魅せる!はなしか三人衆 横浜にぎわい座(のげシャーレ) 2月26日
2017年 02月 27日
テニスの後、クラブハウスでの談笑や昼食を遠慮して、桜木町は横浜にぎわい座へ。
にぎわい座へは、昨年2月の、かい枝・兼好の会以来ほぼ一年ぶり。
のげシャーレの会は、一昨年11月の若手六人の東西交流落語会以来となる。
お目当ての人を含め、若手三人の会に興味があったし、“秘密地下倶楽部 のげシャーレ”独特の雰囲気を久しぶりに楽しみたい思いもあった。
にぎわい座のサイトにあるこのチラシに大きく写真が載っているが、その三人は、三遊亭時松、古今亭志ん吉、桂伸三。
横浜にぎわい座サイトの該当ページ
なぜ、この三人が“魅せる”と形容されるのかなどは、最初の会では説明があったのだろうが、不勉強で私は知らない。
本来はテニス主体で落語には行かない日曜に出向いた動機の第一は、巷で評判の高い、もうじき真打に昇進する時松(昇進と同時に、ときん襲名)を聴きたかったからである。
また、他の二人、志ん吉と伸三も以前に聴いていて悪い印象はなかった。
それぞれ、久しぶりでもあり、どんな成長ぶりを見せて(魅せて?)くれるか、楽しみだった。
この三人のプロフィールを、それぞれの協会のサイトから確認。
三遊亭時松
昭和51(1976)年1月28日生まれ。
平成15(2003)年4月 金時に入門
平成18(2006)年5月 二ツ目昇進
平成29(2017)年3月 真打昇進し、ときん襲名
桂伸三(しんざ)
昭和58(1983)年2月10日生まれ
平成18(2006)年4月 春雨や雷蔵に入門し、雷太
平成22(2010)年8月 二ツ目昇進
平成28(2016)年3月 桂伸治門下となり、伸三
古今亭志ん吉
昭和55(1980)年3月6日生まれ
平成18(2006)年 志ん橋に入門
平成19(2007)年3月 前座となる
平成22(2010)年9月 二ツ目昇進
時松と志ん吉が落語協会、伸三が落語芸術協会(芸協)の所属。
志ん吉と伸三は、協会は違うが、ほぼ同期と言えるので、どこかで接点があったのかと察する。
さて、久しぶりの地下秘密倶楽部には、この三人のために、最大で141席の会場を満席近く埋めるお客さんが駆けつけていた。
日曜ということもあったのか、あるいは、時松に限らずそれぞれ結構固定のお客さんがついているということなのだろうか、なかなかの“にぎわい”だ。
ネタ出しされており、時松は『井戸の茶碗』ともう一席、志ん吉が『明烏』、伸三が『宿屋の富』となっていた。
出演順に感想などを記したい。
三遊亭時松『白日の約束』 (20分 *14:00~)
この日二席披露する真打昇進直前のこの人の一席目。
なかなか端正な顔立ちをしている。これが普通なのか、少し風邪気味なのか、若干鼻にかかった声が、やや見た目とは違う印象を与える。
この後の志ん吉の語り口と声が良かったので、対照的だった。
マクラで、以前のこの会では一人三席演じた後に踊りを披露したとのこと。もしかすると、この三人、踊りつながり、かな。
3月21日から始まる真打昇進披露興行のチケットを“偶然”持ってきており、買っていただくと、三人の絵の巨匠(?)による、本人の似顔絵入りクリアホルダーをプレゼントすると、営業活動。
その巨匠三人は、わざび、志ん八(真打昇進により志ん五襲名)、そして正太郎。
それぞれに違った画風で、なかなか特徴をとらえたイラストではあった。
しかし、先のことは分からないので、チケットは買わなかったけどね。
この人については予備知識がなかったのだが、喬太郎の新作が飛び出すとは思わなかった。
この高座から、この人が新作にも取り組める器用さは伝わったし、会場はよく笑ってくれるお客さんで湧いていたが、本編の時間も短く、私にはやや物足りなかった。二席目に期待だ。
古今亭志ん吉『明烏』 (45分)
昨年3月の「さがみはら若手落語家選手権」本選(決勝)以来。
あの時、私は優勝した柳家花ん謝ではなく、この人の『片棒』に一票を投じた。
2016年3月14日のブログ
マクラでは、素人の落語教室の指導をしていて、とあるテレビ局が「ビジネスに役立つ習い事」というテーマで取材に来て、実に困った、と話す。
役に立つことを全部取り払って残ったオリのようなものが、落語ですから、と語るが、若い噺家さんがこういうことを言うとサマにならないことが多いのに、この人は不思議に説得力がある。
結構以前から聴いているが、その度に上手くなっているという印象で、この高座を、やや驚きながら聴いていた。
全体を通して印象深かったのは、これだけ源兵衛と太助を見事に描き分けたこの噺を聴いたことがない、ということ。やや乱暴な口ぶりの太助なのだが、源兵衛が困った時に助ける知恵者であるという造形が明確だった。
もうじき三十七歳、前座から今年十年目という経歴ながら、日向屋半兵衛の年齢相応の姿を見事に演じた。登場はしないが、半兵衛の語りかける先にいる女房の言動も効果的に浮かび上がってくる。
初午で赤飯を二膳ご馳走になった後、子供達と太鼓を叩き、♪(時次郎)ドンドン、(子供たち)カッカ、ドンドン、カッカ♪と、「・・・おもしろかったです」と語る時次郎の幼い姿を冒頭でしっかり描くことで、サゲ前のデレっとした態度との落差が一層可笑しくなる。
そこがお稲荷さんではなく吉原であると分かった後に、初めて聴く、なかなか楽しい件があった。隅の方で泣いている時次郎に、源兵衛が「ぼっちゃん、さっき可愛い新造の話を知ってるって言ってたじゃないですか、聞かせてくださいよ」とふると、時次郎が、戦争を前にした上野動物園のゾウ、ジョン、トンキー、ワンリーの悲しい物語を語り出し、慌てて源兵衛が止めに入って、「それは、かわいいしんぞじゃなくて、かわいそうなゾウの話じゃねんぇですか」というネタなのだが、果たして自分のクスグリなのだろうか。
確かに、二宮金次郎のクスグリを後生大事にすることもないだろう。
サゲ前、源兵衛と太助が連れて帰ろうと時次郎の部屋に行ったものの、時次郎ののろけに呆気にとられ、時次郎が「昨晩は眠れませんでしたから、あ~っ」と欠伸をしたところで、太助が「オレの欠伸とは違うぜ、この野郎」と怒る場面なども、なかなか味があった。
見た目の噺家らしさ(?)、しっかりとした語り口、口跡の良さなど、もはや二ツ目の域は十分に超えている。
昨日から旧暦2月で、もうじき初午という時期の旬な噺、45分の長さを感じさせない見事な高座だった。今年のマイベスト十席候補とはいかないまでも、何かの賞をぜひ与えたいので、色を付けておく。
一夜明けても、その評価には変わりがない。実に結構な高座だった。
ここで仲入り。
桂伸三『宿屋の富』 (30分)
仲入り後は、この人。
春雨や雷太の頃、志ん輔が支援する“たまごの会”のメンバーだったので、志ん輔の国立演芸場やにぎわい座の独演会、そして三代目春団治をゲストで迎えた“東へ西へ”などで聴いている。
なぜ、昨年伸治門下に移ったかは、よく知らないが、伸三として初めて聴く高座。
個性的な、噺家らしい(?)見た目は、この人の武器だと思う。
その強みを生かすネタとして、この噺が相応しかったのかどうか。
主役の一文無し、宿屋夫婦、富興行をしている神社に集まった人々、それぞれを無難にこなしていたが、どうも、この人の個性が発揮できたようには思えない。
以前、この三階ホールでの志ん輔の会で、『古手買い』(『古着買い』)という珍しい噺を楽しく聴かせてくれたことを思い出す。
2013年12月4日のブログ
聴く側の勝手な言い分かもしれないが、この人には、他の若手とは違うネタ選びを期待してしまうなぁ。
とはいえ、今後も気になる存在であり、ぜひ「たまごの会」出身者としての成長を願っている。
三遊亭時松『井戸の茶碗』 (45分 *~16:31)
入門する時、師匠からは「嘘をつくな」と「楽屋の女に手を出すな」の二つを守るよう言われた、とのこと。後者については、「師匠、過去に何かあったのでしょうか」と笑わせる。
屑屋の清兵衛が、千代田卜斎の仏像を預かった後に細川屋敷お窓下を訪れ、二階の窓から高木作左衛門に呼ばれた場面で、呼ばれて高木の部屋に入るという演出は、関内の小満んの会で聴いて以来二度目。
元が講談「細川茶碗屋敷由来」で、初代や三代目の春風亭柳枝が手掛け、名人三代目小さんが改作し、その後は古今亭志ん生、志ん朝親子の十八番となるまで、多くの噺家さんによっていろんな改編、演出が施されているだろうから、どれが正しいとは言えないだろう。
私は、二階からザルで高木と清兵衛がやりとりする姿に、その場の空間の広がりを感じるので、好みである。
登場人物が皆いい人、というネタだが、時松が演じる清兵衛は、後半はやや幇間めいた姿になるのが気になる。
やはり、正直者清兵衛であって、曲がった道もまっすぐ歩こうという男として描いて欲しかった。
茶碗の取り分である百五十両のカタを何にするか思案する卜斎が、清兵衛に「高木どのは、ひとりものか」と聞いて、清兵衛が「いえ、あわせを着ていました」という何気ないクスグリでも笑わせる技量があるし、噺本来の可笑しさは十分に伝わっていたので、清兵衛の造形さえもう少し工夫してもらえれば、と思った次第だ。
初めて時松を聴くことができたし、伸三も久しぶりに聴けた。
そして、何と言っても志ん吉の見事な高座に出会えたのが嬉しい。
日曜日に野毛に出向いただけのことはあった。
帰宅してから、座右の書をめくってみた。
実は、意外なことに『井戸の茶碗』は、講談が元ということが理由なのかどうか分からないが、興津要さんの『古典落語』にも、麻生芳伸さんの『落語百選』にも入っていない。
野村無名庵の『落語通談』は昭和18年に高松書房より単行本が発行され、中公文庫で昭和57年に再刊された本。
この本の前半にこのネタについての記述があり、興味深いことが書いてあった。
清兵衛が、茶碗の褒美として細川様が払った二百両を持って卜斎を訪れた際の卜斎の言葉から。なお、細川家の若侍の名は高木佐太夫。
「屑屋殿も喜んでくれ。よい事は重なるもので、このたび旧主家への帰参がかなった。承れば佐太夫殿まだ御独身の由。何と不束な娘ながら、その方橋渡しになって、ああいう潔白なお方に貰うて頂くよう、働いてはくれないか」と頼んだ。屑屋も喜んで、「それはそれは結構なお話でございますが、しかしお嬢さんをあまり美しくおみがきになりますとまた騒動になりましょう」というサゲ。
へぇ、卜斎の帰参がかなったという筋書きは、まだ聞いたことがないなぁ。
サゲは、やはり高木の部屋に行ってからで良いと思うが、善人ばかりのこの噺、いっそ、紹介したように卜斎の窮状を救ってから娘を嫁にやるのも悪くないと思う。
講談では、卜斎は元々浅野家の家臣で、茶碗を手に入れた細川候が仲介し浅野家に戻ることができた、という筋書きらしい。いいんじゃないの、落語もそれで。
一夜明けて、時松の師匠金時のブログなどを見ると、先週は真打昇進披露のパーティーがあったらしい。本人のツィッターでは、末広亭深夜寄席の卒業公演もあったようだ。
そういう状況からも、声の調子などを含め、昨日の高座は万全な体調ではなかったのだろう、と思う。
ぜひ後日、ときんの元気な高座を聴きたいものだ。
同時に真打に昇進する中には、朝也あらため三朝もいる。
どちらかの主任の披露目には行きたいと思っているのだが、都合と縁次第だなぁ。
落協所属で、最近二つ目から真打になった(あるいは近々なろうとする)落語家は、少し前までは黒門亭で活躍していました。
時松も志ん吉もその一人であり、ともに有望だと思いました。人の成長ほど面白いものはないですね。
もちろん、志ん橋、金時両師匠の指導も行き届いていたんでしょう。
黒門亭もそうでしょうし、今では、新宿や渋谷、そして神田に二ツ目の修業の場もありますが、野毛にも若手登竜門の空間があるのは、良いことだと思います。
かつて、あの“地下秘密倶楽部”で、白酒、兼好、一之輔、百栄などを聴いてきました。
近い将来、三階のホールで二人会や独演会を開くことを目指して奮闘して欲しいものです。
伸三ですが、昨年の「芸協二ツ目祭り」で、人気者を揃えた割にはドタバタした印象の会で感じが悪かったのを、伸三がトリで落ち着いた高座を聴かせて締めていました。
3月下席の真打昇進披露で、ろべえ改メ小八がトリの時には、亡き師匠に代わって小三治が出演するようです。いい話ですね。
やはり、ほめ・くさんも志ん吉を高く評価されていらっしゃったのですね。
香盤は二ツ目でも上の方ではないですが、決して若手の真打にひけをとらない力があると思います。
昨年の「さがみはら若手落語家選手権」は、私の評価なら優勝です。
伸三は、個性的な見た目に加えて、なんとも言えないフラがある人で、最近の“イケメン”噺家流行(?)の中では異色ですね。
志ん輔の「たまごの会」出身者としても期待しています。
ろべいの披露目の日は、チケット取りにくくなりますね。
さて、いつ行けるかなぁ。
経歴では大学失業後しばらくしての入門のようでしたが、そういうことでしたか。
口跡がしっかりしているのは、持ち前のものもあるでしょうが、入門前の経験も生きているのでしょう。
将来が楽しみです。
あら、さっそくいらっしゃいましたか、早い!
お奨めした甲斐があり、私も嬉しいです。
「突き落とし」はネタ出しされていましたね。
あまり後味の良い噺ではないですが、志ん吉は明るく演じたことでしょう。
今後、贔屓にしたい若手ですね。