013年5月10日 19:40]


 あぁ、命日は13日だが、死亡通知が14日付けなんだ。今日の記事で良かったのだ^^

 これが、その手紙。
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 画像が小さくてよく読めないが、ご勘弁を。
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by kogotokoubei | 2014-09-14 21:01 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)

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by 小言幸兵衛