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江國滋さんが説く、「落語哲学」(1)-『落語美学』より。

 前の記事で冒頭に引用した『二十四孝』の科白は、実は、江國滋さんの落語三部作の一つ『落語美学』を再読していて、目についたものだった。

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江國滋著『落語美学』


 三部作は、『落語手帖』が昭和36年に普通社から初版が発行され、この『落語美学』が四年後昭和40年、『落語無学』がそれからまた四年後昭和44年に東京書房から発行された。
 旺文社文庫での再版後、今ではちくま文庫で読むことができる。

 最初の『落語手帖』は、昭和9年生まれの江國さんが二十代で書いた本であるから、恐れ入る。

 前の記事で引用した『二十四孝』の科白は、「落語哲学」の中の「第五章 道徳について」で登場する。
 その少し前から、ご紹介。

 「何処(どけ)ェ奉公するにしてもつまんねこンだ。それよりも自分で商売ぶってみろ。奉公ぶつより商えぶてや」(『鼠穴』)
 成功した兄が、おちぶれた弟をさとす場面で、こんな言葉が朴訥な兄貴の口からすらりとでる。これをそのまま、これから就職する学生諸君に贈りたい気がする。将来が一応安全で、小ぎれいで、体裁だけは頗るいいホワイトカラーになりたがって、われもわれもと大会社に殺到する、その気持ちはわからないでもないが、しかし、めでたく大会社に就職したその瞬間から、人生の墓場へ片足ふみ入れたことになる事実を、学生諸君ご存知か。

 これは、慶應を卒業して新潮社に入社し「週刊新潮」の編集部員などを経て独立した江國さんの、本音なのだろうか。

 今なら、「起業のすすめ」とでも言い換えられそうな江國さんの言葉、今の学生諸君にも聞かせたいような気がする。

 最近の新入社員の安定志向は、その昔を思わせるものがある。

 大企業志向や長期勤務を要望する傾向が強い。

 海外留学は年々減少しているし、たとえば、アメリカのシリコンバレーで活躍するアジア人は中国やインドの若者ばかり。

 さて、この後。

上役の目をたえず気にしてびくびくしながら、スポーツ新聞と麻雀とヤケ酒とでずるずると日を送り、やっとこさ課長になって気がついた時には五十五歳の定年、というのがホワイトカラーの大多数の運命である。「奉公ぶつより商えぶて」といいたくなるではないか。
 逆に大学当局のお耳に入れたい言葉もある。
「おまえの親父は、食べる道は教えた、人間の道というものを教えないから、貴様のようなべらぼうものができたんだ。ええ?」(『二十四孝』)
 与太郎に対する伯父さんの小言だが、「親父」を「大学」と置きかえるだけで、立派に現代にも通用する言葉である。

 この部分を読んで、私は「大学」を「親方」と置き換えても、十分に通用すると思った次第。

 これ、本来の「親父」あるいは「母親」においても、もちろん現代でも通用するのは、当然のこと。

 「道徳教育」とか「礼儀」とか「礼節」とか「躾」などという言葉を使うと、すぐ、右寄りだとかなんとか指摘されかねないので敬遠されるが、親でも先生でも、師匠でも親方でも、「食べる道」のみならず、それらの言葉を包含した「人間の道」を教えることが、今の時代に欠如しているのではないか。

 しかし、それは学校の「道徳」の授業を増やせばいい、という問題ではないのは明らか。

 そもそも、先生が生徒、学生に信頼されているのかどうか。
 何を言っても、言っている先生自身に戻ってくるばかり、というのが実態ではないか。
 江國さんは、紹介した文章のしばらく後で、こんなことを書いている。

 学校の教育があまりアテにならないとなると、家庭で教育するしか方法はなくなるが、その家庭の躾けがまた恐れ入る。どこの家庭も、早期才能教育と自由放任教育の二本立てばかり。
「・・・・・・あ、これ、商売もんの算盤またぐんじゃない。脇ィやっときな」(『金明竹』)
「へえ、へえ」
「重ね返事はよしなよ。へえへえというのはいけない」(『小言幸兵衛』)
 こういうなつかしい躾けは一体どこへいってしまったのだろう。

 こういう文章を読んでいると、しみじみ、落語っていいよね、と言いたくなる。

 ということで、何度かに分けて、この「落語哲学」の部分を紹介するつもり。

 私の名前が出たところで、今回はお開き。

 
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by kogotokoubei | 2017-12-08 19:54 | 落語の本 | Trackback | Comments(0)

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