噺の話

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2012年 06月 12日 ( 1 )


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松本尚久編『落語を聴かなくても人生は生きられる』(ちくま文庫)

 著者は放送作家で、落語に関する著書もある、いわゆる落語評論家。

 タイトルは、“反語”と思えばいいのだろう。集められた文章の書き手は、落語大好きの人ばかり。落語がなくても生きてはいけるだろが、味気ない人生になるのは間違いがない。

 落語-放送作家、という関係では、先輩に落語立川流Bコース真打だった二人を思い出す。亡くなった景山民夫(立川八王子)、そして4月に緊急入院し療養中の高田文夫(立川藤志楼)だ。

 著者松本尚久も立川流、正確には談志との縁が深い。2001年から2002年にかけて文化放送の『立川談志最後のラジオ』を担当していた。
 この人は1971年生まれらしいから、まだ41歳。これまでに、本人単独での落語関係書として、『芸と噺と—落語を考えるヒント』(2010年5月、扶桑社)、『 落語の聴き方 楽しみ方』 (2010年12月、ちくまプリマー新書)という二冊の著作がある。ラジオや雑誌のコラムなどでの露出も少なくないようで、本人の年齢に近いか、より若い世代の落語ファンに受け入れられている人なのだと察する。

本書の目次は次の通り。途中途中に著者による次の章の序章的な文章が入る。
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まえがき

志ん朝さんの死 小林信彦
志ん朝「最後」の十日間 長井好弘

私の落語今昔譚 都筑道夫
悋気の火の玉 池内紀
人と人の出会う間 戸井田道三

桂枝雀 三國一郎
立川談志 三國一郎
立川流オールスター一門会パンフレット 田村隆一
噺家は世上のアラで飯を喰い 景山民夫
明石家さんま 小倉千加子
落語を聴かない者は日本文化を語るな 小谷野敦

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金馬・正蔵はなぜセコと言われたか 日比野啓
上方落語・桂枝雀 森卓也
ある落語家—立川談志 松本尚久

寄席 久保田万太郎

あとがき
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 若いながら、このアンソロジーにおいて選ばれた文章は、熟年(?)落語ファンも「おっ!」と思わせるセンスの良さを感じた。
 冒頭の志ん朝に関する二編は既読。しかし、志ん朝から始めることには異論なし^^
 
 そして、他に滅多に目にしない数多くの掘り出し物が並んでいた。

順番として、「まえがき」から少しだけ紹介。

 ここにひもとかれるアンソロジーには、ぼくを含めて、落語に関する専門家や職業的な書き手—いわゆる落語評論家—が登場しない。ここに並んだ彼ら彼女らは、落語を外部から視ている人たちだ。モチーフとして他者として視ること。その(距離)を足がかりにして、なんらかの見取り図が示されていること。
 このアンソロジーを編むにあたって、みずからに設けた選択方針は、この一点に尽きる。そして、さまざまな<他者の視線>を通じて、落語の現在を読み解くことが、本書の目的である。



 やや“固い”表現で執筆意図が説明されているが、この本を読むにあたっては、何ら力むことも構える必要もないと思う。いろんな「外部」の落語愛好家が、それぞれの視線、そして生活基盤に立って落語に関して書かれたものが集められており、一部には落語以外の分野の評論家さんの若干難解な文章もあるが、大半は新たな発見も伴い楽しく読むことができた。
 
 たとえば、推理作家で、テレビ番組「キイハンター」(懐かしい!)の原案を考えた人でもある都筑道夫さんの「私の落語今昔譚」は、晶文社から1974年に発行された『目と耳と舌の冒険』が原本だが、なかなかいいのだ。
 
まずマクラは次のように始まる。
 昭和十年代の小学生のころに、はじめてつれていかれた寄席は、神田の花月だった。専修大学前の電車通りを、神保町の交叉点のほうへひとつ目か、ふたつ目の露地を右に入って、いまの北沢書店新刊洋書部の裏あたりだろう。鈴蘭通りへ出ないうちに、また細い露地を左へ入ったところにあった。

 都築さんが語る寄席と落語への思い出は、昭和の初めの東京の街並を辿る楽しさがある。そして、ある特定の落語家への思いの変遷が、次のように語られる。
 最初のうち、私は志ん生よりも、文楽のほうを尊敬していた。ところが、志ん生が弟子のひとりにいった言葉を聞いてから、落語という芸に対する考えが変って、私のなかでのふたりの席順もひっくり返った。ことに戦後の志ん生の円熟ぶりに、弟子の言葉の真意がだんだんわかってくるような気がして、尊敬はますます深まった。その言葉というのは、羊羹とカステラの食いかたのちがいや、うどんと蕎麦をつまみあげる扇子のつかいかたの違いを、身につけようと努力している弟子にむかって、志ん生がいったことで、
「並河のは、ありゃあ、お前、物真似がいくらうまくても、落語にゃあならない。帯をしめるところなら、こうすりゃいいんだ」
 と、両手で水平に、ぐるりと輪をえがいてから、その両手をぽんと叩いてみせたというのだ。並河は文楽の本名だが、この志ん生の言葉は、それに対する敵意ではないだろう。描写だけでは落語は出来ない、落語でいちばん大切なのは、しゃべる話そのものだ、計算づくの落語には限界がある、という信念をいったもににちがいない。

 この逸話について、都築さんは後からそのネタ元を披露する。それは、落語家の兄だったのだ。都築さんは四人兄弟の三番目。二番目の兄が落語家だった。

大正十五年生まれで、たしか昭和十八年に、深川の都立化学工業学校の電気化学科を卒業するとすぐ、志ん生の弟子になった。古今亭志ん治という名前をもらって、前座の修業をはじめて一年目ぐらいに、先に書いたことを師匠にいわれて、「目がひらいたような気がする」と、感動の面もちで、私にも聞かしたのだった。

 
 この志ん治は、師匠が満州で消息不明になったため、正岡容の口ききで古今亭今輔の門に移って、桃源亭花輔となる。
 兄は今輔門下に移ってから、新作落語に転向した。ギャグをつくる才能は豊富で、「桃太郎」に入れた、
「おじいさんの名前、ないの。お米と取っかえちゃったんだ」
 というのや、
「ぼくんちへ遊びにおいでよ」
「やだよ。狭いから」
「ひろくなりましたよォ。おとうさん、きのう箪笥、売っちゃったから」
 というまくらなぞ、戦後の貧しい時代には、するどく響いたものだ、ほかの落語家たちが、たちまち登用したくらいだから、身びいきとばかりはいえないだろう。自作自演の新作がみとめられだして、やがて真打に昇進し、鶯春亭梅橋を名のった。

 現役の落語家も、このギャグを使っているのを聞いたことがある。「綴方教室」や「彼女の弟」、「幽霊タクシー」などの新作を残した梅橋は、肺肉腫で昭和三十年十月二十七日に、二十九歳の若さで亡くなったらしい。

 本書で、都筑さんの昭和初期の街並み描写とともに語られる当時の寄席や落語界のことに加え、鶯春亭梅橋という噺家を知ることができた。原本である晶文社の本は、この出版社ならではの日本や海外の文芸、芸術、いわゆるサブカルチャーを伝える貴重な本が多いのだが、決して安くないので、買いたくても買わなかったものが多い。こういうアンソロジーで紹介してくれるのは、単行本を古書店で探すためのガイダンスとしてもありがたい。

 先日、著書『21世紀の落語入門』を紹介した小谷野敦の「落語を聴かない者は日本文化を語るな」の初出は、「文學界」2005年9月号。これを読んで、実は七年前に、文春新書から小谷野は落語入門書執筆の依頼を受けていたが、なかなか書くことができなかった、ということが判明。内容は『21世紀の落語入門』と重複するものもあるが、タイトルに沿った主張の切れ味はなかなか結構。この人の臆さない物言いは、賛同する読者には心地良いが、見解を異にする人からは、結構恨みを買うだろうなぁ。紹介した本も、明らかな誤りなどが結構あって、校正が不十分なのは間違いないが、この人は、「後で直せばいい」という感覚なのだと思う。だから、合う人と合わない人の落差は大きいだろう。私は、細かな誤りよりはそれほど気にならず、その主張内容や感性において、結構合うほうだ。だから、読みながら「その通り!」と思う部分が多いので、この人の他の本も読もうかと思っている。これって、社会心理学用語で言うと、「フェスティンガーの認知的不協和理論」で説明できるんだろう(偉そうに!)。人は自分の不協和を低減させるべく行動する、って奴だ^^

 そういった、私の“好み”という観点で言うなら、桂枝雀に関する内容もうれしい限り。三國一郎さんの短文の味わいも結構だし、小米時代から枝雀を聴いてきた森卓也さんの文章も読みごたえがある。

 そして、本書でのうれしい発見のもう一つが、落語ブログ仲間(と勝手に親近感を抱いている)「時間」さんの、昨年大震災直後のブログが掲載されていること。あの時、私もブログ「時間の空間」に綴られた震災後の行動の記録を、眼を皿のようにして読ませてもらったことを思い出す。あらためて本書で読み返しても、あの震災後に、何とも冷静に行動し、かつ丹念に貴重な記録を残されたことは尊敬に値する。「時間」さんは落語への鑑識眼も鋭く、私のように冗長な文章ではなく、簡潔にして的確なその内容にはいつも感心している。同じブロガーとして、本書に掲載されたことで、勝手ながら誇らしい気分にさせてくれた。


 昭和初期の落語体験記があるかと思えば、他の芸術評論分野からの落語評論への試みがあり、そして自分の好きな落語家への熱い思いの吐露があるかと思うと、評価の低い贔屓の落語家への応援歌もある。そして、ブログにツイッターという今日ならではの表現スタイルで語られる、生活の中の落語。

 「まえがき」で紹介した、著者が思い描いた目論見は結構成功していると思うし、私にとっては“発見”と“賛同”の豊富なアンソロジーだった。この人、若いのになかなか結構な了見をしているようだ。幅広い落語愛好家の方が楽しめる本として、推奨します。
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by kogotokoubei | 2012-06-12 23:31 | 落語の本 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛