噺の話

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荒井修さんに、江戸の粋を、もっと教わりたかった。

 かつて存在し、今は消えつつある下町の季節感あふれる生活の記録として、荒井修さんの『江戸・東京 下町の歳時記』は実に貴重な本だ。
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荒井修著『江戸・東京 下町の歳時記』

 本書は、2010年12月に集英社新書から発行されたが、著者荒井修さんは、私より少し年長の“団塊の世代”で、浅草にある舞扇の老舗、荒井文扇堂の四代目社長さん、だった。
 実は、拙ブログの記事にいただいたコメントで教えていただくまで、荒井さんが昨年二月に亡くなっていたことを知らなかった。

 勘三郎と懇意で、一緒に平成中村座の実現に貢献した荒井さんを、天国から勘三郎が呼んだのか、どうか。

 一周忌にあたっての「しのぶ会」について、東京新聞から紹介したい。
東京新聞の該当記事

浅草の発展に貢献 文扇堂・荒井修さんしのぶ会
2017年3月1日

◆歌舞伎界や地域の300人集まる

 台東区・浅草仲見世の老舗舞扇店「荒井文扇堂」四代目店主、荒井修さんの一周忌を機に二十八日、しのぶ会が近くのホテルで行われた。浅草での歌舞伎公演「平成中村座」を故・十八代中村勘三郎さんとともに実現させるなど、浅草の発展に貢献した荒井さんを慕った歌舞伎界や地域の三百人が集まった。

 発起人代表の浅草観光連盟会長、冨士滋美さん(68)は「長く浅草のことを語り合った仲。あいつは死んでいません。二百年前から生きているようなことを言うやつだったから」と話し、浅草寺が二〇二八年に本尊示現千四百年の節目を迎えることに言及。「そのころには俺たち八十歳だな、とよく話した」としのんだ。

 荒井さんの長男で荒井文扇堂五代目店主の良太さん(37)は「半纏(はんてん)も、基礎ができているから粋な着方ができる、とよく言われた。そんな言葉を常にいえる粋な職人になれるよう精進します」とあいさつした。

 このほか、寛永寺長臈(ちょうろう)の浦井正明さん、作家いとうせいこうさんらがあいさつ。会場には荒井さんが制作した扇子が展示された。

 荒井修さんは昨年二月二十二日、六十七歳で死去した。 (榎本哲也)
 昭和23年生まれ、まさに団塊の世代。
 まだまだ、「二百年前から生きているような」お話を聞かせていただき、読ませていただきたかった人だ。

 先日の小満んの会、絶品の『味噌蔵』のマクラで、「吝嗇家(しわいや)は 七十五日 早く死に」の川柳を小満んがふったが、終演後の居残り会で我々よったりは、なんとか七十五日長生きせんと、初物の初鰹をいただいた。

 その初鰹について、荒井さんの本から引用したい。

 このころは、初鰹の季節でもあります。「初ものを食べると七十五日長生きできる」なんてことを言いますけど、江戸時代に鰹一本買うのにどのぐらいかかるか。
 芝居の好きな人はおわかりでしょう。髪結新三は、「鰹を三分で買う」なんてことを言う。三分ってどのぐらいかっていうと、今のお金で、たぶん四万円ぐらいするだろう。いちばん高いときで、六万四千円だという話もある。初茄子というのも非常に高いんですけどね。
 当時の鰹というのは、陸から江戸へ向かってくるか、海から八挺櫓なんていう八人で漕ぐ舟でもって大急ぎで運んでくるか。早い者勝ちですからね。たとえば1812年(文化九年)は、三月の二十五日に魚河岸に入荷した鰹は全部で七十五本だった。そのうち六本が将軍家へ献上されて、三本は有名な料亭の八百膳が競り落とした。で、残りの八本が魚屋に出るんですけども、そのうちの一本を、三代目・中村歌右衛門が三両で買って、大部屋の役者たちに振る舞った。これは有名な話で、たいへんな評判になったらしいですよ。
「加賀屋っていうのは鰹を買って、弟子にみんな食わせたらしいぞ」って。まあ、この時季は貝はとれるし、うまいものだらけじゃないですか。たまんないよね。
 食べ物でいうと、ほかには千住のねぎや茄子、田端の白瓜、本所の瓜、品川のかぶや目黒のたけのこ、内藤新宿のかぼちゃ、早稲田のみょうがに谷中のしょうが、駒込の茄子に亀戸の大根。とにかく、おいしいものがいっぱいあるわけ。
 それから小松菜。これもね、江戸の人間って早いもの好きじゃない。やっぱり早摘みをつくるんだけど、早摘みだから高いんです。で、やりすぎて、お上が早摘み禁止令を出した。季節感がおかしくなるので、ちゃんと売りなさいっていうことだね。幕府も困ったんでしょう。

 一両が現在の貨幣価値でいくらかというのは時代にもよるし、なかなか簡単ではないのだが、私は一両十二万円で換算しているので、三分は九万円になる。

 とにかく、江戸時代の初鰹は、安いとはいえない。
 しかし、女房を質に入れてでも、という心意気だけは学びたい、なんてぇことは、連れ合いには聞かせたくない^^

 荒井さんが挙げた江戸各地の名物、今でも残っているのは谷中のしょうがくらいかなぁ。
 江戸っ子は、鰹に限らず、美味いものをいち早く食べる、ということに粋を感じていたのだろう。

 チャキチャキの江戸っ子だった荒井さんは、『味噌蔵』の吝嗇家ケチ兵衛のように初鰹や初茄子に金を惜しむような人ではなかっただろう。

 もちろん、勘三郎も三代目歌右衛門のように、中村座の役者たちには気も遣えば、金も使ったことと思う。

 その「七十五日」の積み重ねは決して小さくはなかったはずなのだが・・・・・・。

 しかし、寿命は人智を超えたところで定められるものなのだろう。

 今頃、お二人は高いところから下界を見下ろしながら、どんな初物を肴に一杯やっているのだろうか。

 荒井さんには、もっともっと、江戸の粋を伝えて欲しかったと思う。
 
 本書の「おわりに」で、荒井さんはこう書いている。
 江戸の匂いのする歳時記といっても、役者さんが書いたものや、新吉原に生まれ育った松葉屋の女将さんである福田利子さんが書いた『吉原はこんあ所でございました』(社会思想社刊)などは、個性豊かな世界なので、そのような歳時記に倣って生活してみることはなかなかできません。けれども、あたしの歳時記は現代の人たちにもやってみてもらえるような気がして、「どうです、この季節にはこんなことをやってみませんか」と提案したかったのです。
 史実と違うじゃないか、と思われる方もいらしゃるかもしれませんが、あくまでもあたしが先輩たちから聞いた話ですので、ご容赦いただければ幸いです。

 昔からの歳時記は、一人でも多くの人に体感してもらうことにより生き返るものだと思います。皆さんも、この本の中の一つでも二つでもやってみてください。
 ちょっと江戸人てぇのも、良いと思います。

 福田利子さんの本については、以前記事で紹介した。
2014年6月16日のブログ
 たしかに、良い本なのだが、歳時記とは言えないし、実践できるものだはない。 
 荒井さんはそんなことは百も承知二百も合点で、貴重な本と評価しているのだろう。

 引用して初鰹の前には、潮干狩りのことが、思い出とともに書かれている。
 その最後の部分を紹介したい。

 江戸時代の二月の末から三月ぐらいっていうのは、屋敷勤めの人がお役ご免になったり、戻ってきたりするときなんだね。そうすると、いろいろ奉公していた人が、その奉公先をやめることもあった。そんな季節だから、江戸時代の長屋にも新しい居住者が来る。いなくなったりする人もいるけども、新しく来た人たちと仲良くなるためには、花見だとか潮干狩りって、いちばんいいレクリエーションですよね。そういう、みんなと親しくなる場でもあるんです。これ、いい話だよね。

 そうそう、来週3月30日が旧暦三月三日「上巳(じょうし)の節句」で、この大潮の日、江戸時代では潮干狩りに繰り出し、女の子が白砂を踏んで身を清め、とれたハマグリは栄養分が豊富なので祝いの席に出されたようだ。

 今でも沖縄では旧暦三月三日は「浜下り」(ハマウリ、ハマオリ)と言って、家にこもらず、海に出て干潮を利用して潮干狩りをする。

 旧暦での歳時記、今では沖縄がもっとも江戸時代の風流を残している地と言えないこともない。
 
 また、引用した初鰹の次の部分で、荒井さんは、春彼岸の時季の「六阿弥陀めぐり」のことを説明している。

 そろそろ、散歩には良い陽気になるだろう。
 私も、かつて江戸人たちがそうしたように、じっくりを江戸の名残りをめぐったり、季節にふさわしいものを食べて、自分なりの歳時記を楽しみたいと思っている。

 来週は、ハマグリを食べるぞ、なんて思っている。

 荒井さんが紹介してくれる古き佳き時代の歳時記を、自分なりに実践すること、それが、荒井さんへの供養になるように思うのだ。


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Commented by saheizi-inokori at 2017-03-24 22:00
一足お先に食べました^^。
Commented by kogotokoubei at 2017-03-25 08:46
>佐平次さんへ

それも、三分なんて法外なお勘定ではなくね^^
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by kogotokoubei | 2017-03-24 21:28 | 今週の一冊、あるいは二冊。 | Comments(2)

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