噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

2011年 09月 22日 ( 1 )

 昨夜は、台風による電車運休の影響で帰宅が遅くなり、ややくたびれたこともあって志ん生の命日で何か書こうと思っていたが、結果として書くことができなかった。志ん生のことは命日に限らず書く機会があるだろうから次の機会としよう。日が変わって9月22日の今日は、七代目笑福亭松鶴(笑福亭松葉)の命日。この人は、こういう特定の日でなければ取り上げるきっかけがなさそうなので書きたいと思う。昭和27(1952)年2月19日大阪生まれ、平成8(1996)年の9月22日に右頚部鰓性ガンで亡くなった。実は、その日は、当初七代目襲名披露を行なう予定の日であった。
 それにしても今月は、なぜか噺家さんの命日が多いなぁ。六代目も9月、その後に馬生、三平といった50歳半ばで亡くなった人が続く。そして、もっとも若くして亡くなったのが、実はこの人、笑福亭松葉である。44歳での、あまりにも悼まれる死だった。
 
 日本伝統文化振興財団(ビクター落語)からCDがリリースされている。その中の一枚には『馬の田楽』『遊山船』『隣の桜(鼻ねじ)』の三席が収録されている。
e0337777_11075014.jpg
 ビクター落語サイトの該当CDのページ
 ジャケットの中の、音楽で言うところの“ライナーノーツ”に六代目門下で弟弟子だった鶴瓶が次のような文を寄せている。松葉への七代目追贈の経緯などが、結構詳しく書かれているので、引用したい。

松葉兄貴のこと
 昭和47年2月24日、六代目笑福亭松鶴のところに入門した。入門した時、兄弟子が10人、花丸、枝鶴、仁鶴、鶴光、福笑、鶴三(現松喬)、松枝、呂鶴、松葉(七代目松鶴)、手遊、鶴瓶であった。
 手遊は中学生で日曜日しか家に来ない。たえず家には松葉と鶴瓶が一緒にいた。師匠は選べるが兄弟子は選べない。兄弟子ではあるが同い歳の松葉とは本来微妙な関係だろうが、僕らは本当に馬が合った。実際僕自身歳の近い兄がいないせいか、本当の兄貴のように思えていった。松葉も僕を弟のように可愛がってくれた。同じ師を選び、同じ釜のめしを食った者だけがわかる兄弟なのかもしれない。
 (中略)
 六代目松鶴が永眠して七年、兄弟弟子全員が松鶴の名前がこの世から消えることを淋しく思い始めていた。平成5年12月28日、筆頭弟子の仁鶴から七代目松鶴に松葉が指名された。忘年会の席に遅れていったのですぐに把握できなかったが、七代目松鶴誕生が本当に嬉しかった。
 平成6年3月8日、七代目松鶴襲名が正式に決定し、その年8月、松葉はガンであることがわかり除去手術を受けた。それから2年、襲名を待たずに松葉はこの世を去った。
 その平成8年11月17日、笑福亭一門会で七代目松鶴を追贈された。それから兄弟弟子達それぞれの形で七代目松鶴を偲んだ。
 僕はそのすべてに参加しなかった。僕は僕だけの形で兄貴を偲びたかった。僕は日本全国の人達に七代目笑福亭松鶴の落語を聴いて欲しかった。
 「兄貴!やっと大きい舞台で
  七代目笑福亭松鶴としての
  独演会が出来たでぇ おめでとう」



 本来は筆頭弟子である仁鶴が七代目を襲名を松竹芸能から奨められていたが、自分が吉本所属であることや、仁鶴の名前へのこだわりなどで襲名を断ったと言われる。一門総意で若いながらも七代目襲名の指名を受けた松葉は、その実力や人柄、独演会での地道な努力などが評価されていたようだ。 

 このCDの三席の収録日は次のようになっている。
 『馬の田楽』
  平成7(1995)年5月10日、NHK「上方落語の会」第179回、大阪厚生年金会館中ホール
 『遊山船』
  平成6(1994)年7月6日、NHK「上方落語の会」第175回、大阪厚生年金会館中ホール
 『隣の桜(鼻ねじ)』
  平成5(1993)年5月21日、NHK「上方落語の会」第165回、大阪厚生年金会館中ホール

 亡くなる前年、二年前、そして三年前の収録である。特に『馬の田楽』のマクラでは、ガンという名を使わず「鰓性嚢胞(さいせいのうほう)」という病名で、一年前の手術のことを自虐的に語っているが、笑いながらも少し切なくなる。本編は上方ならではの、大阪の子ども達の会話が光る秀逸さである。
 二席目の『遊山船』の喜六と清八のやりとりの楽しさ、テレビで見たこともある三席目『隣の桜(鼻ねじ)』の三席とも、「この人が健在だったなら・・・・・・」との思いを強く感じさせる上方本寸法の出来。

 まだお聞きでない方には、鶴瓶いわく、七代目松鶴の“独演会”を、ぜひ推奨したい。
[PR]
by kogotokoubei | 2011-09-22 11:38 | 今日は何の日 | Comments(8)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛