噺の話

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2011年 07月 25日 ( 1 )

三枝の文枝襲名の件、次の記事を読んで、また小言を言いたくなったので書くことにする。スポーツ報知の該当記事

桂三枝、異例の二刀流プラン!「文枝」襲名後も「三枝」使う

 来年7月に「六代桂文枝」を襲名する落語家・桂三枝が、68歳の誕生日となる16日、都内で会見し、襲名後もタレントとして「桂三枝」の名を併用する意向を明かした。司会を務めるテレビ朝日系「新婚さんいらっしゃい!」(日曜・後0時55分)などのバラエティー番組には「桂三枝」として出演を続ける考え。今後、関係各所と協議を重ねるが、過去に同様の例はなく、実現すれば異例の“二刀流”となる。

 上方落語の大名跡「桂文枝」が復活しても「タレント・桂三枝」は生き続ける。一代で名前を大きくした三枝が、仰天の腹案を披露した。「(三枝の名を)誰かに継がせることは考えていない。テレビ局や(所属する)吉本興業と相談して、うまく残せていけたら」。高座名とタレント名を使い分けるという、前代未聞の計画だった。


 まったく理解できないし、賛成できない。こんな中途半端な襲名なら、やめて欲しい。

 関山和夫さんの『落語名人伝』から、初代桂文枝に関して引用する。関山和夫著『落語名人伝』(白水Uブックス)

 明治初年の大阪落語界で最高の名人といわれた初代桂文枝は、明治7年4月3日に没した。惜しいことだったが定命はやむをえない。この人が自分の得意とした落語『三十石』を百両で質入れしたという話は有名で、なかなか面白い。初代文枝は三代目文治の弟子で、上方落語の歴史の上では、桂派中興の祖と賛える人が多い。すぐれた人物は幾多の門弟を育成するもので、年とともに人格の方も深みを増すことがある。初代文枝の門下から多数のすぐれた噺家が出たために上方落語は黄金時代を迎えることができた。



 その初代文枝門下の弟子達は次のような顔ぶれ。

文枝門下の四天王は、初代文三(のちに二代目文枝となる)、初代文之助(のちに曾呂利新左衛門となる)、初代文団治、初代文都(のちの月亭文都)である。これらの人々がそれぞれ一家をなして、はじめて初代文枝が目ざした桂派全盛時代が現出したのである。


 その後、この弟子達によるいろんな葛藤もあることはあるが、ここではそれがテーマではない。あくまで、文枝という名跡のこと。
 
 中途半端に襲名する名前ではないし、どんな名跡だって、それは同じだろう。

 それほど三枝という名前にこだわるなら、文枝を継ぐべきではない。

 「テレビのバラエティは三枝、高座では文枝」などという、いい加減な気持ちで襲名するのなら、大名跡そのものへの冒涜であろう。今ならまだ間に合う、襲名はやめるべきだ。もし、創作落語について文枝を名乗りたくないのなら、本名かペンネームを使えばいいだろう。

 文枝を襲名するなら、高座もテレビ出演も日常生活も、すべて文枝なのである。その重さに耐える覚悟がないのなら、襲名などすべきではない。十年後にでもいい、かい枝が襲名することを望む。それでも、十分に大名跡は残るではないか。

 吉本と三枝の商売優先の襲名、まったく不愉快である。師匠だって「いらっしゃ~い!」とは言ってくれないだろう。
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by kogotokoubei | 2011-07-25 18:33 | 襲名 | Comments(6)

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by 小言幸兵衛