噺の話

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朝日名人会は、ソニーの音源収録のために存在するのか?

 土曜日の「ざま昼席落語会」の今松の名高座二席の余韻がまだ残っている。
 一席目の『お若伊之助』は、かつて苦手なネタだったのだが、今松のおかげで印象が変わった。

 あの狸が伊之助に化けてお若に会いに来る場面の描き方などで、結構印象は変わるものだ。
 初五郎の根津-両国-根津-両国-根津、という行ったり来たりのドタバタが、まったくダレることなく楽しかった。

 この噺は、志ん朝がホール落語会でも少なからず演じていた。
 亡くなる半年前の朝日名人会の音源も残っている。

 そんなこともあり、朝日名人会がらみでネットを少しサーフィンしていて、Sony Music Directの“otonano”というサイトに、朝日名人会プロデューサーである京須偕充さんの「落語 みちの駅」というコラムがあるのを発見。

 朝日名人会の内容が中心だが、ざっと読んでいて、気になることがあった。

 それは、3月の名人会における柳亭市馬の『御神酒徳利』に関する内容。
Sony Music Direct「otonano」サイトの該当ページ

 引用する。
柳亭市馬さんは「御神酒(おみき)徳利」。数年前にいちどこの会で演じたネタですが、そのとき「東下り」の道中付けに少し乱れがあったので再演してもらいました。三代目柳家小さん以来の「占い八百屋」系「御神酒徳利」が大勢を占める今日、この大坂まで行く版は貴重です。こちらのほうが超現実の部分も含めて噺が格上だと思います。

 柳家の「占い八百屋」が大勢を占めて、それのどこが問題なのか。
 この噺は元が上方の「占い八百屋」で、東京への伝達経路には二つの流れがあると言われる。
 一つは三代目小さんが東京に移植したと言われており、柳家に伝わる「占い八百屋」だ。
 円生の御前口演に代表される番頭が大阪まで行く型は、五代目金原亭馬生が円生に伝え、円生が練り上げたと言われる。
 私はあの型では、円生より三木助の音源の方が好きだ。
 番頭が大阪に行く型は、どうしても時間がかかる。
 「占い八百屋」に比べてあまり演じられないのは、柳家の噺家さんが多いということと、その所要時間も影響しているのではなかろうか。
 柳家でも小満んはどちらの型も演じるし、私は瀧川鯉昇の大阪まで行く三木助版を踏まえたと思しき名演を二度聴いている。
 とはいえ、小満んも、落語研究会からの要望で演じたようだし、朝日名人会では京須さんが柳家の市馬に、柳家ではない型を、あえてリクエストしたわけだ。

 噺の元をたどるなら、番頭&大阪型の噺が「格上」とは言えないだろう。

 古くなるが、私は、第一回大手町落語会で権太楼が「占い八百屋」を演じた会の終演後のロビーで、番頭が犯人の型しか知らないお客さん同士が、「番頭じゃなく、八百屋なんだぁ」」と話していたのを耳にしたことを覚えている。
2010年2月27日のブログ


 それはともかく、気になるのは、“再演”のこと。
 読んでから、これはソニーで音源を発売するための再演なのだなぁ、と察したが、そんなのありか・・・と思う。

 かつて、まだ木戸銭がA席3500円の時代に、よく朝日名人会に行った時期がある。
 小三治の会はすぐにチケットが完売になっていたが、他の顔ぶれでは、それほどチケットが入手できにくいこともなかった。

 今は、木戸銭が高いことと、自分にとってあの会への有難味がなくなって、行く気にはなれない。
 結構“ハレの日”の落語会、という気分の高揚感のようなものが最初はあったが、それも次第に薄れてきた。
 そうそう、仲入りにシャンパンなんぞを飲んでいたことを思い出す^^

 いまだに、年間通し券、半年通し券の案内はもらうが、興味が薄れたことに加え、先の予定などは決められないので、内容に目を通すのみ。

 四月の会の記事では、一朝の初CDがもうじき出ることが書かれている。

 たしかに、志ん朝の音源なども含め、あの会は芸達者たちの音源を数多く出しているが、それが会の目的のようになってはダメなのではないか。

 以前の高座のやり直しで同じ噺家が同じネタ、というのは、決して“お客様ファースト”とは言えないだろう。

 落語研究会は、イーストの今野プロデューサーが人選、ネタ選びをしているようなので、京須さんは、あくまでテレビ用の解説者として関わっているのだろうが、朝日名人会は人選とネタ選びに加えソニーの音源制作にも関わっている。

 これって、結構凄い権力を持っているわけで、危険な面もあるように思う。

 数年前の高座が、残念ながら音源発売に及ばない内容であれば、その噺家のその高座は、残念ながら、二次的な商売と縁がなかったと諦めるべきではなかろうか。

 ソニーの音源発売のための再収録の場に朝日名人会を利用するのは、私は実に野暮なことだと思う。

 他に、その一席の枠を与えるべき噺家もいるだろうに。

 かつて京須さんの落語の本からは多くの示唆も受けたし、勉強にもなった。
 しかし、ここ数年の著作や、新聞などで書かれていることには、疑問を感じることも多い。

 老害とは言いたくないが、権力のある地位に長く居座ることは、政治と同じで、良いことはない。

 あの会についての小言は久しぶりだが、やはり、書かないわけいにはいかないと思う、コラムの内容だった。

 ソニーの音源を作るために朝日名人会が存在しているとするなら、高い木戸銭を払ってその場に足を運ぶお客さんを馬鹿にしていると言えないだろうか。

 生の落語会、寄席は、その一期一会が大事なのであって、その音声や映像は、あくまで二次的なおまけである。

 そのおまけのために、同じホール落語会で同じ噺家とネタが選ばれるというのは、本来の落語会の主旨に反する行為ではないか。

 私は、そう思う。


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Commented by ほめ・く at 2017-06-13 18:46 x
これは落語に限ったことではないですが、評論家も結局はその業界内に取り込まれてしまうのだと思います。芸人―メディア-評論家の輪の中で、お互いが共存共栄するようになる。評論も周囲を忖度しだして甘くなる傾向が強まるのでしょう。
いずれにしろ、市馬の『御神酒徳利』はダメですけど。
Commented by kogotokoubei at 2017-06-14 08:58
>ほめ・くさんへ

おっしゃる通りなのでしょうね。
次第に、本来はその場、生の高座が最優先されるべきなのに、持ちつ持たれつのグズグズの関係で、商売が先になってしまうのかもしれません。
長年に渡って年間通し券で通われているお客様は、「また、あいつであのネタか!?」とガッカリしているでしょう。
ここ数年、京須さんは著作でもそうなのですが、二番煎じ的なものが多い。
私が思うに、粋じゃなく、野暮なのです。
芸人への「忖度」もあるかもしれないですが、やはり“老害”かもしれません。
Commented by tatehan at 2017-06-14 13:50
究極的にCD・DVDなどの音源や映像を販売するための収録目的となる落語会となると、確かに高い木戸銭を払って入場することには、何か割り切れないものを感じるのは私も同様です。まぁ木戸銭の多寡にもよるでしょう!?TVやラジオ番組内での公開収録だったら無料となるのが大半ですから、素晴らしい芸を観せてくれれば“お得感”を覚えますが、たとえばNHK「日本の話芸」の東京落語会とか、TBS深夜放映の落語研究会なども有料で開催しているようですけれど、前者も二次使用的に音源・映像を出版していたと思います。ただ開催するためには出演料や宣伝費、会場使用料等の諸経費をペイできる程度の入場料に抑えてほしいのが私個人の本音です。それこそが主催者となる各メディアによる良識的なサービスだろうと感じます。いずれ「作品」を販売することで、多少なりとも利益を得るのでしょうから…。
落語等の演芸には限定せずに、音楽や演劇なんかでは万円単位のチケット代を払って入ったイベントが、後日、ライブ録音盤や映像物のソフトとして出版されるケースも珍しくないので、一概には良否を申し上げられないのが苦しいところですが…!?
Commented by kogotokoubei at 2017-06-14 17:56
>tatehanさんへ

コメントありがとうございます。
そうそう、末広亭の一之輔の『蛙茶番』では、“たてはん”(建具屋の半公)大活躍でしたよ^^

落語研究会(TBS)も東京落語会(NHK)も、収録していますね。
自社の番組コンテンツとしても利用しますし、CDやDVDの発売もあります。
私はかつての名人たちを中心にCDの音源は重宝していますが、DVDはほとんど持っていません。
やはり、音だけの方が落語の舞台をイメージする楽しさがあると思います。
そういう記録としての収録は大事であるとは思うのですが、優先するのは、その場の生の高座であるべきと考えます。
二次、三次的な流用での商売をしているテレビ局主催の会は、おっしゃる通り、もっと木戸銭が安くてもいいかもしれません。
収録にかかる費用も乗せているような気がしますが、それは、番組制作費として別勘定でしょうし、発売するのなら、そこで費用を回収して欲しいものです。
とはいえ、芸達者達の出演が主なので、チケット入手競争が激化することへの歯止めとしての金額設定、ということもあるかもしれませんね。
高いほど、有難味も増す、なんてぇことも考えているかな。
今回の記事では、収録そのものを非難するのではなく、それが落語会の主目的になってしまってはいないか、ということを言いたかったのです。
志ん朝の2001年4月の朝日名人会の『お若伊之助』を聴き直したのですが、やはり、あの高座の半年後に旅立ったとは思えない名演です。
記録は記録として大事ではあります。
とりとめのない文になったのは、それだけ悩ましい問題であるということで、ご容赦のほどを。
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by kogotokoubei | 2017-06-12 22:09 | 落語会 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛