噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

志ん朝葬送のBGMは何だったか?-高田文夫著「誰も書けなかった『笑芸論』」より。


 冷たい雨で、恒例のテニスが休み。

 最近買った本を読んでいた。

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高田文夫著「誰も書けなかった『笑芸論』」(講談社文庫)
 
 講談社文庫で発行されたばかりの高田文夫の本。

 高田文夫の「笑芸」に関する本ということでは、ずいぶん前に、彼が編集した「江戸前で笑いたい」について記事を書いたことがある。
2008年9月6日のブログ

 また、先代の文治について、高田文夫が日刊スポーツに書いていたコラムをまとめた「毎日が大衆芸能」から紹介したことがある。
2013年1月30日のブログ

 この「誰も書けなかった『笑芸論』」は、2012年4月に、不整脈で八時間の心肺停止から奇跡的に助かった後で、リハビリがてら2013年から「小説現代」に連載したコラムと、書き下ろし(第三章)による本。

 真っ先にめくったのが。古今亭志ん朝のページ。

 志ん朝の弟子だった右朝と高田が日大芸術学部の落研で同級だったことは有名な話。
 なんとこのいページの写真は、右朝の葬儀で弔辞を読む志ん朝の姿・・・・・・。
 同じ年の10月1日に、志ん朝も旅立った。

 その志ん朝の葬儀について、新発見。
 
 2001年10月6日、文京区の護国寺での告別式。木遣に先導された棺は江戸前そのものだった。
「名人!」「矢来町!」「朝サマ!」。
 それぞれが心の中で叫んでいた。
 そして静かに、薄く聴き慣れたメロディが流れてきた。なんとサザンオールスターズの曲に送られての出棺だった。あまりにその芸風と生き方にドンピシャで、涙があふれて止まらなかった。
 惣領弟子の志ん五が私に教えてくれた。
「うちのジャリ(娘)が選曲したの。師匠にカラオケ連れてってもらうと、必ずサザン歌うからだって」
 意外だった。言われてみればサザンと志ん朝、おしゃれな青春のにおいがする。

 私にも、この選曲は意外だった。
 好きなジャズなら、さもありなん、だったが。

 ほぼ同世代のサザンは嫌いじゃないが、昭和13年生まれの志ん朝がカラオケでサザンのファンだとは、思わなかった。
 

 以前書いたが、私はしばらく落語を聴くことのない時期があったが、2001年10月1日、その偉大な噺家の旅立ちを契機に、音源を中心に落語をまた聴き、その数年後、かつての赴任地越後ではかなわなかった寄席や落語会に通い始めた。

 だから、護国寺の告別式には行っていない。
 
 行かれた落語ファンの皆さんにとってはご周知のことなのだろうが、本書で初めて志ん朝葬送のBGMを知った次第だ。

 なぜ護国寺だったのか。

 護国寺を選んだのはこの数年前、芝居の師とあおぐ三木のり平先生の葬儀がここでとり行なわれ、とても良かったので自分の時もここでやって欲しいと言い残していたから。

 想い出した。のり平先生のお通夜の清めの席。数ヵ所にビデオが置いてあり、モニターからのり平芝居の名作が次々と流れていた。「らくだの馬さん」やら「文七元結」やら。
 それを観ながら私と高平哲郎が呑んでいるのをみつけた志ん朝師が、「あン、実に弱ったもんで」と例によって鼻を広げながらやって来て、一緒に一杯やりながら、「子の芝居はこうで、この時はこうで」と嬉しそうに教えてくれた。
 志ん朝師は、のり平とジャズが人一倍好きだった。

 この後、高田文夫が学生時代に聴いた「二朝会」の思い出が語られる。
 そして、放送作家となってからの志ん朝との関係などの思い出を語った後、次の言葉で締められている。

 志ん朝がいてくれた豊かな時代、それは我々東京っ子の“若い季節”だったのかおしれない。
 昭和23年生まれの高田文夫は、志ん朝のちょうど十歳年下になる。
 まったくの偶然だが、一昨日の記事で紹介した荒井修さんと同じ年生まれの団塊の世代だ。

 八時間の心肺停止から命を取り戻したのは、天がこの本の内容のように、得難い「笑芸」の記録、記憶を残すことだったのか、などとも思いながら、半分くらいを読み進んだところ。


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Commented by YOSEYUKI at 2017-03-26 21:50 x
今回の本題も興味深いところですが、挿入されていた先代の文治師匠の噺がたいへん面白かったです。現在はTV、CD、雑誌などで落語に接する機会がほとんどですが、かつて15年位前までの5年位は毎週1回は寄席に通っておりました。お目当ては文治で、「親子酒」「義眼」「口惜しい」(「鼻ほしい」)「女給の文」(ラブレター)、「あわてもの」(堀の内)など絶品でした(聞いた噺は17席でした。)。師匠の個人会(「桂文治の会」)も後半は大体いっておりましたが、ある時、東京かわら版にのっている電話番号にかけてみると電話すると師匠の声、チケットを申込み受け渡し方法を師匠が考えていたので(夜席に師匠がでるので)「今、末廣亭にきています」と答えると「持っていくよ」の威勢のよい声、寄席で直接チケットを受け取りました。亡くなる月の初め、文治が元気がないと著名な方の掲示板で拝見し、恒例の末廣亭の初席のトリに伺いました。「お血脈」は言いよどみがありましたが、いつもの高座でまだまだ大丈夫と思いましたが、その月なくなってしまいました。昼席でももちろん受けていましたが、夜席の「膝替わり」なども似合っていて、見ているだけで楽しかった。志ん朝がなくなって、文治がなくなって寄席通いはパッタリやめてしまいました。こういう噺家ももうでてこないかもしれません。
Commented by kogotokoubei at 2017-03-27 08:49
>YOSEYUKIさんへ

コメント、誠にありがとうございます。
ラッキーおじさん、懐かしいですね。
私は、生で先代文治も志ん朝も聴いていないので、羨ましい限りです。
末廣亭友の会に入っていますが、以前は入会や継続の時に先代文治の素敵な絵が描かれている扇子をもらえました。
今も使っており(片方づつ広げて大事に^^)、友人との旅行での宴席で落語を披露する時は、その扇子を使っています。
当代は平治の時には師匠の芸の継承者として相応しい雰囲気はあったものの、十一代目を継いでからは、どうしても師匠と比べて落胆することも少なくありません。
十代目の存在、亡くなってから大きいなぁと思うことしきりです。
今後も、古い記事を含め、気軽にお立ち寄りください。
Commented by kanekatu at 2017-03-27 16:46
志ん朝が亡くなったショックは大きく、1週間ぐらい仕事にも身が入らない日が続きました。2,3年前から高座を見て体の異変に気付いていたので、よけいに悔しい思いも強かったのです。
出囃子が鳴ってから高座に姿が見えるまでのワクワク感は、志ん朝が亡くなってから他では味わえません。高田文夫の言うように幸せな時代を共有したと思います。
上の投稿者が書かれている先代文治、最後に観た高座は亡くなる前年の秋、末廣亭のトリでした。声が小さく特にマクラが聴き取りにくかったのですが、ネタに入るといつもの通り客席を沸かせていました。『親子酒』『火焔太鼓』『長短』など、いい味を出していましたが、一番好きだったのは『反対俥』です。
Commented by kogotokoubei at 2017-03-27 17:11
>kanekatuさんへ

ほめ・くさんにとって、どれほど志ん朝の存在が大きかったのか、いただいたコメントから伝わってきました。
平治時代の当代文治は、よくマクラで師匠の思い出を語っています。
晩年は『源平』や『反対俥』など体力を必要とするネタはかけなかったと言っていますね。
ということは、ほめ・くさんは、全盛期の十代目文治もご覧になっているわけだ。
私は音源でしか知りませんが、『禁酒番屋』なども下品にならずに、いいんですよね。
平治が襲名するのは、少し早すぎたか、などと最近は思っています。
後戻りはできませんが、なぜ、伸治ではなかったのか、なんてことも考えます。
そんな不安を吹き飛ばすような、当代文治の奮闘を期待したいものですが、さてどうかなぁ。

「志ん朝」は、もう止め名でいいでしょう。
いろんな人の、それぞれの思い出の中に生きているのですから。
Commented by at 2017-03-29 06:58 x
>志ん朝師は、のり平とジャズが人一倍好きだった。
三木のり平は、森繁「社長シリーズ」の宴会好きな重役のペーソス溢れる演技を見てうまいと思いました。

のり平をリスペクトするのは志ん朝のみならず、著者の高田文夫もその一人です。
高田の著述には笑芸と支える演者に対する強いリスペクトが根底にあります。
語る対象に惚れこみ、結局は他を語るのでなく、自らを語るようになる。
批評とはそのようなものだと説いたのは小林秀雄だったでしょうか。
Commented by kogotokoubei at 2017-03-29 08:55
>福さんへ

この本を読むと、おっしゃるように高田文夫がどれほど「笑芸」と「芸人」が好きか伝わってきます。
談志、はかま満緒などが旅立ち、今や「笑い」の目利きであり語り部であり、作り手として貴重な存在でしょう。
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by kogotokoubei | 2017-03-26 16:26 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛