『品川心中』の舞台ー安藤鶴夫著『わが落語鑑賞』などより。
2017年 02月 24日
安藤鶴夫さんの『わが落語鑑賞』には、文楽、三木助の十八番が並ぶ中で、円生のこの噺が挟まれている。
ちなみに、私が持っているのは、この表紙画像の筑摩叢書版。その後、ちくま文庫でも発行され、新しいところでは河出文庫からも出ている。
なお、あとがきでアンツルさんが書いているように、筑摩叢書版は、『落語鑑賞』(苦楽社)と『名作聞書』(創元社)の中から十六篇を選んだものだ。
さて、アンツルさんは、吉原と品川との違いを、このように書いている。
おなじ遊び場でも、吉原は大門までで駕籠をおろされたという話だが、品川は海道にそった宿場である、駕籠が通る。
売れぬやつ馬の尻ばかりかいでいる
というわけで、化粧をすました女が立て膝をして、朱羅宇(しゅらお)の長煙管から煙を吹いている目の前には、田圃で狐に化かされたご仁がいただくぼた餅のたぐいも、ところかまわず落ちていたことであろう。
本来、きぬぎぬの別れなどというものは、あけの鐘がゴンと鳴るとか、あるいは鴉カアの声とかがその別れをいっそうあわれにするはずの音響効果があるのにかかわらず、
品川は烏よりつらい馬の声
などといわれて、きぬぎぬの別れにはヒヒン、ブルルという艶消しな馬のいななきが、その枕もとに響いたものとみえる。
だから、品川の女郎ともなれば、なんだかそこに色っぽいとかあわれというよりは、一種の滑稽感がつきまとうようだ。
なるほど、鐘の響きや、烏カアの音響効果(?)をバックにした“きぬぎぬの別れ”と、“ヒヒン、ブルル”の音響に、あの“ぼた餅”という小道具を目の前に配した“もめんもめんの別れ”では、大きな違いだ。
『品川心中』という噺は、なるほど、「品川」でなければならない理由がある、と得心する。
それは、『居残り佐平次』も然りで、吉原にあの噺は似合わないだろう。
二つの苦界の違いは、紋日にもあったらしい。
アンツルさんはこう説明している。
江戸の吉原にはやれ恵比須講だ、やれ初午だ、やれ花植えだ、やれ衣替えだ、やれ八朔だと、一月から年の暮までいわゆる紋日といわれた年中行事がひっきりなしにあって、そのたびに馴染の客はさまざまにしぼり取られたものだが、そこへいくと品川の紋日は二十六夜待ちを最も盛んなものとして、正月の月待ち、八月の十五夜、九月の十三夜というふうに、海を背景としたお月様ばかりがだいたい紋日とされていたようである。
また九月きなと品川にくて口(ぐち)
月見がてらに品川の宿に一夜を明かすのも、あるいは江戸人の市井風流であったかもしれない。品川とはざっとこんなところである。
なるほど、それだけに、少ない紋日に、移り替えができないことは、おそめにとってプライドが許さなかったのたろう。
ない、二十六夜待ちについては、以前に杉浦日向子さんの本から紹介したことがある。
2015年9月27日のブログ
「二十六日」は、旧暦の七月二十六日である。
月の出が遅いので、“待ち”なのである。待つだけの、ご利益がある、と信じられていた。
ちなみに、八朔については、ずいぶん前になるが、2011年の八朔に記事を書いた。
2011年8月1日のブログ
昭和40年発行のアンツルさんの本に、これらの言葉の注釈はつかない。
必要なかった、ということだ。
とにかく、落語でしか聞くことのなくなった言葉が多くなった・・・・・・。
もちろん、品川には吉原にはない良さもある。
一方にそうした海道を持つそのかわりには、遊女屋の裏にはまた、冬ならあくまでくっきりと晴れ渡った安房、上総の見える海を持っている。この文章を読んで、ある本を思い浮かべた。
安い鬢つけ油の女の髪のにおいがする部屋のなかには、汐の香もまた漂っていたことであろう。
いうことがなさに初会は海をほめ
という川柳は、はじめて品川の宿で遊興の一夜を明かした若い手代風の男なんかが、房楊子を使いながら、宿酔の顔を朝の汐風にふかしている景色がよみがえるようだ。
松井今朝子著『幕末あどれさん』
それは、松井今朝子さんの『幕末あどれさん』。
「銀座開花おもかげ草紙シリーズ」全四巻の第一巻と位置付けることができる本。
旗本の次男である主人公の久保田宗八郎は、幕府の行く末に疑問を持ち、芝居に興味を抱いて河竹新七に弟子入りするのだが、その頃、品川によく出入りするようになった。
私がアンツルさんの文を読んで思い出すのは、この光景だ。
女は出窓の欄干にひじをかけ、ぼんやりと外を眺めている。風が左右の髪をなびかせて、女は先ほどから何度もうるさそうに髪をかきあげるしぐさをする。そのつど、ふとした向きによって、宗八郎がまじまじ見つめてしまうほど、女の顔は寿万によく似ていた。障子の開け放たれた出窓から海風が吹き抜けて、宗八郎の火照った膚を冷ました。
「やはり夏はここにかぎるなあ」
「生意気おいいでないよ。まるでよそをたくさん知ってのようじゃないか。ここしか知らないくせによう・・・・・・」
出窓から離れた女は、やおら宗八郎の手を取ると、おのれの股ぐらに差し入れて、ふふふと下卑た笑いを漏らした。宗八郎は急に味気ない気分に襲われて、女の顔から目を背けた。
ここ品川の相模屋抱えの花紫とはちょうと丸一年の仲になる。
読んでいて、相模屋の窓から品川の海が見えるようではないか。
ちなみに、「あどれさん」はフランス語で「若者たち」の意。
幕末に生を受けた若者が、その運命に翻弄されながらも懸命に生きようとする姿を描く作品として、松井さんのこのシリーズと杉浦日向子さんの『合葬』は、どちらも傑作だと思う。
このシリーズ、完結版は『西南の嵐』。そう、西南戦争が舞台となる。
NHKの来年の大河、私は林真理子が描く西郷隆盛などにはあまり興味がなく、この「銀座開花おもかげ草紙」シリーズで久保田宗八郎を主人公にしたほうが、よっぽど、あの時代の姿を適切に描くことができるように思うがなぁ。
さて、話は品川だった。
*歌川広重「品川(日之出)」(東海道五十三次)
Public Domain Museum of Artサイトの該当ページ
品川には、おそめと金蔵の物語に限らず、花紫と宗八郎の物語もあれば、他にもたくさんの男と女の話があったに違いない。
それは、浦里と時次郎や、喜瀬川と五人の男などの物語とは違って、馬の嘶(いなな)きとともに、汐の香りに包まれていたことだろう。
現代もバレンタインだ恵方巻だプレミアムだなんだと人に金を使わせることばかりですね。
世の中全体が吉原化してますね。
こちとらは冷やかしばかりで冷やかしこぶができてしまいましたけど。
子供の頃、北斎や広重の風景画がわからず、食べ物屋の壁を飾るものとしか思えなかったのは遺憾で、今ではこの深い味わいに陶然とします。
落語を好きになると、芝居、絵画、音楽、漢詩、和歌、俳諧、狂歌、川柳など、色んな分野に興味のウイングが広がっていきます。
私の浮世絵との最初の出会いは、永谷園のお茶漬けのり、です^^
落語が好きで江戸時代など歴史が好きな私ですが、居残り会の大先輩たちのように、能、狂言、文楽までは実体験のウィングは広がっていません。
それらは、もうしばらく先の楽しみにとっておきます。