噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

あなたは、トニー谷を知っていますか?

 すでに昨日のことになってしまったが、7月16日は、トニー谷の祥月命日だった。

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矢野誠一著『酒と博打と喝采の日日』

 矢野誠一さんの『酒と博打と喝采の日日』(文春文庫)は、「オール讀物」に連載された内容が平成7(1995)年に文藝春秋から単行本で、二年後には文庫で発行。
 似た経緯で書籍化された『さらば、愛しき藝人たち』の続編といえる。

 私と同世代から上の方に、「トニー谷を知っていますか?」と聞けば、ほぼ全員が、知っている、と答えるに違いない。

 もちろん私も、「アベック歌合戦」で算盤を見事な楽器として、「あなたのお名前なんてえの」とやっていたトニー谷の姿は、脳裏に焼き付いている。

 しかし、あのトニー谷の晩年のことは、この本で初めて知った。

 矢野さんの本から引用する。

 永六輔が、新橋の地下鉄の階段をあがっていると、途中にひとりの老人が腰をかけていて、すれちがいざま、
「永ちゃん」
 と声をかけた。はて、誰だったかと、その顔をのぞきこむと、老人は言った。
「俺だよ、俺、トニー・・・・・・」
「なあんだ、久し振り。何してンの?」
「うん、ちょっと休んでんの」
 1986年の夏も終わりかけた頃である。

 トニー谷、本名大谷正太郎は、大正6(1917)年の生まれなので、1986年、満69歳の時のことになる。

 引用を続ける。

 それから永六輔との交際が復活して、「ボードビリアン、トニー谷の本領を、いまの若い連中に見せてほしい」との願いが実現し、渋谷のジャンジャンの小さな舞台で、満員の客を二時間抱腹絶倒させた。
 その年の暮、町おこし運動の一環として、永六輔が前座をつとめる『トニー谷ショー』が各地で行なわれたのだが、執念の舞台だった。ながいあいだの蓄積のすべてをはき出しているようだった。
「銀座の若旦那が戦争に敗けて、GIの姿になって、江戸っ子のやることじゃねえなと思ったときから、ねじれるだけねじれちまって、これからは村の爺さん婆さん相手に、江戸前の藝を楽しんでもらうからね」
 と言って、見事な三味線を披露したという。トニー谷の三味線・・・・・・一度聴いておきたかった。それにしても占領下のアメリカ文化の功罪の、軽薄さという「罪」のほうだけ背負って売り出したトニー谷が、晩年になって江戸前の藝に傾斜したという、その傾斜のしかたがひたむきだっただけに、どこか哀しくうつるのだ。
「お金のことはなんにもいわない」
 とも言って、事実ギャラのことはひと言も口にしなかったばかりか、あの売物でさえあった傲岸無礼な態度もまったく影をひそめ、ただただ藝に生きる老人の姿があるだけだった。

 銀座のど真ん中、その後玩具屋のキンタロウになった場所で生まれた大谷正太郎。その生家はランプ屋だったらしい。江戸っ子の生き残りと言える祖父が、電気が普及してからも電気屋に転業せず、ランプ屋を続けたらしい。
 その店も人手にわたり、父親の死もあって、幼い頃日本橋に引っ越す。
 矢野さんは、次のように書いている。

トニー谷が終生持ちつづけた反骨精神は、このランプ屋に固執した祖父の血を受けついだものかもしれない。

 さて、永さんとの縁から、人前で藝を披露する機会を得たトニー谷だったが、その後のこと。

 年があけて、入院した。肝臓癌で、たか子夫人は無論かくしていたのだが、当人はうすうす感ずいていたふしがあり、見舞に来た永六輔に、
「癌だと思うよ」
 と涙ぐんだ。
 いままでの台本、テープ、フィルム、スクラップブック、それにトレードマークだった算盤も大小とりまぜ五個ばかり、「新しい仕事の資料」として永六輔のところに届けられた。新しい仕事もなにも・・・・・・身辺整理であることは明らかだった。こんどは、永六輔が涙ぐんだ。
 1987年七月十六日午前零時十四分、肝臓癌で死去、六十九歳と訃報にある。
 十月の誕生日を前にしていたので、満六十九歳。

 子どもの誘拐事件は、私が生まれた昭和30年の事なので、ほとんど記憶になかった。
 
 トニー谷と言えば、とにかく、あの算盤と「あんたのお名前なんてえの」なのだった。

 そして、矢野さんのこの本を読んで知った、亡くなる直前、地下鉄の階段での永六輔との出会いが、蝋燭が最後の炎を輝かせるための天からの巡り合わせ、と言えば、あまりに作りすぎだろうか。

 永さんに渡されたトニー谷も遺品は、今どこにあるのだろうか・・・・・・。

 トニー谷が旅立った翌日の7月17日に亡くなった石原裕次郎と、同じ没後30年。

 裕次郎の記念番組はあちらこちらで放送されているが、トニー谷没後30年記念という声は、一切聞く事がなかった。


 私も、トニー谷の三味線、聴きたかったなぁ。

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Commented by 佐平次 at 2017-07-18 10:00 x
これは知りませんでしたね。
エクサイトが修理中で記事更新ができない。
新聞も休刊日だし、つまらない朝です。
Commented by kogotokoubei at 2017-07-19 12:16
>佐平次さんへ

昨日は、エキサイトのトラブル長引きましたねぇ。
本日は、午前中が休みでしたので、先ほど小満んの会の記事を公開しました。
いやぁ、居残り会も楽しかった!
Commented by tatehan at 2017-07-20 13:42
トニー谷と聞くと、真っ先に思い浮かべるのは、やはり「アベック歌合戦」ですが、僕自身も長じて生で演芸を観に行くようになった時には、すでに物故していました。もしかして浅草の松竹演芸場(ここも僕は実際には知りません、)や東宝演芸場あたりでの出演があったのかと想像しますが、他者の著書で読んだところ、彼自身がスター気取りな思い上がりが強くてあまり芸人仲間には評判が芳しくなかったとのこと…。晩年にはそれほどまで芸道に邁進している姿は、まったく知り得なかった話です。丁度、永六輔氏が逝去されて一年が過ぎましたが、同氏とトニー谷の関係も初耳でした。
数年前に亡くなられた三遊亭円右師の著作では、同師とトニー谷や、声帯模写の桜井長一郎が地方の仕事で、ビジネス兼ラブホテルに長期逗留した時に、若かった彼らが他人の寝室を天井裏からの“隠し部屋”へ覗きに行った裏話が、面白おかしく綴られていたのを思い出します。何れの方々も故人となっていますが…。
Commented by kogotokoubei at 2017-07-20 15:24
>tatehanさんへ

トニー谷が、周囲から嫌われていたことは、矢野さんの本でも書かれています。
あえて、その部分を外して引用しました。
紹介した部分は、永六輔さんの偉大さをも物語る内容ですよね。
円右師匠の本、古書店で買おうかどうかいつも悩みながら買わずにいます。
tatehanさんのコメントを拝見し、やはり読まなきゃな、と思いました。
まだ、芸人の洒落が通った時代のことがたくさん書かれているのでしょう。
同じことを今やったら、テレビでコメンテーターなる一山いくらのタレントが大騒ぎするんでしょうね^^
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by kogotokoubei | 2017-07-17 09:51 | ある芸人のこと | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛