噺の話

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明日は初天神ー天神さまで思うこと。


 明日一月二十五日は、初天神。
 初天神には「うそ替え」が行われる。

 落語の『初天神』や、うそ替えについては、八年前の今日、記事を書いた。
2009年1月24日のブログ

 今では、湯島にしろ亀戸、本家(?)の北野にしても、学問の神様として、受験シーズンということから多くの参拝者が絵馬を奉納することで有名か。

 柳家小満んの『質屋庫』のサゲに、その天神さまで祭られている菅原道真が登場する。

 天神さまは、他の神社とは違って、菅原道真という実在の人物を祭っている。
 今では、学問の神様、として何ら疑問もなく認識されているが、道真が祭られるようになった背景を、初天神を前に確認しておこうと、ある本を開いた。

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『日本の神々と仏』(岩井宏實監修、プレイブックス)

 『日本の神々と仏』(岩井宏實監修、青春出版社プレイブックス)は、神社やお寺について、日本人の信仰の歴史を含めて分かりやすく解説してくれる本。
 副題が「信仰の起源と系譜をたどる宗教民俗学」となっている。

 監修を担当した岩井宏實さんは昨年亡くなられたが、民俗学者で、国立歴史民俗博物館や帝塚山大学の名誉教授、大分県立歴史博物館顧問などであった方。

 あらためて、この本の「天神さま」の部分を引用。

天神さま

ー通りゃんせ、通りゃんせ、ここはどこの細道じゃ。天神さまの細道じゃ・・・・・・
 童謡「通りゃんせ」は天神さまへ子どもの七歳のお参りに行く様子が歌われている。
 しかし、この歌はよく聞くと怖い。「行きはよいよい、帰りは怖い」といって、子どもを捕まえてしまうのである。


 冒頭にある童謡「通りゃんせ」のことについては、この歌詞の解釈だけでも一つの記事になりそうなので、それは後日に譲り、あくまで、天神さまと道真について、あらためて引用。

 天神さまといえば、学問の神として名高い。しかし、神なのに天神さまには怖いイメージがついてくる。
 なぜなのか。
 じつは天神さまは、ほかの神とは性格と生い立ちがちがう。多くの神社は自然や神話に出てくる神や天皇を祭っている。ところが、天神さまはそのどれにも当てはまらないのである。
 天神さまはもとは天皇の臣下で、名を菅原道真といった。平安時代の秀才で、認められて右大臣まで出世したエリートである。書にもすぐれ、弘法大師空海、小野道風らと日本の三筆に数えられる。天神さまの「学問や書道の神さま」という性格づけは、生前の道真の資質に由来している。
 道真は恵まれた人生を送るはずだった。だが朝廷の政争に巻き込まれ、落とし穴にはまる。左大臣・藤原時平の讒言によって九州の大宰府に左遷され、あげく失意のうちに亡くなった。かれの死は、都の人々にとって後味の悪いものだった。その後、都に疫病が流行り、落雷や火災が相次ぎ、示し合わせたように道真を陥れた政敵が次々と不慮の死を遂げると、道真の怨霊の仕業にちがいないと人々は考え、その祟りにおののいた。
 当時は御霊信仰が盛んだった。不遇の死を遂げた者が怨霊となって人々に祟り、疫病を流行らせ、厄難を招くとい信じられていた。そのため、霊を神さまとして祭って怒りを鎮めようしたのだった。
 道真の家があった京都の桑原の地だけが落雷の被害に遭わなかったこともあって、かれを火雷天神とする御霊信仰が起こった。雷が鳴ると、身を守るために「桑原、桑原」と唱えるのは、このことに由来している。のちに道真の祟りを恐れた人々は、霊をなぐさめるために京都北野にあった天神社のかたわらに霊を祭る社(やしろ)を建てたのだが、これが北野天満宮(北野天神社)の始まりである。
 ここで、おやっと思われるかもしれない。道真の霊を祭るまえから、天神さまがすでにあったからである。じつは、天神さまはもとはあまつかみ、すなわち天の神として祭られていたのだ。時が経つにつれて、天神社と道真を火雷天神とする御霊信仰がひとつになった。ややこしい話だが、このように長い時を溶炉のなかで、いろいろな信仰がひとつに溶け合ってゆくのは珍しいことではない。
 今では学問の神さまとして高名な菅原道真も、「天神さま」として祭られた当時は、何をしでかすかわからない怨霊として恐れられていたのである。

 右大臣藤原時平が「しへい」という通称だったので、という小咄を『質屋庫』のマクラで柳家小満んが披露したことを思い出す。

 あの噺、最後に幽霊として掛け軸の道真が登場する場面、昔の人の受け取り方は、現代をは大きく違っていただろう。間違いなく、怨霊としての怖いイメージが強かったはず。

 天神さまにその霊を祭ったのは、道真の怨霊を鎮めるためなのだ。学問の神様、という存在になったのは、ずいぶん後のこと。

 ちなみに、今も京都市中京区に「桑原」という地名が残っている。
 しかし、この場所、道路部分の一角で、住居はない。
 なぜ、そんなところに地名を残したのか・・・・・・。
 それも、道真の霊を鎮めるためなのか。

 過去に何かったのか・・・など探るのはよそう。

 くわばら、くわばら。


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Commented by ほめ・く at 2017-01-25 16:13 x
藤原時平(ときひら)が「しへい」と呼ばれるのは、歌舞伎の『菅原伝授手習鑑』の中の時平の役名です。圓生のこのネタのマクラで、天神様に願掛けすると書道が上達すると言ってるのも、この芝居の影響かと思われます。
サゲに出てくる「利上げ」が分からなかったのですが、笑福亭三喬がマクラで質入れのルールを懇切に説明してくれて、ようやく理解できました。
こうした古典も解説抜きには分かりづらくなってきました。
Commented by kogotokoubei at 2017-01-25 17:25
>ほめ・くさんへ

たしかに、「しへい」に関して『菅原伝授手習鑑』のことを補足すべきでした。
肝(菅)腎な部分が、少々(丞相)抜けておりました。

サゲの「利上げ」の説明、すべきかどうか悩ましいですね。
そのうち、「昔は質屋というものがありまして」なんてことになるかもしれません。
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by kogotokoubei | 2017-01-24 21:18 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛