噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

雪のない越後長岡や、松代藩のこと。

 ここ数年は、連れ合いの越後長岡の実家で年を越す。

 そこから近い金峯(きんぷ)神社、地元の方の愛称で蔵王様に昨日元旦の午後に出向いたのだが、今年は雪がなく足元が良いからなのだろう、いつにない人の出があって長い行列があったので、出直した。

 これが、本日2日の午前中の金峯神社の鳥居を望む、雪のない珍しい風景。

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 こちらの写真の左側にあるのは、「松代藩士の墓」の案内板。

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 五年前にこの案内板に初めて気づき、記事を書いた。
2012年1月3日のブログ

 案内板のアップ。
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 ちなみに、五年前、蔵王様の鳥居を望む写真が、これ。こっちが越後の正月なんだけどねぇ。
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 さて、案内板には、松代藩が、「東軍」(徳川幕府側)ではなく、「西軍」として戦ったと記されている。

 松代藩は元和8(1622)年に上田藩から真田信之が入封した後、明治まで真田が十代治めた藩である。

 父昌幸、弟信繁と袂を分けてまで徳川への忠誠を誓った信之から続く真田の松代藩が、なぜ戊辰戦争で徳川と戦うことになったのだろう・・・・・・。

 実は九代目の藩主幸教が病弱だったため、伊予宇和島藩主伊達宗城の長男であった幸民を養嗣子に迎えた段階で、男系も女系でも信之とは血がつながらなくなったのである。

 この幸民が十代藩主となった翌年に、幕府が崩壊。

 もはや、信之の徳川への忠誠心を継ごうとする思いは、血が途切れたこともあり消え去ったのだろう。松代藩は速やかに新政府に対して恭順の姿勢を示し、戊辰戦争では官軍の一員として奥羽戦線に藩兵を送り出したのである。

 池波正太郎は、信之が九十を過ぎても松代藩の永続のために奮闘する姿を『獅子』で描き、その後の同藩存続の危機をどのように耐えて真田が永らえてきたかを、『真田騒動-恩田木工ー』として記した。

 果たして、あの世で信之は、戊辰の役で徳川方と戦う松代藩の姿をどんな思いで眺めていたのだろう。

 雪のない蔵王様へのお詣りの帰り道に、そんなことを思っていた。


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Commented by saheizi-inokori at 2017-01-02 22:38
雪がないと変ですね、なんだかパンツ履いてないみたい^^。
Commented by kogotokoubei at 2017-01-03 09:37
>佐平次さんへ

そうなんです、落ち着かないのです^^
今日三日は、昨夜来の強い雨です。
散歩に行けませんので、うちの二匹はストーブの前で寝ています。
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by kogotokoubei | 2017-01-02 15:24 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

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by 小言幸兵衛