噺の話

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2013年 11月 25日 ( 1 )

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 今ほど、昨夜24日にBS朝日で放送された「君は桂枝雀を知っているか!?」の録画を観た。

 上の画像は、BS朝日サイトの番組紹介ページからお借りした。同ページから文章も引用したい。
「BS朝日」サイトの該当ページ

その破天荒な芸風からは想像もつかない計算された笑いの理論、そして心の葛藤…。今、改めて桂枝雀とは何だったのか、その人間に迫るドキュメンタリー。枝雀が自ら死を選んでから14年が過ぎた今年は「枝雀」を襲名して40年に当たる年でもある。不世出の落語家が、真摯(しんし)に落語を追い求めた姿とは…。
語り:宮崎美子

「上方落語の爆笑王」といわれた桂枝雀が、1999年4月に亡くなって早や14年。今では、枝雀の高座をナマで見た人も少なくなったが、その存在は忘れ去られていくどころか、逆に大きな注目を集めている。大きな要因の1つは、若者に人気の芸人たちがこぞって枝雀へのリスペクトを表明していること。その代表が松本人志、千原ジュニア。彼らの発言によって、これまで落語の評論家やファンの間で高い評価を得てきた枝雀の偉大さが再認識されている。芸人の山崎邦正(月亭方正)は、枝雀没後に枝雀落語に傾倒し、落語の道へ進み始めた。さらに、佐渡裕(指揮者)、段田安則(俳優)、養老孟司(解剖学者)、長沖渉(演出家)ら、さまざまな分野で影響力を持つ著名人たちが枝雀を評価している。最近でも次々と「落語全集」のDVDが出版されていることは、枝雀の人気がいまだに衰えていないことを証明しているだろう。


 民放としては、多くの関係者の証言や映像を中心に、なかなか気合の入った二時間番組だった。もう少し、サイトから引用。

大阪・朝日放送に保存されている「枝雀寄席」などの貴重な資料映像を活用しながら、枝雀の落語を具体的に分析する。また、桂枝雀の2人のご子息をはじめ、兄弟弟子や弟子、枝雀ファンの各界の著名人など、多くの方の証言から枝雀の人物像を構築していく。

コメントをいただいた方々
・前田一知(長男)、前田一史(二男)
・小佐田定雄(落語作家)、佐渡裕(指揮者)、養老孟司(解剖学者)、 段田安則(俳優)、長沖渉(演出家・脚本家)
・桂ざこば、桂南光、桂雀三郎、桂文之助、桂九雀(桂米朝一門)
・桂福團治、月亭方正

特に2人のご子息からは、“素顔の桂枝雀”について貴重なお話を聞かせていただく。長沖さんからは、病気で苦しむ枝雀との隠れたエピソードを語ってもらった。



 枝雀に関するテレビ番組と言えば、没後十年の2009年放送の二つのNHKの番組を思い出す。春に総合テレビやBSでも放送された「あの人に会いたい」と、秋にBSでの「桂枝雀の世界」(なんと五時間)で、見た感想をブログにも書いた。
2009年4月11日のブログ
2009年9月26日のブログ

 この番組は、タイトルを考えると若者を意識したのかもしれない。たしかに前半は若者に人気があるらしいお笑い芸人が登場する。彼らが枝雀を高く評価していると言うことに関しては、若い人が枝雀を知るきっかけになるのなら良いことだろう。彼等にそれ以上に付け加えるコメントはない。

 私が前半で楽しく見ていたのは、『雨乞い源兵衛』のマクラの映像。あの枝雀独特の天気(地球)の長い歴史に比べて圧倒的に短い歴史しかない人間の天気予報が当らないのは当り前、というマクラが楽しい。このマクラの原型とでも言うべきものは、1973年、枝雀襲名直後の10月15日に大阪朝日生命ホールで収録された『日和ちがい』のマクラである。「桂枝雀と申します。旧名を小米と申します。今後ともよろしくお付き合いのほどをお願い申し上げます」とあいさつする若々しい声が、耳に残っている。アメーバから魚類、両生類から爬虫類を経て鳥類、そして哺乳類に進化する様子を枝雀ならでは芸で楽しく紹介してくれる。二本足歩行が可能なのは呼吸をするからだ、という珍説も可笑しい。

『代書』における松本留五郎の履歴書の言い方の変遷も、映像で続けて見ると楽しい。
80年6月:ジレキショ
84年7月:ギレキショ
88年3月:リレキシオ
92年1月:ギレレレ・・・キショ

 常にネタを、その時の自分の基準で磨き続けた、ということなのだろう。

 小佐田定雄が指摘する通り、同じ内容を繰り返すのではなく、もっとおもしろくするにはどうしたらいいかを考え続けた人なのだろう。

 中盤でうれしいのは、若かりし日の師匠米朝との対話場面だ。その対話や弟子の南光、雀松、そして弟弟子ざこばなどの証言で、食べ物の過度な凝り性が紹介された。一年通してフグを食べたり、ホルモン焼きを食べたり、という極端な懲り方は、枝雀のどんな哲学に基づいているのだろうか。

 後半で印象深いのは、番組紹介ページでも書かれているように、長男の一知、次男の一史へのインタビューである。二人ともミュージシャンとして、父のDNAを継承しているらしいし、一知は時折高座にあがって、玄人筋の評価も高いようだ。

 長男一知は、飲み屋に迎えに行って、酔った父の代わりに、子供の一知がタクシーの運転手に料金を払って「領収書いただけますか」と言い、家に連れ帰る役だった、とのこと。

 一知が1972年3月生れ、一史が1977年の3月生まれ。父が旅立ったのが、それぞれ27歳と22歳。その当座には、語れなかった思い出を、今では冷静に振り返ることができるのだろう。ファミコンに一番はまったのが父だった、という話も微笑ましい。

 一知「子供みたいなお父さんでした」
 一史「どんなことでもみくびらなかった」

 彼らには、何事にも一所懸命な父の姿が、しっかり記憶されているようだ。

 サゲの分類は有名だが、小佐田定雄が語る、“スライド”や“知らず困り”などの「笑いの十三分類」や、「落語の快感構造」は、初めて知った。小佐田さんには、枝雀関連本の次回作としてぜひ書いてもらいたいものだ。

 指揮者の佐渡裕の枝雀ファンぶりも有名で、海外に出向く際はたっぷり枝雀のCDを持って行くことは、枝雀のCDのライナーノーツにも佐渡が書いている。

 また、1996年10月から1997年4月にかけて放送されたNHKの朝ドラ「ふたりっこ」の収録での逸話を、当時のディレクター長沖渉が回想した場面も、印象的だった。
 
 永世名人として将棋界に君臨する米原公紀役だったのだが、挑戦者である内野聖陽が扮する森山史郎に敗れる場面を撮影する際の話。
 長沖の元に電話が入る。「まったく科白が入りません・・・」と、鬱状態の枝雀から泣きが入った。長沖は、「一行づつでいいですから」と説き伏せて収録を行った。その放送を見た本人からの直筆の手紙も紹介された。
 最後の収録も放送された(NHKはよく貸してあげたねぇ)が、何とも悲壮感のある表情である。亡くなる二年前のことだが、相当きつかったのだろうなぁ。

 全体の中で、もっとも印象に残ったのが次男の一史の言葉。

 「なぜお父さんは心の病になったと思うか?」という問いかけに、しばらく考えてから発した言葉。

 「僕の解釈ですと・・・一般的には噺家として突き詰めすぎたと言われていますけど・・・僕は巷間で言われているようなことではないのではないかと思うんです・・・癌になった人に、なぜ癌になったかとか聞かないでしょう・・・かなりシンプルに、病気になったんだと思います」

 まったく、その通りだと思う。芸を追求するあまり、などという説明は後からいろいろと語られるが、あくまで病にかかった、としか言えないのだと思う。その原因をあれこれ考えても致し方のないことであろう。
 彼も、これまで数え切れないくらいの「なぜ?」と問いかけた結果、“シンプル”に考えることができるようになったのではなかろうか。

 私のような枝雀ファンも、そんな思いで、ようやく映像を楽しく見ることができるようになったような気がする。

 提供が製薬会社だったことだけは、少し引っかかるが・・・・・・。

 芸術祭参加らしい。受賞してもしなくても、見逃した落語愛好家の方のために再放送を希望する好企画だった。
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by kogotokoubei | 2013-11-25 20:32 | テレビの落語 | Comments(8)

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by 小言幸兵衛