噺の話

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懲りずに、『へっつい幽霊』のサゲのこと。

 どうしても、小のぶの『へっつい幽霊』のことが頭に残っている。

 あらためて、古今亭志ん生、志ん朝親子の音源を聴いた。

 主人公の相棒として若旦那は、登場しない。
 主人公が久しぶりに博打で勝ってからの行動、という設定は小さんとも同様。

 しかし、サゲは、やはり「足は出しません」である。

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柳家権太楼著『江戸が息づく古典落語50席』(PHP文庫)

 またか、とお思いでしょうが、『へっつい幽霊』のサゲに関する続報(?)です。

 柳家権太楼の『江戸が息づく古典落語50席』(PHP文庫への書き下ろし、2005年2月初版発行)から引用したい。

 「梗概」が説明され、サゲが「親方、あっしも幽霊です。決して足はだしません」と紹介された後の「権太楼のご案内」から。

 この噺にはサゲが二種類あります。梗概で紹介した「決して足はだしません」という型と、「寺だけでも造ってください」と、幽霊でお寺と博打の「テラ銭」と洒落てサゲるやり方です。五代目古今亭志ん生師匠や三代目桂三木助師匠は、前の形。小さんは後の形でやっていました。

 あら、しっかり二つの形の説明があるではないか。

 とはいえ、私が持っている小さんの音源は「足は出しません」だったなぁ。
 小さんも、分かりやすい形に変えたのか、あるいは、親友三木助に倣って変えたのか。
 しかし、この「寺を造る」も、小のぶは「寺を建てる」という表現を使っていたので、微妙に違う。でも、ほぼ同じ意味合いだな。

 引用を続ける。
 この噺は、三代目桂三木助師匠の十八番。明治から大正の頃の設定にして、へっついの売り値は三円、へっついから出てくるお金は三百円で演っていました。落語ファンの多くは「『芝浜』の三木助」を支持する方が多いようですが、私は「『へっつい幽霊』こそ三木助落語だ」と思っています。いや、三木助師匠の『芝浜』が悪いというのではありません。『へっつい幽霊』は上方のほうが味がある。一時大阪で落語をやってた三木助師匠がやると、その味が伝わってくる感じがあるからです。逆に『青菜』は上方より東京のほうが味がある。同じ噺を人で聞き比べるのも面白いですが、上方バージョンと東京バージョンを聞き比べるのも面白いと思います。

 この権ちゃんの意見、まったく道灌、いや同感!

 へっついを戻しに来た人物が関西弁を話し、「なぁ、道具屋」を繰り返す三木助版は、何度聴いても可笑しい。

 なお、小のぶの高座で、「寺」に因んだサゲを初めて聴いた、と書いたのだが、実は、二年前のむかし家今松独演会でも聴いていたのを、忘れていた。
2015年9月14日のブログ

 あの会は、長講の業平文治が印象深く、もう一席の高座を忘れていたが、しっかり「テラをお願いに参じました」でサゲていたのだった。

 勘当された若旦那は登場する。
 幽霊は翌日、再登場する。
 上方のオリジナルを尊重した、今松ならではの型、ということか。

 小のぶの高座の後には、今松のこの噺、まったく忘れていたなぁ。

 こういうことも(頻繁に)あるから、ブログを備忘録代りに始めたわけでもあるが。


 小のぶは、今日が楽日の国立演芸場上席にも出演していた。

 ということは、国立期間中に、納涼四景(四日)にも出て、独演会(八日)もあった、ということか。

 “幻の噺家”という形容は、もはや相応しくないかもしれない。


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Commented by eripiano at 2017-08-12 11:15
今松師匠もサゲは両方持っていて、客層を見てその都度変えておりますね。尺も出番によって志ん朝と三木助の両方でやっております。
Commented by kogotokoubei at 2017-08-13 09:46
>eripianoさんへ

そうでしたか。
一つのサゲに執着することもないわけですよね。
その場の空気、流れ、あるいは気分で変わるのも、演者のみならず聴き手の楽しみなのでしょう。
尺によって若旦那が登場したり、しなかったり。
そういうことを知っていると、落語会や寄席の楽しみも増えるなぁ。
eripianoさんならではの貴重な情報ありがとうございます。
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by kogotokoubei | 2017-08-10 21:49 | 落語のネタ | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛