噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

初代林家正楽のこと。

 紙切りの林家正楽、私は初代どころか二代目さえ生で見たことはない。

 しかし、先日書いた二代目正楽の記事には、二代目のみならず初代もご覧の方からコメントを頂戴した。

 ということで、やはり初代についても書かねばなるまい。

 『古今東西落語家事典』などによると、上方にも同じ名前があったので、正しくは「江戸の初代」としなければならないが、初代林家正楽は、明治28(1895)年11月18日生まれで、昭和41(1966)年4月15日に旅立った。
 長野県出身で、本名は一柳金次郎。
 生前は当時の日本芸術協会、現在の落語芸術協会に所属。
 大正6(1917年)に、後に六代目林家正蔵となる四代目の五明楼春輔門下となり、正福と名乗った。 大正8(1919)年1月に、睦会設立に合流して二ツ目となり、「睦」の字に因んで四代目睦月家林蔵(むつきやりんぞう)を名乗ったが、その翌年には、六代目桂才賀を襲名。
 二代目が春日部訛りで苦労したことは書いたが、初代も 出身地であった信州の訛りが治らず落語家としての将来に不安を抱いたことが、紙切りに転ずるに至った大きな理由だったようだ。

e0337777_08184926.jpg

今村信雄著『落語の世界』(平凡社ライブラリー)

 もう少し、初代正楽の人物像が推し量れる内容を紹介したい。

 初版は1956年11月に青蛙房から刊行され、平凡社ライブラリーから2000年3月に再刊された、今村信雄著『落語の世界』の「紙切りと正楽」の章より引用する。

 紙切りの林家正楽も、以前は桂才賀という落語家だった。趣味ではじめた紙切りが今は本職となり、余技と本芸とは入れ替ってしまった。過去四十年間に切った紙は実にお三十五、六万枚に及ぶという。今はまったく名人の域に達し、海外にまでその名が響いている。鋏で持って紙を切ることは昔も吉田小広などという人がいたがそれは文字を切ったもので、又おもちゃという紙切りもあったが、註文の通りに絵を切るようになったのは正楽がはじめてである。現在では三遊亭円雀ら二、三の人がいるが、その技術は正楽に遠く及ばない。

 ちなみに、当代の桂才賀が七代目なので、初代正楽は、先代の才賀ということ。
 円雀は四代目のことで、五代目は昨年旅立っている。

 引用を続ける。

 父は表具師であたが芸事が好きで、始終寄席や芝居に行っていた。正楽が傍で遊んでいると、父が木鋏で種々な物を切ってくれた。正楽はその真似をして様々な物を切ったのがはじめなそうだ。
 父は正楽が十三の時に死んだので、当時日本橋馬喰町で小間物屋をしていた兄の許に引き取られ、小僧と一緒に働いていたが、後には番頭として兄を助けるようになった。外に道楽はなかったが、親父譲りで寄席が大好き、近くの立花家へ定連のように通っていたが、お約束で、聞くだけでは満足出来ず、店の小僧や若い者を集めて、はなしをやって聞かせた。時には貸席を借りて近所の者を集めて煎餅などを出して聞かせることもあった。
 ちなみに、『古今東西落語家事典』では、十三歳で姉の嫁ぎ先のリボン問屋に奉公のため上京、となっている。
 いずれにしても、信州から東京に出たわけだ。

 そうか、お父さんの趣味だった紙切りの思い出が、金次郎少年の心に残っていたんだね。

 つい趣味が高じて他人にはなしをきかせたという逸話、旅行の宴会で下手な落語を友人に聞かせる私などは、大いに親近感を抱く^^

 天狗連からプロとなったのだが、その後に紙切りに替わるきっかけは、前述したように、睦会の二ツ目時代のこと。

 寄席で紙を切るようになったのはこの二ツ目時代で、四谷の喜よし亭で、暮れのある日珍芸会が催されて、皆歌ったり、踊ったり、ふだんやらない芸をやったとき正楽は、あいにく隠し芸が何もないので、紙切りをやって見せた。それが大好評で、「そんなに立派な芸があるのに、なざやらなかった。これから毎晩やれ」といわれて、その後は落語のあとで、二、三枚ずつ切っていた。当時大家が大勢そろっていたから、なかなか深いところへなぞはあがれなかったが、色物だから大家の間に挟まってかけもちをして歩いた。
 やがて先代文楽、後のやまとから、桂才賀という名をもらい、大正13年に林家正楽となった。一柳金次郎の名で新作落語を多く書いているが、落語家の上りだけにコツを知っているから、あの人の書くものはやりよいと皆がいう。傑作には『壺』『案山子』『さんま火事』などがある。

 落語作家でもあったわけだ。
 とはいえ、『さんま火事』は聴いたことがあるが、『壺』『案山子』は聴いたことがないなぁ。『峠の茶屋』というネタも作ったらしいが、知らない。
 そういった正楽作の噺、誰か、演っているのだろうか。

 信州訛りに苦労する金次郎少年を救ったのが、芸事の好きだった父親が見せてくれた紙切りだったわけだ。
 
 紙切りは、文字などを切る「切り絵」として最初は演芸の仲間入りをしたようなので、初代正楽のお父上は、切り絵の芸を真似ていたのかもしれない。
 その父の素人芸から、今につながる「紙切り」という確固たる色物につながったということか。
 林家系以外にも紙切りの芸人さんはいるが、初代林家正楽につながる系統は次のようになるはず。

             初代正楽
               |
               |
               ---------------
               |      |
            二代目正楽    今丸
               |      |
               |       -------------
               |      |      |
               |      花    今寿
               |
               ---------------
               |      |
             三代目正楽   二楽
               |
              楽一

 当代の正楽には、今後も頑張っていただきたい。
 あの話芸も、なんとも得難い味がある。

 また、二楽、楽一と若手が紙切りという芸を継承してくれているのは、嬉しい限りだ。


 三代目小南の誕生、そして、協会の壁を超えた弟二楽の披露目への出演で、二代目正楽や初代正楽のことが振り返られると良いなぁ、と思っている。

[PR]
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2017-11-13 18:45 | ある芸人さんのこと | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛