噺の話

kogotokoub.exblog.jp
ブログトップ

2017同期会加賀の旅(4)ー二日目午後以降

 さて、箔座で金粉を手や顔に塗って、美肌になったと錯覚している女性陣三名を含む一行は、加賀うどんで有名な「小橋お多福」へ向かった。

e0337777_16424876.jpg


e0337777_09403275.jpg

「福わ屋」サイトの「小橋お多福」のページ

 帰ってから調べたのだが、このお店は、鍋と釜ごはんの「福わ屋」と、加賀うどん・そばが中心の「お多福」が隣同士にあるお店。

 サイトにある、経営母体の福和商事のあゆみのページには、次のように説明がある。

「小橋お多福」 創業 昭和5年6月13日
その後
昭和47年 饂飩処「福わ家」開店
昭和53年 蕎麦処「鬼は外」開店
昭和61年 釜ごはん「鬼やしき」開店
平成11年に「福わ家」と「鬼やしき」が合体
       「小橋お多福」と「鬼は外」が合体
  現在の2店舗になりました。
       ■饂飩と釜ごはん「福わ家」    ■うどん・そば「小橋お多福」

 このページには、小橋鉄橋が竣工した時の記念写真や、昭和初期のお店など、セピア色の懐かしい世界があって、なぜか、ほっとする。
「福わ屋」サイトの該当ページ

 私は福々定食を注文。
 コシのある加賀うどんにかき揚、ご飯に小鉢付き。
 先輩がおっしゃる上品な甘さのダシで美味しいうどんだった。

e0337777_13232874.jpg

 これは、Sちゃんが食べた、お多福の加賀うどん。

 そのSちゃんに先輩が感想を聞くと、「縮れ麺」と言うべきところを「縮れ毛が美味しい!」の答えに、一同爆笑!
 
 私は、ANAの機内で聞いたナオユキの、あるネタを思い出した。

 女「私、天然って言われるけど、そんなことないよ」
 俺は、そういうやつには、こう言って、その反応で天然かどうか判断することにしている。
 俺「まさか、養殖じゃないだろう」
 女「えっ、養殖の人って、いるのぉ?」
 こいつは、天然だ。

 どう?
 やはり、あっしがやると、スベルかな^^

 お多福で先輩が食べていた「名物」(メニューには海外からの旅行者のために、手書きながらRecommended Nudleの文字も!)じゃぁじゃあ麺も試食させてもらったが、なかなかの味だった。

 満足して店を出ると、先に外に出ていた仲間のK君と、注文を取りに来たり配膳をしてくれたお店の若い方が釣りの話で盛り上がっていた。
 駐車場に止めていた車の話題から発展したらしい。

 お店の方はご主人のご子息(次男)で、三代目(四代目?)を継ぐ予定、だったかな。
 彼はブラックバス釣りが好きらしく、K君もよく行く琵琶湖に次の休みに出かける予定とのこと。
 K君が、ポイントやら道具のことなどを教えていた。彼の釣り、結構本格的と察した。
 彼らの会話の専門用語は、チンプンカンプン^^

 少し、嬉しくなった。
 なぜなら、ちょっと元気のなかったK君の生き生きとした顔を見ることができたからだ。

 二日目の午後の行動範囲は、次のような地域になる。
e0337777_10041441.jpg

「地図提供:金沢市」


 箔座からお多福のみならず主計(かずえ)町茶屋街も東茶屋街も、歩いて行ける場所。近くに有名な飴の俵屋もあるのだよ。

 お多福は浅野川の西岸の彦三町で小橋を渡ってすぐ。
 すぐ近くに、主計町茶屋街。
 東茶屋街は、川の反対側。
 
 こういうロケーションを設定してもらい、散策しながら金沢の歴史やそれぞれの名所のガイドを聴くことができる・・・T先輩には本当に感謝なのである。

 お多福の食時の腹ごなしをしながら、浅野川に沿った、主計(かずえ)町茶屋街へ。

 ここは、西、東と比べると、料亭が多い。それも、高級、と言って良いのだろう。

e0337777_11571103.jpg

 その名の通りほの暗い「暗がり坂」は、主計町茶屋街と、坂の上にある久保市乙剣宮という神社を結んでいて、かつて旦那衆が人目を避けて茶屋街に通うために通った、とのこと。

 主計町茶屋街には、趣きのある家並みが続く。

 先輩から、「ここは、予約がとれないことで有名」「ここは、牡蠣鍋が美味い」「ここは、寄せ鍋が絶品」などお店の説明があり、「夜なら、浅野川に灯が映って、綺麗なんだけどね」とのこと。

 金沢市観光協会「金沢旅物語」から、夜景を拝借。
金沢市観光協会「金沢旅物語」のサイト
e0337777_10444180.jpg

「写真提供:金沢市」

 なるほど、次の機会は夜に来よう。
 でも、高級料亭での食事は、難しいだろなぁ^^

 浅野川大橋を渡り、次は東茶屋街。
 これが、私のガラケーの写真。

e0337777_10480720.jpg

e0337777_10474027.jpg

e0337777_10472995.jpg


 こちらが、「金沢旅物語」の、夕方の写真。
e0337777_11032244.jpg

「写真提供:金沢市」

 月曜というのに、多くの観光客。やはり、北陸新幹線開通は大きな契機となっているのだろう。
 後で知ったのだが、この日、一便限りで東北新幹線の仙台駅から大宮で乗り換えずに直通で金沢に来た特別便があったようだ。

 毎日新聞から引用。
毎日新聞の該当記事

直通新幹線
金沢駅に到着 仙台駅から4時間の旅

毎日新聞2017年9月4日 18時18分(最終更新 9月4日 19時47分)
.
 仙台-金沢を乗り換えなしで直通運転する北陸新幹線用のE7系車両が4日午後、金沢駅に到着し、約4時間の旅を楽しんだツアー客約440人を加賀友禅大使の女性らが出迎えた。

 午前10時半ごろに仙台駅を出発した新幹線は、福島や長野、富山の各県内の駅を経由し、午後2時45分に金沢駅に到着。観光客は大使らのもてなしに手を振って応えると、貸し切りバスに乗り込んだ。ツアー客は和倉温泉(石川県七尾市)や永平寺(福井県永平寺町)などを巡り、6日に帰路に就く。

 直通新幹線は、JR東日本と西日本が北陸を観光してもらおうと、昨年に続き1往復限定で企画した。10月にも企画している。(共同)

 う~ん、午後2時45分金沢駅着・・・・・・。

 我々が東茶屋街に滞在したのが、たぶん、1時半位から2時半くらいかな。
 まだ、仙台から直通のご一行は、茶屋街には着いていなかった、ということ。
 ということは、仲間のM君が、東茶屋街でレンタル着物の三人娘に「一緒に写真撮りませんか」と、還暦過ぎの恥を知らないナンパオヤジの乗りで声をかけたら、「いいですよ」と気軽に写真に収まってくれた宮城から来た彼女たちは、この新幹線の客ではなかったのだな。

 私はその場にいなかったが、M君がその日何度「宮城の二十歳の子、可愛かったなぁ!」と言ったことか^^

 その都度、こっちは一人で二十歳三人、二人で六人、という声がかかるのである。

 東茶屋街で仲間の数人は、891円の金箔入りソフトクリームを食べていたなぁ。
 お店が、歩きながら食べさせない、というのは、実に正しいルールだと思う。

 その近くにある“きんつば”屋さんで、買い物をした人もいた。
e0337777_10380104.jpg


 しばらく、その昔の花街の雰囲気を味わった後、お約束で俵屋に寄って飴を買う人も。
 もちろん(?)、写真を撮った。

 実は、メンバーの数名は、大学四年の新潟でのインカレの後、T先輩を頼って金沢に来ていおり、ここで写真を撮っている。
 できるだけ、あの時の同じような格好で、なんて誰か言ってたが、どんな風に撮れたかな。

 すぐ近くの箔座に戻って車で金沢駅へ。
 Tちゃんとここで、涙の別れなのだ。
 全員でお見送り。

 さすがに先輩は駅近くの安い駐車場を知っているのだ。

 北陸新幹線開通で、こんなに立派な鼓門ができた。
e0337777_11031139.jpg

「写真提供:金沢市」

 少し駅の喫茶でお茶を飲みからTちゃんを見送って、我々は山中温泉に移動するのだが、T先輩、途中まで道を先導してくれたのだった。

 T先輩、本当にありがとうございました、と車中で心から叫び、七名を乗せた車は山中温泉に向かったのである。

 山中温泉の大浴場で、朝宿を出てから一万八千歩の疲れを癒したのであった。

 夕食の後は幹事部屋へ集合し、懐かしい話やら何やら、途中で買い出ししたビールとワイン、乾き物で会話が弾んだなぁ。

 翌朝は沖縄に帰るS君と羽田に行く私のために山中温泉から小松空港に送っておもらうことになったのだが、ホテル備え付けのパンフレットで、その途中に那谷寺という名を車の運転手Y君が発見。
那谷寺のサイト
 サイトによると、加賀には古くから、白き神々の座「しらやま」に魂が昇り、地上に回帰する、という白山信仰が根付いており、自然の神を崇めてきたとのこと。
 なるほど、まさに、その自然の荘厳な景色に目を見張った。
 これが、私のガラケーの写真。

e0337777_11405367.jpg

 参道。歩いているのは仲間達。
e0337777_09534594.jpg



 奈良時代以降の歴史がサイトで紹介されている。

 Wikipedia「那谷寺」からも引用する。
Wikipedia「那谷寺」
歴史

寺伝によれば、養老元年(717年)泰澄法師が、越前国江沼郡に千手観音を安置したのが始まりとされる。その後寛和2年(986年)花山法皇が行幸の折り岩窟で輝く観音三十三身の姿を感じ、求る観音霊場三十三カ所はすべてこの山に凝縮されるとし、西国三十三観音の一番「那智」と三十三番「谷汲」の山号から一字ずつを取り「自主山厳屋寺」から「那谷寺」へと改名。

南北朝時代に戦乱に巻き込まれ荒廃した。近世に入って加賀藩藩主前田利常が再建。この時の大工は気多大社拝殿を建てたのと同じ山上善右衛門である。

前田利常は、江沼郡の大半を支藩の大聖寺藩に分置したが、この那谷寺がある那谷村付近は自身の隠居領としたため、その死後も加賀藩領となった。(後に領地交換で大聖寺藩領となる)

元禄2年(新暦1689年)奥の細道の松尾芭蕉は弟子の河合曾良と山中温泉で別れ、数日前滞在した小松へ戻る道中参詣し、奇岩霊石がそそりたつ遊仙境の岩肌を臨み句を詠んでいる。
石山の 石より白し 秋の風 芭蕉 (境内には句碑もある。)

 芭蕉、ここにも来てましたねぇ。

 「開創一千三百年大祭」という時期に訪ねることができた。
 秘仏である御本尊「十一面千手観世音菩薩」が安置されている厨子の扉を開く、33年に一度の法要「御開帳」でもあった。

 本殿(いわや)の暗い堂内を一周すれば、母の胎内をくぐり抜けたことになり、罪と穢れを洗い清められるとのことで、一行が胎内めぐり。

 果たして、どれほど穢れを清められたものか。

 庚申塚の立札に、「なむしょうめんこんごう(南無青面金剛)」と三回ご真言を唱えて下さいと書かれており、何かとネタを振りまくSちゃんが「なむしょんべん」と言ったものだから、吹き出してしまった。

 やはり、養殖じゃなく、天然か^^

 さて、三十三年に一度のご開帳の年に那谷寺を訪れることができ、胎内めぐりで穢れを洗い清めてから、小松空港へ送ってもらい、関西組みと涙の別れ。

 U君と空港の「空門」という洒落たお店に入る。
 少し待ち時間があるのに付き合った私へのお礼なのだろう、沖縄便の乗るU君にビールをご馳走となって、しばらくしてU君と別れ、私は、優しい店員さんがコンセントがあるから、どうぞお使いくださいと言ってもらって、パソコンを出し、さっそく初日の記事を書き始めたのであった。
 四時過ぎの便までは、あっと言う間のい時間が過ぎた。

 これにて、同期会加賀の旅は、お開き。

 T先輩には、あらためて大いに感謝!
 女性陣の幹事役Sちゃん、たくさんネタを提供してもらいありがとう!
 車の運転や山中温泉の予約などでもう一人の幹事の役割と果たしてくれたY君にも助けられた。ありがとう!
 もちろん、皆が協力してくれたから、事故などもなく無事、加賀の旅を満喫できたのだ。
 写真担当のM君、これからSちゃんと私が編集担当の同期会便りづくりで頼りにしてるよ!
 U君、あのビール美味かったぜ!
 K君、元気だしてね。
 落語もよく知っていて、一番鋭い批評をするTちゃん、来年は汚名挽回するぞ!
 Aちゃは、現役時代のキャプテンらしい仕切りで、流石だったよ!

 みんなありがとね!

 そして、長い記事にお付き合いいただいた皆さんにも感謝。
 ありがとうございます!


[PR]
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2017-09-09 12:20 | 小さな旅ー2017同期会加賀の旅 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛