噺の話

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初代立花家橘之助の晩年のことなどー橘右近著『落語裏ばなし』より。

 三遊亭小円歌が継ぐ立花家橘之助のことについて、もう少し。

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 橘流初代家元橘右近の『落語裏ばなし』からは、初代立花家橘之助の浮世節の看板の変遷について、記事を書いた。
2017年1月7日のブログ

 右近の友人で橘之助に可愛がられた“横浜の志ん馬”(四代目)が亡くなった後、志ん馬の奥さんから志ん馬に預けられていた浮世節の看板が右近に譲られた。右近はその看板を、後に二代目三亀松を継ぐ初代の弟子亀松に託した、というところまでを前回は紹介した。

 その後に書かれている、初代橘之助の晩年のことや、右近の腕が生かされたことなどについて引用。
 引退興行に、たぬきの色紙を配って高座からおりた師匠は、晩年に結婚した橘ノ円師匠と名古屋の花園町で和やかに暮らしておりました。
 それが、どんな理由か京都に移転して、じきにあの大水害にぶつかったのです。昭和十年六月二十九日、北野神社裏の紙屋川氾濫で崖崩れ、これで両師匠とも亡くなってしまいました。
 お二人の墓石に、立花家橘之助、本名石田美代、行年六十九歳、橘ノ円、本名五十嵐銀次郎、行年六十八歳と書かせてもらいながら、私は志ん馬さんからゆずられた短冊の文をおもいうかべておりました。
   家越した方が今年の恵方かな
 転居祝とした筆は、大師匠円朝。かつて、橘之助師匠が引っ越をしたときに、大師匠が祝って贈ったものでございます。
 その頃は、師匠は朝寝坊むらく師匠(後の三代目円馬)と暮していたはず。へい『當世楽屋雀』によれば大の女房孝行、否その尻に敷かれていると書かれている夫。むらくは、
「姐さん」
 こう、女房をよんでの暮しでございました。いくら女房が稼ぎ人であるとはいえ、さんの字付けは恐れ入る。されば楽屋仲間はむらく師匠を、
「むらくは米国産です」と。
 稼ぎも、人気もありすぎる女芸人のさびしさ辛さも十分知った師匠の一生でございました。お墓は、牛込神楽坂・清隆寺でさァ(巻頭の口絵参照)。

 巻頭の口絵には、その墓の写真が掲載されている。

 紙屋川は、現在では天神川と呼ばれているようだ。 
Wikipedia「天神川」

 三条大橋までが流出した昭和10年の大水害については、京都市消防局のサイトに写真も含め説明されている。
 164人という犠牲者の中に、橘之助夫婦が含まれていたのだ。
京都市消防局サイトの該当ページ

 このたびの九州での大水害のことにも思いが至る。

 自然の脅威には、橘之助も勝つことができなかった。

 なぜ、名古屋から京都に引っ越ししたのか、勉強不足で分からない。

 橘之助にとって、残念ながら、京都は恵方とは言えなかったようだ。
 

 六月二十九日の初代橘之助の祥月命日、小円歌も神楽坂清隆寺で、橘右近が書いた墓石の文字を見つめていたのではなかろうか。

 残念ながら、師匠円歌は、この世で弟子の二代目橘之助襲名を見届けることはできなかったが、きっと初代と一緒に、遠い空の上から見守っているのではなかろうか。


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by kogotokoubei | 2017-07-08 13:26 | 落語の本 | Comments(0)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛