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「わろてんか」のチェックポイント(1)ー矢野誠一著『女興行師 吉本せい』より。

 来週からNHKの朝のドラマは「わろてんか」になる。

 「ひよっこ」については、トランジスタ・ガールのことについて、一度だけ記事を書いた。
2017年5月6日のブログ

 後半は、どうも馴染めないままだった。
 
 主人公の父親の記憶喪失という設定に違和感があったし、登場人物に、ほとんど感情移入ができない。
 全体的に、軽い、のだ。

 やはり、モデルのいないドラマは、当たり前とはいえ、リアリティに欠ける。
 

 では、モデルがいる場合は、どうか。

 これまた、ドラマでの脚色が許容範囲を超えるように感じると、がっかりする。

 また、主人公のネガティブな面が割愛されることは、これまでも拙ブログで書いている通り。
 「花燃ゆ」のように、重要な人物の存在が無視されたこともある。
 ご興味のある方は、拙ブログの「歴史ドラマや時代劇」のカテゴリーをご覧のほどを。
「歴史ドラマや時代劇」のカテゴリー

 さて、来週から始まるNHKの連続ドラマ「わろてんか」は、どうなることやら。

 NHKの同番組のサイトを見ると、原作の名は見当たらず、脚本家の名だけがある。
NHKサイトの「わろてんか」のページ

 これは、昨今の流行(?)のようで、いわゆる「実在の人物を“モデル”とする、フィクション」であるということを言いたいのだろう。

 だから、モデルは存在するのに、事実と相違していると批判されても、「フィクションですから」と、逃げられると考えているのだろう。しかし、それって、誤魔化しだよね^^

 とはいえ、また、ドラマを見ながら「違う!」と小言を書くのも飽きてきたので(拙ブログの読者のほうが飽きたかな^^)、少し、考え方を変えようと思う。

 「実在の人物を“モデル”とする、フィクション」という設定なら、こっちも事実とのギャップに怒るより、「ほう、そう変えましたか^^」と、わろうてやろうじゃないか。
 お題が「わろてんか」だしね。

 そこで、ある本を元に、いくつかチェックポイントを提示したいと思う。

 偉そうに言えば、「わろてんか」の、一つの見方を示すことになればいいのだが、というシリーズ。


 さて、「わろてんか」のモデルは、吉本せい。

 なぜ、この時期に彼女を取り上げるのかは、どうもNHKの吉本への“忖度”があるような気がするのは、私だけだろうか。
 
 まぁ、それは置いといて(?)、吉本せいとは、どんな人なのか。

 吉本興業のコーポレートサイトに、「吉本興業ヒストリー」という沿革紹介がある。
吉本興業のコーポレートサイト

 創業年、明治45(大正元)年の内容は、次のようになっている。

4月1日 吉本吉兵衛(通称・泰三)・せい夫婦が、天満天神近くの寄席「第二文芸館」で、寄席経営の第一歩を踏み出す

 そう、明治の最後の年、7月30日から始まる大正の最初の年から、吉本吉兵衛とせい夫妻の寄席経営が始まったのである。
「わろてんか」のチェックポイント(1)ー矢野誠一著『女興行師 吉本せい』より。_e0337777_12133659.jpg

矢野誠一著『女興行師 吉本せい』(ちくま文庫)

 ある本、とはこの本である。

 矢野誠一さんの『女興行師 吉本せい』は、1987年に中央公論社から刊行され、1992年に中公文庫、2005年にちくま文庫で再刊された。そして、朝ドラ放送に合わせてということだろう、9月10日付けで、ちくま文庫の新版が発行された。

 私は、ずいぶん前に中公文庫で最初に読んでいるが、あらためてこの新版で再読。

 NHKのドラマの脚本家は、この本を読んでいないはずはないのだが、さて、いったいどれだけの脚色を施すのやら。

 本書から、上述の第二文藝館に関わる部分を引用したい。

 この第二文藝館のあったという、天満天神の裏門付近を、初めて訪れたのはもう何年前のことになるか。
 京阪電車に、天満橋という駅があるから、そこでおりればすぐわかると判断したのが、東京者の大阪知らずで、ことはさほど簡単ではなかった。造営された天暦三年(949)の頃は天神の森なる鬱蒼とした地であったのだろうが、なにしろ当節のこと、高速道路は頭上を走り、小さなビルは乱立し、とても学問の神様の住む風情などない。それでも、そんな雑然たる街なみを、右に左にしているうちに、ほんとに忽然と眼前に権現づくりの本殿がとびこんでくるあたり、なんだか狐につままれたような気がしないでもないが、ここは正しく天満の天神様で、お稲荷さんではないのである。
 学問の神様には申し訳ないが、学業成就のお詣りはごく安直にすませて、かつて第二文藝館が位置したという裏側に出てみるとこれがなかなかいい。しっとりとしたたたずまいの、薬屋だの、寿司屋だのが目につくだけで、べつにこれといった特徴もない、ごくごくふつうの靜かな文字どおりの裏道なのだが、いかにもむかしさかえた門前町らしい雰囲気が残っていて、ほかにもいろいろな寄席が軒をならべた繁華街であった面影をわずかながら残してくれているのだ。
 この文章は、第一章の「第二文藝館」からの引用だが、矢野さんが天満を取材のため訪れたのは、当時持ち歩いていたとされる富士正晴著『桂春団治』に挟まれていたメモから、1974(昭和49)年頃と察することができる。

 引用を続ける。

 『百年の大阪2』(浪速社)という本に、この地の古老たちが復元してくれたという、明治三十年(1897)から四十年(1907)頃にかけての「新門通り界わい」なる地図が載っているのだが、それによると鰻屋やカレーライス屋、すき焼屋、寿司屋、梅鉢まんじゅうの店などにはさまれて、有名な浪花節の国光席のほか、第二文藝館、万歳の吉川館、芝居の天満座、色物の朝日席、杉の木亭、女義太夫の南歌久、講釈の八重山席などが軒をならべていた。第二文藝館は、浪花節の国光館と、すき焼の千成のあいだの小さな席であった。

 さて、ここで、チェックポイントが思い浮かぶ。

「わろてんか」のチェックポイント(1)
最初の寄席、第二文藝館界隈の様子はどう描かれるか


 吉本吉兵衛&せい夫妻の創業の地をドラマが描かないはずがないので、名前は替えるだろうが、この第二文藝館のあった天満界隈の様子がどう描かれるか、ドラマを見る上で需要なチェックポイントとなるように思う。

 脚本家が見逃しても、時代考証担当が、『百年の大阪2』を調べていないはずはあるまい。しかし、分からないのだよ、最近の時代考証は。考証じゃなく“哄笑”の場合が少なくない。

 せっかく、その昔に古老たちが遺してくれた明治末期の大阪の姿、ぜひ大事に扱って欲しい。

 どんな街並が描かれるのかなぁ。

 今回は、ご挨拶代わり(?)に、ここまで。

 次回は、吉本せいの生家について、矢野さんの本から紹介するつもり。


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by kogotokoubei | 2017-09-25 21:45 | 歴史ドラマや時代劇 | Trackback | Comments(0)

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