噺の話

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百年前は、東京落語界の“戦国時代”(4)ー暉峻康隆著『落語の年輪』などより。

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暉峻康隆著『落語の年輪-大正・昭和・資料篇』(河出文庫)

 主に暉峻康隆さんの『落語の年輪』に基づき、ほぼ百年前の東京落語界を振り返るシリーズの四回目。

 大正九年十一月、それまでの東京寄席演芸株式会社(会社)、落語睦会(睦会)、東西落語会の三派に加え、五厘の大与枝が再起をかけて睦会の分断を仕掛けて新睦会が発足。それを機に噺家の引き抜きや移籍が続き東京落語界は混迷していた、というところまでが前回。

 さて、そんな状況を、メディアはどう伝えていたのか、という部分から再開。

 咄が聞きたくば会社派へ、見物したくば東西派へ、にぎやかなのがよければ睦会へ、浪人不平党がよければ新睦会へ、というのが大正十年(1921)三月一日付の「都新聞」の評判である。ところがそれから半月後には、新睦会と円右の三遊派が“東西落語会”に合併したので、これでまた東京落語界は、会社派と睦会と三派合同の“東西落語会”の三派になったわけである。

 あらら、また三つになったんだ。
 と、思ったら。

 ところが、三派でしばらくおちついていた大正十年の東京落語界も、秋になるとまた一騒ぎが持ち上がった。それは神戸の吉原派が、鈴本一派の東西落語会から分立し、神田の入道館と浅草の江戸館などを根城として“扇風会”と称し、競争することになったからである。その扇風会は、明けて大正十一年の一月から、事務所を日本橋蠣殻町に設け、扇風会改め“東西落語演芸会”と称することになったので、東西落語会はたまりかねて、七月になると“東洋会”と改称している。

 まさに、離合集散。
 この後に、当時の落語界で中心となった人物として、品川の円蔵と言われた四代目橘家円蔵のことが書かれている。
 当時、東京落語界でもっとも勢力があったのは、この四代目円蔵であった。東京の三派へはもちろん、京都へも門人を出しているのはこの円蔵だけで、東西派へは円坊、文三、円幸、睦派へは円都、大阪へ蔵之助、花橘、京都へ一馬、桂州、蔵造、会社派へは御大自身の出馬だけに、円窓(のちの五代目三遊亭円生)を旗頭に、円好(六代目円生)、小円蔵の新進に、円兵衛の古参をしたがえていた。そのほか地方(どさ)回りや修業中の若い者を入れると同勢は約百人というのであるから、まさに円朝亡き後の最大の勢力といってよかろう。
 百人の一門・・・とは凄い。

 また、この時期に今につながる興行形態の変更があった。
 それは、睦会が、それまで月二回替り興行だったのを、上席一日、中席十一日、下席二十一日としたのである。

 三派が争う中で、大正十二年が、明けた。
 離合集散の動きは、その後、おさまっていたのだが。

 ところが、そのしばらくの平穏も、今度は落語界というコップの中の嵐ではなく、九月一日の関東大震災という天災地変によって、東京落語界は壊滅してしまった。
 まず市内の寄席では、会社派に属している神田の立花亭、両国の立花家、本郷の若竹亭、雷門の並木亭、京橋の金沢亭は焼失、わずかに駒込の山谷亭、四谷の若柳亭の二、三が残るのみとなった。
 睦会の席では、四谷の喜よし、駒込の動坂亭、青山の富岳座、同じく新富岳、牛込の神楽坂演芸場、小石川紅梅亭、渋谷演芸場などを残し、他は全部焼けてしまった。
 多くの落語家が焼け出された中で、運わるく本所被服廠跡に避難したために死亡したのは、坐り踊りの名手であった麗々亭柳橋、それに古今亭志ん橋、音曲師の三遊亭花遊、手品師の帰天斎小正一、柴笛の山田天心であった。この四人の合同追善法要は、翌月十九日、浅草観音堂で営まれた。
 また市内の寄席の看板およびビラを扱っていた専業者は、三光新道のビラ辰、神田三崎町のビラ万、それに廓橋の村田などであったが、三軒ともにこの大震災で類焼してしまったので、当分は江戸趣味の木版のビラは見られないことになってしまった。

 実は、上記の文を含め、大震災以降の東京落語界については、以前に落語協会の成り立ちとして記事にしている。
 同記事は、協会のホームページの改悪のことにも多く触れているが、冒頭にはこのシリーズ一回目で紹介した大正六年の出来事など紹介していた。
2015年4月11日のブログ

 重複する部分のあるが、大震災の後のこと。

 不幸中の幸いは、落語家の大部分が無事だったことで、九月十六日には早くも動き出し、落語睦会では当日から五日間、牛込の神楽坂演芸場と白山下の紅梅亭で、罹災者慰問のため、無料演芸会を催した。講談奨励会でも、震災後ただちに地方の災害地慰問委員として、貞丈や若狸(じゃくり)などを近県に派遣していたが、十月二十日には日比谷公園音楽堂で無料講演会を催し、これを第一回として諸方で催すことになった。
 被害に遭った落語家もいる。五代目麗々亭柳橋は火災のため焼死している。
 しかし、人数的には、名人たちの多くが健在だったことは、東京の落語界にとって救いだった。その名人たちの動向のこと。

 そうした動きの中で、かねて隠退を希望していた柳家小さんは震災を機に決意し、九月十七日に上野桜木町の家を引き払って蒲田の隠宅へ移った。だが時勢はそれをゆるさず、小さんの隠退はのびのびとなっている。また談洲楼燕枝も、門下の営業の道もついたので、十月二十六日に家族をつれて大阪へおもむき、北区の老松町に落ち着いたが、これまた早くも翌年四月には東京に舞いもどっている。いずれも東京落語再建の動きが、隠退をゆるされなかったのである。

 談洲楼燕枝は二代目。こ人、最初は初代快楽亭ブラックの一座で地方廻りをしていた。東京に戻って二代目代目禽語楼小さんに入門。三代目小さんは兄弟子にあたる。明治34(1901)年二月、初代燕枝の一周忌に柳亭燕枝を襲名し二年後に亭号を談洲楼と改めた。

 隠退を思いとどまった名人たちの思いは、その後実ることになる。
 あれだけ分裂を続けていた東京落語界は、震災という危機により団結する。
 大正十二年九月一日の関東大震災で、一時支離滅裂となった東京落語界であったが、翌十月には早くも大同団結に着手し、“落語協会”が誕生した。それは“落語睦会”と“会社派”の大部分が合同したもので、四代目柳枝こと華柳を顧問にいただき、左楽が頭取に就任し、馬生、三語楼などもすでに加入して、一日から睦会の席であった八席に出演し、成績は上々であった。旅に出ていた小勝、文治も加入のはずであり、また隠退したのを借り出されて大阪へ出演中の小さんも、別格の大看板として落語協会に迎えることになった。

 これで、ひとまずは、百年前に始まった東京落語界の“戦国時代”は終焉を迎える。

 とはいえ、翌大正十三年には、落語協会に参加しなかった四代目円橘や二代目金馬などによる“三遊睦会”や、いったん落語協会に吸収された東西落語会が協会を脱退し“柳三遊落語会”を発足し、再び三派体制になるのだが・・・・・・。

 大正六年に戦乱の火ぶたが切られた東京落語界の戦国時代については、これにてお開き。
 長々のお付き合い、誠にありがとうございます。
 
 あらためて思うのだが、“戦国時代”は、客にとっては、そう悪い状態でもなかったのではないか、ということだ。
 大正十一年三月一日の都新聞を再度ご紹介。

 “咄が聞きたくば会社派へ、見物したくば東西派へ、にぎやかなのがよければ睦会へ、浪人不平党がよければ新睦会へ”

 これだけの選択肢があったということだ。

 今の落語界、果たして、協会や会派などによる際立った特色、売り物、はあるのか。
 戦国とまではいかなくとも、やはり、ある程度の競争は、芸の世界でも必要なのではないかと思うなぁ。

 さて、芋づる式の拙ブログ、この後どんなネタになるものやら。

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Commented by ばいなりい at 2018-02-10 15:11 x
ひさしぶりにコメントさせていただきます。

以前に「NHK新人落語大賞」の予選がなぜか放送されない、とのご指摘がありましたが、先月刊行された「いちのすけのまくら」に解答らしき記事がありましたのでお知らせします。
同書『水増し p30~p32』によると、予選会場の観客はサクラのおばさん達とのこと。落語なんか知らないけれど無料招待なので義理に応えるべくとにかくよく笑う善人たち。お辞儀しただけでも笑う・・・ 後半戦は皆で気合いを入れ直して、さながらママさんコーラスの如く笑いの量が「水増し」されていく。一方、噺家は空回りし続ける者が続出。最後の出演者は間もメチャクチャ、セリフ嚙みまくり、汗だくで顔面蒼白。なのに会場は大爆笑、万雷の拍手。茫然自失で高座を下りる噺家。おばさんたちの完全勝利です。舞台袖で見ていて血の気が引くような恐怖を覚えました・・・ とは著者の言。

これでは公共の電波には乗せられませんわ(笑) 本選へ勝ち進むのは、この地獄をクリアしたつわもの達なのでしょうね。


Commented by kogotokoubei at 2018-02-11 15:42
>ばいなりいさんへ

お久しぶりです。
どなかたのコメントで、サクラのオバサンさん達が観客、ということはお知らせいただいていました。きっと、出場者の誰からのマクラなどでの情報なのでしょう。
一之輔、著作で詳しくバラしましたね^^
笑い地獄の客席に負けずに自分の高座を貫く強い精神力が必要なのか。
もう一つ問題は、、その高座を審査するのが誰か、ということなんですけどね。
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by kogotokoubei | 2018-02-10 11:36 | 江戸・東京落語界 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛