江國滋さんが説く、「落語哲学」(2)ー『落語美学』より。
2017年 12月 09日
江國滋著『落語美学』
このシリーズの二回目は、「第四章 生活の知恵」から。
「おばあさん、なんか着るものを出してやんな、え?印半纏、うん、古いやつでいいよ(略)ああ結構、結構、じゃそいつを出しといてやんな。それから紐のついた財布を出して、それから、かぶり笠はあるかい?ああ、ふたッつある、浅いのと深いのと、そうだなァ、浅いほうがいいだろう、うん、笠の底に青ッ葉を二、三枚入れといてやんなよ。暑さにやられねえように・・・・・・」(『唐茄子屋』)
というのには、ちょっとしたおもむきがある。苦労人の伯父さんが、ぐうたら野郎の根性をたたき直そうとして、きついことばかりいいながら、時折り、言葉のはしにちらりと、甥に対するいたわりが顔を出す。その人情味もさることながら、暑気ふせぎに青ッ葉をという民間衛生をきくとつい「ふうん、そういうものかなァ」という気になってくる。たとえ科学的根拠はなくても「俺は青ッ葉を入れているから大丈夫だ」という自信によって、もし気力が出てくるとすれば、それはもはや「迷信」ではなくて一つの立派な「知恵」である。
『唐茄子屋』でこの「青ッ葉」を聞くまでは、そういう知恵があることを、私は知らなかった。
この後の江國さんの体験が興味深い。
昨年の夏、ぼくは日本橋のY病院に入院して痔の手術を受けた。生来弱虫の上に、堪え性がないので、あたりかまわず痛い痛いを連発して、病院中に勇名を馳せてしまったのだが、痛がるたびに院長は看護婦に命じて、惜し気もなくモルヒネなどの麻薬注射をしてくれた。痛み止めの散薬も普通の患者の三倍近くのませてくれた。薬石効あって、いよいよ数日後にはめでたく退院というある日、回診のあとで院長が笑いながらいった。
「キミが有難がってのんだ薬ね、あれの三分の二はただの重曹だよ」
ほんとですかというぼくの言葉をさえぎって院長はさらにいった。
「注射だって、ほんとの麻薬を打ったのは二、三本だよ。あとはみんな食塩注射さ。それでピタリと静かになるんだからキミも不思議だねえ、ハハハ」
“真相”を告げられて、無念、はかられしかという口惜しさは全然感じなかった。といって、ころりと暗示にかかるおのれの単純な神経をはずかしいとも思わなかった。院長は不思議だといったが、ぼくはちっとも不思議だとは思わない。患者の神経なんて、みんなあんなものではあるまいか。
近代医学でもこの通りである。「青ッ葉を二、三枚・・・・・・」という教えも、あながち軽蔑したものではない、と、これは自分の体験からいうのである。
う~ん、なるほどねぇ。
江國さんにとっての“青ッ葉”は、院長の見事な暗示だったわけだ。
病は気から、ということか。
この後には、こんな落語の中の一言が紹介されている。
「で、この品川あたりまではうちの者はもちろん、親類友達なんてえものが見送ってくれまして、『じゃァ、道中気をつけて・・・・・・水が変るぜ』」(『三人旅』)「水が変るぜ」という言葉の持つ深い味わいを、このように説く人は、そういないだろう。
これは青ッ葉に比べれば、ある程度科学的な根拠がある言葉かもしれない。例えば、都会の子供がいきなり田舎へ行って井戸水をのんでお腹をこわすというのは、いまでも充分あり得ることだ。だが、ここでは、そのこと自体よりも、「水が変るぜ」という些細な注意を別れぎわのきまり文句にした古人の知恵に感心する。どんな場合でも、別離の時というものはしめっぽくて、厭な感じのするものである。もっともっと話しておきたいことがありそうでいて、実際にこの瞬間にはもう何もいうことがない。といって、ここで何かいわなくては間がもてない。悲しみをやわらげようと下手な冗談をとばしてみても、むなしさがあるだけで、うっかりすると笑いが涙に変ってしまう。どうも仕様がない。しかし発車のベルまであと三分あるーそんな片づかない雰囲気を「水が変るぜ」の一言がみごとに救ってくれる。情がこもっていて、しかも適当に突き放したような感じもあって、いったん口に出してしまうと発つ人、送る人の間にくっきりと線が引かれて、そこに諦めの感情が生じる。こんなすばらしい別離の言葉が、外国語にあるだろうか。いろいろきいてみたが、中国語の「水土不服(スイトウプーフウ)」が、わずかに雁行するといえばいえようか。
私は被害にあったことはないが、海外で水で被害にあった人の話は、数多く耳にしている。
青ッ葉よりは、たしかに科学的根拠があるだろう。
今では、落語以外では聞かことがほとんどのない、青ッ葉、水が変る、などの言葉、大事にしたいねぇ。
思うのは、そういう言葉が残るということは、そういう言葉をかける気持ち、気配りや優しさも残るということだ。
落語の世界には、そういう庶民の暮らしの温かさ、柔らかさがあるということが、紹介した内容から強く感じるなぁ。
もう一、二回、このシリーズは続く予定。