噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

2014年 04月 29日 ( 1 )

昨日は定席寄席の木戸銭の値上げについて書いたが、あらためて江戸時代の寄席の様子や木戸銭について確認してみた。

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興津要著『落語-笑いの年輪』(講談社学術文庫)
 私の座右の書『古典落語』シリーズの著者興津要さんに『落語-笑いの年輪』という本がある。初版は昭和43(1968)年に角川から単行本、平成16(2004)年に講談社学術文庫で再版されたのだが、十年前の発行なのに重版されていないのが残念な本だ。

 「第四章 ひらけゆく寄席の世界」から引用。(太字は管理人)

 大坂でいう講釈場・席屋・席、江戸でいう寄場(よせば)・寄せ—天保(1830-43)になって寄席と称せられるようになったものが、はじめてできた寛政(1795前後)ごろは一定の演芸場はなくて、舟宿や茶屋のような広い家を借りて幾日か興行し、出演者も三、四人どまりだった。それがしだいに大衆に歓迎され、文化元年(1804)ごろには、江戸に三十三軒ほどの定席ができ、文化十二年(1815)に七十五軒、文政八年(1825)に百三十軒になり出演者もふえるにつれて、前座・二つ目・三つ目・四つ目・中入り前・中入り後(くいつき)・膝がわり・真打の階級もでき、それが、前座・二つ目・中入り前・中入り後・膝がわり・真打となり、それがはるかのちの昭和になると、前座・二つ目・真打の三階級に簡略化されるのだが、とにかく隆盛の一途をたどった寄席演芸にとって、天宝の改革はまことに大きな障害だった。しかし、水野忠邦罷免後の弘化元年(1844)に制限が撤廃されると六十六軒に回復し、安政(1854-59)年間三百九十二軒になり、明治(1868-1911)期には八十軒前後になったが、だいたい一町に一個所はあり、収容人員も百人ぐらいで、木戸銭もふつうは三十六文ぐらい(安政に四十八文にあがる)で、下足札が四文、中入りに十五、六文のくじを前座が売りにくるぐらいで値段のはらない寄席は、まさに大衆娯楽の殿堂であり、多くの優秀な芸人もうまれていた。


 中入りのくじの話は、『今戸の狐』を思い出す。

 さて、この木戸銭三十六文~四十八文が、現在の貨幣価値でいくらぐらいか、というと。

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中込重明著「落語で読み解く『お江戸』の事情」

 若くして亡くなったことが惜しまれる中込重明さんの本の「時そば」の章から引用。

 十六文の価値を知るために、江戸の庶民の収入をのぞいてみよう。文政年間(1818-1829)に当時の庶民の暮らしについて記した『文政年間漫録』という本を見ると、当時の大工の年間の家計がどうなっていたのかおほよそ判断できる。これをもとに月々の収入を割り出してみると、およそ次の通りになる。
 まず収入だが、一日の手間賃は飯料込みで銀五匁四分、仮に一月に二十五日働いたとすると、135匁(銭に換算すると約9000文)になる。一方支出は、まず居住費の店賃(家賃)が、10匁。食費は夫婦に子供が一人として約30匁(約2000文)、酒、味噌、醤油、薪炭代金が約58匁、道具・家具代、衣装代、交際費がそれぞれだいたい10匁ずつで、しめて128匁の支出となる。収入から支出を差し引くと、ほとんど残らなかった。付け加えておくと、大工は当時の職人の中で手間賃が高い職種である。
 以上をふまえて計算すると、この一家の食費では月に125杯のそばが食べられる勘定だ。十六文は、月収の約562の一。現代のお金に置き換えるとするなら、仮に月収を30万円とした場合、562分の一は約533円となる。なるほど、そんなものだったのかもしれない。この通り、そば一杯十六文というのはそれほど高い値段ではなく、その日暮らしの職人や小商いの者たちでも、手が出せる範囲内だった。
 この計算でいくと、一文は約33円、最初に登場した職人風の男は、たったこれだけの金額をごまかすために、あれだけのい口上を述べたことになる。


 中込さんの本は、当時の大工の生活について貴重な情報を紹介してくれる。

 江戸時代の金-銀-銭の価値は、次のような構造になっている。

 金一両=銀六十匁(もんめ)=銭四貫

 銀五十匁で金一両の時期もあったようだが、六十匁で計算する。中込さんは、大工の月の稼ぎ135匁を9,000文としているが、135÷60x4,000で算出される数字だ。
 
 中込さんは、大工の月の稼ぎ銀135匁、銭9,000文を30万円に想定している。一両が4000文なので、一両は、300,000÷9,000x4,000で、133,333円になる。以前の記事で一両を60,000円で計算したことはあるが、物価が上がっていた時期の一両は120,000~130,000に設定すべきだろう。

 端数が出ないように、一両を120,000円としよう。一文は30円になるので、蕎麦の十六文が480円。現在の立食い蕎麦屋さんの天玉蕎麦(好きなのだ^^)の値段に近付いたように思う。

 寄席の木戸銭は、安政以前の三十六文で1,080円、安政以降の四十八文で1,440円。それぞれに下足札四文、中入りに引くくじ代十六文の計二十文分の600円を足すことにして、安政以前1,680円、安政以降2,040円になる。
 安政時代の約2,000円というのは、結構納得できる価ではないだろうか。大工さんが月給約30万で、この木戸銭なら月に何度か寄席に行けるだろう。

 江戸時代の芝居小屋の木戸銭は時期や小屋によって違っているが、次のような数字が残っている。マイナビニュースの該当記事
 この記事では一両を80,000円、一文を20円として計算しているが、私は一両120,000円、一文30円で換算してみる。

 立ち見      16文 →     480円
 土間席(下席) 100文 →   3,000円
 土間席(上席) 132文 →   3,960円
 桟敷席      25匁 → 約50,000円

 立ち見があるから、『四段目』の丁稚定吉は芝居を見ることができたのだ。とても土間の席で見るわけにはいかなかった。『なめる』で八公が芝居小屋で会った桟敷にいたお嬢様がお金持ちなのは、この木戸銭を見ても分かる。

 時代も環境も違うので単純比較はできないが、東京の定席寄席の木戸銭の価値は、江戸時代の庶民のハレの日の楽しみである芝居の土間席(下席)の木戸銭にほぼ等しいと言えるだろう。ホール落語会の木戸銭は、同じ芝居の土間席でも上席。最近は5,000円、6,000円の木戸銭をとる落語会もある。そのうち万の大台に乗る落語会が登場するかもしれないなぁ。歌舞伎にどんどん近付いている。

 結構今回の値上げは、寄席の経営にとってマイナスに働く気がするなぁ。私は、安政時代の木戸銭に下足札と中入りのくじの合計約2,000円が希望だが、高くても約2,500円が寄席の上限のような感覚だ。
 
 今年行く寄席は回数が減るかもしれない。行く場合は、末広亭の友の会、同じく夜の割引料金、そして池袋が中心になるだろう。鈴本や浅草にも行くかもしれないが、どの寄席に行くにしても、見る目、聴く耳は従来以上に厳しくなるだろう。

 あらためて書くが、私は寄席が好きだ。できる限りは、行きたい。

 興津要さんの本から引用した最後の部分に、“値段のはらない寄席は、まさに大衆娯楽の殿堂であり、多くの優秀な芸人もうまれていた”とあるように、活気のある空間であればこそ、噺家も育つのだと思う。

 この度の木戸銭の値上げ、小屋側も協会も、ぜひ客が「安い」と思わせる興行をして欲しいと願う。
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by kogotokoubei | 2014-04-29 10:15 | 木戸銭 | Comments(2)

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by 小言幸兵衛