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『子別れ』の「下」-榎本滋民著『落語小劇場』や音源より。

 現在、『子別れ』と言えば、「下」に当たる「子は鎹」を指すと言える。

 寄席では、トリでもなければ、通しはできないし、「子は鎹」なら、それだけで一つの噺として通用するからね。

 筋書きは、ざっとこんな感じ。
(1)吉原の女郎が出て行った後、酒をやめ仕事に精進する熊五郎の元に、
   茶室を普請中のお店(たな)の番頭が訪ねてくる。
(2)番頭によれば、茶室は左官仕事の途中なのだが、主人がせっかちで木口を
   選んで来いと言われ、熊に木場まで付き合ってくれ、とのこと。
(3)お隣に留守をする旨を告げて、番頭と一緒に出かけた熊。
   道すがらの会話となり、番頭が熊に、最初の女房は、いい女性(ひと)だった、
   どうして別れた、などと言うが、熊は自分の非を認めるしかない。
   別れた女房に会いたいか聞かれた熊、女房より、倅の亀のことを思うと、
   つい泣けてくる、と話す。
(4)ちょうどその時、番頭が、亀に似た子が向うから歩いて来る、と熊に告げる。
   熊が「そんなことはない」と注視すると、本当に亀だった。
   番頭は、亀に会って話しておやり、と熊をおいて一人で木場へ向かう。
(5)三年ぶりの親子の対面。
   亀によると、女房は再婚せず、針仕事や洗い物の手伝いなどをして生計を
   立てているとのこと。
   時折、熊の話になり、「お父っつァんは悪い人じゃない、悪いのは、お酒だ」
   と言っていると聞く。
   熊は、女郎は追い出して、それからは酒もやめて仕事に精進している、と告げる。
   亀が近所のお金持ちの子にいじめられて額に疵をつくっていることから、熊の
   胸には、申し訳ない思いが募る。
   熊は小遣を渡し、鰻屋で明日の今頃また会って、うなぎを食べようと約束し、
   亀は喜んで帰る。
(6)亀が帰ると、ちょうど糸が届いたから、糸巻を手伝ってくれ、と母に言われ、
   熊からもらった五十銭を握りしめたままで腕を差し出した亀だが、ついその手
   の中から五十銭が転げ落ちた。
   そのお金はどうした、と聞く母親に、「知らないおじさんから、もらった」
   と熊と約束した科白を繰り返す亀。母は、亀が家を出る時に持ち出した熊の
   大工道具の玄能を持ち出し、「本当のことを言わないと、この玄能でぶつよ。
   これは、お父っつァがぶつのと同じだよ」と涙ながらに言うと、亀もつい、
   熊にもらったことを白状。
(7)翌日、鰻屋に行く亀を送り出した母親は、落ち着かず、自分も鰻屋へ。
   亀が、「お母っつァんもおいでよ」と二人を引き合わせる。亀に、また
   三人で暮らそうよとせがまれた熊、女房に頭を下げて、よりを戻してくれ、
   と頼み、女房も受諾。
   その女房が「子はかすがいって言うけど、本当だねぇ」の言葉に亀が、
   「鎹、あっ、それでお母っつァんが玄能でぶつって言ったんだ」で、サゲ。

『子別れ』の「下」-榎本滋民著『落語小劇場』や音源より。_e0337777_11123686.jpg


 聞かせどころは、やはり熊と亀の三年ぶりの対面シーンだろう。

 榎本滋民さんは、『落語小劇場』で、次のように書いている。

 熊五郎の最初に発した質問が、あとからできたお父っつァんはかわいがってくれるかということであるのは、いかにも人情ばなしらしい人間描写の妙味で、この男の昨今の心境が端的に表われているが、一笑に付される。
「子どもが先にできて親があとからできるなんてことがあるかい」
 昔の寄席はちゃんとした性教育の場だった。
 お住はこの先の荒物屋と豆腐屋のあいだを入った路地の奥で、賃縫いの針仕事をしながら亀吉を養っているという。なるほど、亀の絣の着物は洗いざらしながら見すぼらしくはない。
 しかも、近所の人の再縁のすすめには、亭主はあの飲んだくれでこりごりだと女やもめに花を咲かせず、亀吉に対しては、屋敷奉公をしていたころ出入り大工の熊五郎が半襟や前掛けを買ってくれた馴れそめを語って聞かせ、酒で魔がさしたけれどもほんとはいい人なのだといっているらしいのである。
「へへ、おっ母さん、だいぶお父っつァんに未練があらあ」 
 こまっちゃくれた口のききようのおかしさで親子対面のぎこちない緊張をほぐしてから、演者は子どもの額の傷の一件で急にしんみりとさせる。

 亀の年齢は、演者それぞれで違う。
 小三治の音源では、九歳。
 榎本さんも、八つか九つぐらいがいい、と書かれている。
 さん喬は、年齢を明確にしていないが、学校へ通う年になった、としている。
 ちなみに、大須の志ん朝の音源では、七つだ。
 
 さて、額の傷のことについて、引用を続ける。
 榎本さんの、この噺に関する、熱い思いの伝わる文章が最後に登場する。

 傷は独楽回しの勝負判定で対立した大家(たいけ)の坊ちゃんに独楽の芯でぶたれたもので、泣いて帰ったときは、いくら男親のない子だってこんなことされて黙っていられないとお住は大いに怒ったが、相手の名前をいったら急に勢いをなくして、あそこからはよくお仕事も坊ちゃんの古着もいただいているから、遊びのけんかぐらいで気まずくなっては親子二人路頭に迷うから、痛くても我慢しろとさとした。
 ぼくはこのくだりでいつもじいんとくる。親子ドラマのお涙頂戴は大きらいだが、貧乏の悲しさ、くやしさがこたえるのである。こうした体験によって、昔の貧乏人の子は世間のむごたらしい仕組みを覚え、それにつぶされずに生きる力を鍛えて行った。長編『子別れ』を名作たらしめている眼目はこの社会性にある。ここがなければ、ただの笑いと涙の封建道徳教科書に堕してしまうとまで、ぼくは極言したい。
 たしかに、分かっていても、この場面を芸達者な演者に語られると、私の涙腺もゆるくなるなぁ。
 榎本さんが説く、落語の社会性、という言葉は結構重要だと思う。
 その時代背景や、その社会に生きた庶民の生活を反映しているということ、そして、その人間の心情や営みの本質のところは時代を超えても変わらないものがあるからこそ、落語は長く生き残っているのであって、そうじゃなければ、とうに博物館入りだったことだろう。

 そして、この『子別れ』は、「上」では大いに笑わせ、「中」では女房に感情移入して怒らせ、「下」では聴く者を泣かせる、という見事な舞台転換が計られている。
 「下」には、もう一つ大きな、泣き、の場面がある。
 亀が帰宅してから、お父っつァんに貰った五十銭の小遣を、母親が盗んだものと勘違いしてからの場面だ。
 榎本さんの文章が、見事に母親のその時の心のあり様を言い表している。

 両の手首に糸束をかけさせて糸を巻きとっているうちに、拳に握りっぱなしの銭を見とがめて尋ねると、子どもは言を左右にする。お住は表をしめさせて引きすえ、
「なぜそんな情ない了見を出すんだ。おっ母さんは三度のものを一度しかたべなくったって、お前に不自由をさせたことがあるか」
 と涙声を出す。ここもあわれに悲しい。とうとう盗みまでするようになってしまったのかという憤激、女手一つでは所詮まっすぐに育てられないのかという絶望、誠実勤勉の生き方はこうももろく踏みにじられるほど無力なものでしかないのかという恐怖ー。お住のまだ十分に若い乳房は衝撃に鳥肌立った。
 噺家が、この場面を、母親になり切って演じることができるのかどうか、が聴く者に「あわれで悲し」くさせるか、あるいは、安直な泣かせの演技と映るのかの分かれ目だ。
 どうしても、五十銭くれた相手を白状しない亀に、熊が使っていた玄能(あるいは、金槌)を取り出してぶつ仕草をして、亀はついにこう叫ぶ。

 「盗んだんじゃねえやい。お父っつァんにもらったんだい」
 「お父っつァんに・・・・・・逢ったのかい?」
 息をつめて、
 「なんだい、お父っつァんてったら乗り出しゃァがって」
 この場面転換も、重要だ。
 泣かせどころばかりではない、というのも落語の味わい深いところ。
 
 翌日の鰻屋の場面は、まさか逢うとは思っていない元女房と再会し、熊が動揺して、つい、同じ科白を何度も繰り返す場面が可笑しい。

 人によっては、この再会場面にお店の番頭を登場させる。
 冒頭での熊と亀の再開から番頭が作ったシナリオ、という設定の場合もある。

 そのあたりは、それぞれの噺家さんの工夫として悪いことではなく、噺全体に無理がなければ、それで構わないと思う。
 ちなみに、さん喬は、サゲ直前の鰻屋に番頭を登場させる。
 好みではあるが、私は、熊と亀の再会は偶然であって、番頭の作為という設定はいかがなものか、と思う。

 また、小三治もそうしているが、熊と亀の再会場面に、近くで盗み聞きしている八百屋を登場させる場合がある。これも、噺の流のアクセントとして不自然でなければ、悪い演出とはいえないだろう。

 以前の記事で書いた通り、この噺は初代春風亭柳枝の作と伝えられ、三代目の柳橋(後の初代春錦亭柳桜)が現在に近い型に改作し、あの名人三代目小さんらに受け継がれた、柳派の十八番。
2009年4月18日のブログ
 
 しかし、あの円朝が柳派に対抗して、「下」を改作したことがある。
 榎本さんの本から。

 三遊亭円朝が柳派の向うを張って下の部分を改作した『女の子別れ』というのがあり、『円朝全集』にものっている。
 女房が一人で出て行き、以前のつてでお屋敷に奉公しているうちに子ども(金太)に道で出会う設定で、子どもは父親と同居していて父親に小づかいをとがめられるわけだから、金槌のおどしも自然だという一種の合理化なのだが、さすがの大円朝の才能をもってしても、これは初代柳枝以来の柳派演出には遠く及ばない。

 残念ながら、まだ三遊亭の『女の子別れ』は、聴いたことがない。

 榎本さんは、この噺について、次のように締めている。

 亭主は女郎を引っぱりこんだ上で後悔して立ちなおり、女房は頼り少ない母子家庭を支えながら一時の軽率を反省している。ここにこそ試行錯誤の連続の人生というもののいじらしさもあるのではないか。
  かくばかりいつわり多き世の中に
    子のかわいさはまことなりけり
 よく引用されるこの道歌がぼくは大きらいだし、親心なるものの完璧な純粋さなども信じていない。純粋と思いこんでいる人たちの実態に目をこらすと、子どもが自分のヴィジョンどおりにあるいはイメージから大きくはずれない程度に育ってくれることを前提に愛情を注いでいる、そうした身勝手な欺瞞が見えすく。決して無償の行為ではないので、期待が裏切られれば断絶だなどとうろたえるのである。
 だから、『子別れ』の題名に幻惑されて、この人情ばなしを“子ゆえの春”式に親心美談として語ってもらいたくないと思う。親子の愛情を無条件の絶対正義と認めて疑わないほど、古典落語のエスプリは薄手なものではないはずだし、そんな体制的な民衆教化に奉仕させられるくらいなら滅び去った方がいい。
 これは“夫婦別れ”。つまり男女という横の関係のドラマとしてとらえられるべきだろう。そこではじめて二人をつなぐかすがいの亀坊と夫婦双方との縦の関係もとらえなおさえ、長編が豊かな奥行きをもつのである。
 「そのもと儀、われら勝手につき」の理由だけで慰謝料なんか払わずに女房をたたき出すことのできた時代も、思えば遠くなったがー。
 なんとも、榎本さんらしい、表現ではないか。
 「試行錯誤の連続の人生」なんて言葉、胸に“どん”と突き当たる。
 また、「古典落語のエスプリは薄手なものではないはず」という表現や、「そんな体制的な民衆教化に奉仕させられるくらいなら滅び去った方がいい」という言葉に、落語というものに真摯に向き合ってきた人の深い洞察力を見る。

 榎本さんは、落語をこよなく愛しており、古典落語は上から授かるののではなく、あくまで庶民の側にあるからこそ、三百年の間生き続けてきた、ということをおっしゃりたいのだろう。


 さて、ついつい、この噺のことを書いていたら、やはり、次の自分の高座のことを考えないわけにはいかなくなった。

 とはいえ、素人がリレーで演じるのだから、聴く方の負担(?)を考えると、せいぜい通しでも25分位が上限だろう。

 まず覚えることが先で、次に、どこをどう割愛するかを考える必要がある。

 ある程度の輪郭が出来たところで、相棒のYさんと、前後半のどっちを担当するか、相談しなけりゃ。

 生で聴いた“通し”の一つは、練馬から座間まで遠征(?)してくれたYさんと一緒に聴いた、むかし家今松による2012年2月「ざま昼席落語会」の名高座。
2012年2月12日のブログ
 そして、珍しく日曜の昼開催で、テニスを途中で抜け出して駆けつけた、2016年11月関内ホール(小ホール)での柳家小満ん。
2016年11月28日のブログ

 それぞれ、その年のマイベスト十席に選んでいる。

 珍しかったのは、立川龍志が、志ん輔との二人会で、「上」と「中」を演じた高座。
2015年4月30日のブログ

 「下」を聴いたことのある落語愛好家は多かろうから、という思いでの選択だったと思うが、なかなか得難いものだった。所要時間は、43分。
 
 今松は、「中」を端折ってはいたものの、休みなしで一時間の長講。

 小満んは、「上」「中」「下」を、しっかり分けた三高座。
 ブログの記録では、それぞれが、33分、29分、30分とほぼ均等の配分だった。

 持っている音源では、小三治は、「上」42分8秒、「中」40分26秒、「下」38分53秒と、それぞれが・・・長い。

 権太楼・さん喬のリレーは、「上」「中」で38分40秒、「下」が41分15秒。

 志ん朝の大須は「中」を地で説明した通しで、57分38秒。基本的な構成も含め、今松は、ほぼ志ん朝に近い。
 
 できるものなら、「中」もなんとか少しでも盛り込んでみたいと思っている。
 小三治の「中」は、聴けば聴くほど、いいんだよねぇ。
 というか、全体に小三治の下北沢の高座は、素晴らしいのだ。

 思い出した。昨年11月に成瀬の東雲寺寄席で、さん喬が酔っぱらった熊の帰宅から始まる、短縮版の「中」から始まる「子は鎹」を演じた。しかし、やや違和感があったなぁ。
 家に帰る熊は、そんなに酔っていてはいけないと思う。逡巡もあって、小さくなって帰るところから始めなければ、熊のその時の姿には近づかないだろう。
 さん喬が、『子別れ』の題の元となる「中」の喧嘩別れから始めたかった気持ちは、よく分かる。しかし、彼のような芸達者でも、無理な短縮を行うと、本来の噺の骨格が崩れてしまうのである。

 『子は鎹』として独立した「下」は、そうなるだけの内容として多くの噺家が練りに練ってきた結果なのだろう。
 通しでこそ生きるのが「上」や「中」。「下」なしでは存在しにくいのだが、そういう意味で、龍志の試みは得難い。


 笑いの多い「上」の後に、あの暗い別れの場面があり、最後の「下」による出会いでほっとさせる、という優れた構成がこの噺の基本なのだなぁ、とあらためて思う。

 とはいえ、素人の、“なんちゃって落語”なのだ。
 各パートの肝腎な部分を中心に、他は地で説明し、なんとか25分から20分にできないかなぁ、なんてことを考えている。

 聴きたい、とか、期待する、とおっしゃる方は気楽かもしれませんがねぇ、そんな簡単なもんじゃないんですよ145.png

Commented by saheizi-inokori at 2018-01-17 10:16
いやどうして、こちらも荷が重くなってきやしたぜ。
Commented by kogotokoubei at 2018-01-17 11:17
>佐平次さんへ

よしよし、これだけ「難しい!」「大変!」と書いておけば、
少しくらいヘマしても、許してもらえるな^^
Commented by doremi730 at 2018-01-17 22:35
blogにUPなさるのも大変でしたでしょうが、
とても良く解かりました。ありがとうございました。
私は本当の落語で聴いていないので、記事を読んでいて
思い浮かぶのは、koubeiさんとYさんと小満んさん(^^;
話されているお顔や恰好や口調♪がリアルに、、、
安易に言ってスミマセン、、、楽しみです♪
Commented by kogotokoubei at 2018-01-18 10:03
>doremi730さんへ

今後、生の落語体験を重ねていたければ、間違っても私の落語など思い浮かべることはなくなるはずです^^
さて、どうやって構成を変えるか、これから自分でも楽しみではあります。
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by kogotokoubei | 2018-01-16 12:45 | 落語のネタ | Trackback | Comments(4)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛