噺の話

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西行忌に思う、『西行』という噺ー矢野誠一著『落語歳時記』などより。

 今日三月十三日は、旧暦二月十六日、西行忌だ。

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矢野誠一_落語歳時記

 座右の書、矢野誠一さんの『落語歳時記』から引用する。
 旧暦二月二十六日、西行法師の忌日。建久元(1190)年のこの日、河内弘川寺に入寂した。「願わくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ」という歌は有名。釈尊入滅の日に死ぬことを願っていたのである。二十三歳出家してより諸国行脚して歌道にその名を知られた。家集『山家集』のほか、その歌を集めた『聞書集』『聞書残集』がある。

    *
 あの西行法師が未だ佐藤兵衛之丞則清といった北面の武士時代のエピソードを綴ったのが、地ばなしによる『西行』で、故柳亭痴楽や三遊亭円歌などがしばしば高座にかける。昔、摂津泉つまりいまの大阪近辺から千人の美女を選び、さらにそのなかの一人選び抜かれたという染園内侍に、佐藤兵衛之丞則清が恋をしたはなすだが、落語では、この恋に破れたため、かざりをおろし、名も西へ行くべき西行と改めることになっている。
 有名な歌は、如月の望月のころだから、二月十五日頃の花の咲く春の日に死にたいということ。釈尊入滅、つまり釈迦が亡くなった二月十五日に自分も死ぬつもりでいたわけだ。
 ほぼその通りに旅立つとは、描いた通りの人生のクロージングの姿ではないか。

 なお、佐藤則清の「のり」の表記は、以降で引用する本やサイトで「義」や「憲」も使われており、混在したまま引用するのでご容赦のほどを。

 西行が登場する噺として『鼓ケ滝』は何度か聞いているが、『西行』を聴いたことがない。
 
 あの「柳亭痴楽はいい男」の四代目痴楽が十八番とし、二代目円歌、そして当代円歌も持ちネタとしているようだ。

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矢野誠一 『新版 落語手帖』

 同じ矢野さんの本『落語手帖』から、『西行』の「あらすじ」をご紹介。

 北面の武士佐藤兵衛尉憲清は、染殿の内侍に思いをかけていたが、内侍から「この世にては遭わず、あの世にてもあわず、三世過ぎての後、天に花咲き、地に実り、人間絶えし後、西方阿弥陀の浄土にて我を待つべし。あなかしこ」と手紙がくる。則清は、これをいまから四日目、空に星が輝き、草木に露を含む頃、西の阿弥陀堂で待てとのことと解釈した。内侍がなかなか来ないので居眠りをしていると、内侍がやってきて「我ならば鶏鳴くまでも待つべきに思はねばこそまどろみけり」といって帰ろうとした。とび起きた憲清は「宵は待ち夜中はうらみ暁は夢にや見んとしばしまどろむ」と返歌した。内侍は機嫌をなおし、うちとけた。鶏鳴暁を告げる頃、「またの遭うせは」と憲清が聞くと「阿漕であろう」と袖を払われる。「伊勢の海阿漕ヶ浦に曳く網も度重なればあらはれにけり」の古歌を知らぬ則清は、武門を捨て剃髪、名を西行と改めて歌修行の旅に出る。伊勢の国で、馬方が「われのような阿漕なやつは・・・」と馬を叱るので、西行がその意味をたずねると、「あとの宿で豆食っときながら、まだ二宿も稼がねえのに豆を食いたがるだ」「ああ、してみると二度目のことが阿漕かしらん」

 なるほど、内容やサゲを考えると、今日では聴くことができなくなった理由が分かる。

 ネタ調べをする際にたびたびお世話になる「落語の舞台を歩く」には、前段の美女選びのことなども含む円歌の高座の概要が説明されている。

 同サイトから、「染殿の内侍(ないし)」について引用。
「落語の舞台を歩く」の該当ページ
染殿の内侍(そめどののないし);内侍=伊勢神宮に奉仕した皇女。天皇の名代として、天皇の即位ごとに未婚の内親王または女王から選ばれた。記紀伝承では崇神天皇の時代に始まるとされ、後醍醐天皇の時代に廃絶。また、斎宮に関する一切の事務をつかさどった役所の女官。町屋風に言うとお染さんというが改まって染殿と言った。


 次に、サゲにつながる「阿漕」を含む、内侍が謎をかけた古歌について「故事ことわざ辞典」で調べてみた。

「故事ことわざ辞典」サイトの該当ページ

阿漕が浦に引く網
【読み】 あこぎがうらにひくあみ
【意味】 阿漕が浦に引く網とは、人知れず行う隠し事も、たびたび行えば広く人に知れてしまうことのたとえ。
【阿漕が浦に引く網の解説】
【注釈】 「阿漕が浦」は三重県津市東部の海岸一帯で、昔は伊勢神宮に奉納する魚を取るために網を引いた場所。
特別の漁業区域で一般人の漁は許されていなかったが、阿漕の平治という漁師が病気の母親のために、たびたび密漁をしていて、ついには見つかり簀巻きにされたという伝説から。
「あこぎなまねをする」などと用いる、強欲であくどいさまをいう「あこぎ」も、この伝説から出た言葉。

 この伝説を知り、落語の『二十四孝』を思い浮かべてしまった。
 秦の王祥が、母親が寒中に鯉を食べたがったが貧乏で鯉を買う金がなく、氷の張った沼に出かけ、裸になり自分の体温で氷を割って鯉が飛び出した、という噺は美談。
 しかし、阿漕の平治の密漁は罪となり簀巻きか・・・・・・。


 「阿漕」という言葉ができた背景に、こんな伝説があったことを、初めて知った。

 そして、この噺、少しバレがかってもいて、それも現在では演じられにくい理由の一つか。

 しかし、知れば知るほど、この噺は奥が深いと思う。
 染殿の内侍と彼女が謎かけをした阿漕が浦の古歌という内容と、サゲ近くの馬方と西行のやりとりの落差は、実に興味深い。

 たしかに、今では演りにくい噺には違いないが、埋もれてしまうのは惜しい。
 地ばなしとして噺家さんそれぞれの現代風の工夫も活きるだろう。

 誰か、復活してくれないものだろうか。

 西行忌に、今は聴くことのない、味わい深い噺のことに思いが及んだ。

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Commented by kanekatu at 2017-03-13 18:31
『西行』ですが、最近はサゲまで演らず、「名を西行と改めて歌修行の旅に出る」で切っているようです。今も圓歌の弟子の若圓歌が高座にかけています。
4代目柳亭痴楽が、憲清と染殿の内侍との馴れ初めの場面を、オペラ風に演じていたのが記憶に残っています。
Commented by kogotokoubei at 2017-03-13 18:44
>kanekatuさんへ

さすが、ほめ・くさんは痴楽で聴いていらっしゃいましたか。
『ラブレター』は有名ですが、『西行』を十八番にしていたのは、実は知りませんでした。

若円歌は、ずいぶん前に末広亭で漫談は聴いたことがあります。

サゲが分かりにくにので敬遠されるのでしょうね。
途中までにしても、そのうち生の高座に出会いたいものです。
Commented by at 2017-03-14 06:57 x
圓歌『西行』はNHKで聴きました。
持ち前の構成力を発揮し、あっさりとした流れでまとめていました。
(DVDで『中澤家の人々』とともに発売されているようです)

そういえば、何かの動画で談志が「今の西行の話だってホントかどうかわかんねぇんだ」と、例のとおり毒づいていましたが、圓歌の高座を承けてのことだったんですね。
Commented by kogotokoubei at 2017-03-14 12:21
>福さんへ

まだ聴いたことはありませんが、矢野さんの本によると、円歌は、馬方が
出る前に終える場合は、「西行法師、若き日の失恋をただはなし家が調べた
だけでございます」でサゲるようですね。

談志が言うように、もちろん真偽のほどは定かではないでしょう。
あくまだ、噺ですから。
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by kogotokoubei | 2017-03-13 12:45 | 落語のネタ | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛