噺の話

kogotokoub.exblog.jp

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

あるジャーナリストが書き残したものー花森安治の「見よぼくら一銭五厘の旗」より。

 前回、NHKの「とと姉ちゃん」について書いた。

 重要な登場人物の一人は花森安治をモデル(モチーフなどではない)にしているが、彼の反戦、反権力を底流とするジャーナリストとしての生き方は、適確に描かれたとは言えない。それは、前回の記事で引用した、花森の薫陶を受けた「暮しの手帖」の元編集者の方が指摘する通りだ。

 「とと姉ちゃん」でも、その様子が一部紹介されていたが、花森は敗戦まで、大政翼賛会の外郭団体に籍を置いて国策広告に携わっていた。有名な「欲しがりません 勝つまでは」は花森が考案したと言われることがあるが、事実ではない。大政翼賛会と新聞社による標語募集に応募しされたものを花森が採用したのだった。しかし、この点について花森は一切弁明しなかったという。
 あの標語が自作ではないにせよ、自分が国策広告に携わっていた事実への自責の念が、そうさせたのだろう。

 彼が語らなかったことの意味を慮ることも大事だが、花森が書き残した言葉を読むこともできる。

 その中の一つが、日本ペンクラブの「電子文藝館」のサイトにある、「見よぼくら一銭五厘の旗」だ。
「日本ペンクラブ 電子文藝館」の該当ページ

 作者および掲載された内容の説明を含む部分を、先にご紹介する。
花森 安治
ハナモリ ヤスジ
はなもり やすじ 編集者 1911・10・25~1978・1・14 兵庫県神戸市に生まれる。東大在学中、扇谷正造、杉浦明平らと帝大新聞の編集に携わり、戦後1948(昭和23)年、「暮しの手帖」を創刊、雑誌の全面に花森の手と息吹がかかっていた。

掲載作は1970(昭和45)年10月、「暮しの手帖」第2世紀8号に掲げた胸にしみるマニフェストである。なお、改行の仕方について今や筆者に確認をとれない微妙な点があり、雑誌初出時の改行(組体裁)のママに従っている。

 「マニフェスト」という言葉には、少し違和感があるが、花森安治というジャーナリストの意図を示す「声明文」あるいは「誓約書」という意味では、間違いではないのだろう。

 本文を、まず冒頭から引用する。
見よぼくら一銭五厘の旗

美しい夜であった
もう 二度と 誰も あんな夜に会う
ことは ないのではないか
空は よくみがいたガラスのように
透きとおっていた
空気は なにかが焼けているような
香ばしいにおいがしていた
どの家も どの建物も
つけられるだけの電灯をつけていた
それが 焼け跡をとおして
一面にちりばめられていた
昭和20年8月15日
あの夜
もう空襲はなかった
もう戦争は すんだ
まるで うそみたいだった
なんだか ばかみたいだった
へらへらとわらうと 涙がでてきた

どの夜も 着のみ着のままで眠った
枕許には 靴と 雑のうと 防空頭巾を
並べておいた
靴は 底がへって 雨がふると水がしみ
こんだが ほかに靴はなかった
雑のうの中には すこしのいり豆と
三角巾とヨードチンキが入っていた
夜が明けると 靴をはいて 雑のうを
肩からかけて 出かけた
そのうち 電車も汽車も 動かなくなっ

何時間も歩いて 職場へいった
そして また何時間も歩いて
家に帰ってきた
家に近づくと くじびきのくじをひらく
ときのように すこし心がさわいだ
召集令状が 来ている
でなければ
その夜 家が空襲で焼ける
どちらでもなく また夜が明けると
また何時間も歩いて 職場へいった
死ぬような気はしなかった
しかし いつまで生きるのか
見当はつかなかった
確実に夜が明け 確実に日が沈んだ
じぶんの生涯のなかで いつか
戦争が終るかもしれない などとは
夢にも考えなかった

その戦争が すんだ
戦争がない ということは
それは ほんのちょっとしたことだった
たとえば 夜になると 電灯のスイッチ
をひねる ということだった
たとえば ねるときには ねまきに着か
えて眠るということだった
生きるということは 生きて暮すという
ことは そんなことだったのだ
戦争には敗けた しかし
戦争のないことは すばらしかった
 
軍隊というところは ものごとを
おそろしく はっきりさせるところだ
星一つの二等兵のころ 教育掛りの軍曹
が 突如として どなった
貴様らの代りは 一銭五厘で来る
軍馬は そうはいかんぞ
聞いたとたん あっ気にとられた
しばらくして むらむらと腹が立った
そのころ 葉書は一銭五厘だった
兵隊は 一銭五厘の葉書で いくらでも
召集できる という意味だった
(じっさいには一銭五厘もかからなか
ったが……)
しかし いくら腹が立っても どうする
こともできなかった
そうか ぼくらは一銭五厘か
そうだったのか
〈草莽そうもうの臣〉
〈陛下の赤子せきし〉
〈醜しこの御楯みたて〉
つまりは
〈一銭五厘〉
ということだったのか
そういえば どなっている軍曹も 一銭
五厘なのだ 一銭五厘が 一銭五厘を
どなったり なぐったりしている
もちろん この一銭五厘は この軍曹の
発明ではない
軍隊というところは 北海道の部隊も
鹿児島の部隊も おなじ冗談を おなじ
アクセントで 言い合っているところだ
星二つの一等兵になって前線へ送りださ
れたら 着いたその日に 聞かされたの
が きさまら一銭五厘 だった
陸軍病院へ入ったら こんどは各国おく
になまりの一銭五厘を聞かされた


 「とと姉ちゃん」には、この「一銭五厘」のことは、一切登場しない。

 実際には存在しなかった、安かろう悪かろうという製品を作っていた電気メーカーとの戦いは描かれた。
 
 しかし、花森安治が戦ってきた相手は、違うのである。

 この文章の中盤には、公害問題に対する花森の強い思いが綴られている。
 
 なぜ、政府が自動車を規制しないのか、なども書かれている。
 ぜひ、全文を読んでいただきたい。

 後半から最後の部分を、引用したい。

さて ぼくらは もう一度
倉庫や 物置きや 机の引出しの隅から
おしまげられたり ねじれたりして
錆びついている〈民主々義〉を 探しだ
してきて 錆びをおとし 部品を集め
しっかり 組みたてる
民主々義の〈民〉は 庶民の民だ
ぼくらの暮しを なによりも第一にする
ということだ
ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ
かったら 企業を倒す ということだ
ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ
かったら 政府を倒す ということだ
それが ほんとうの〈民主々義〉だ
政府が 本当であろうとなかろうと
今度また ぼくらが うじゃじゃけて
見ているだけだったら
七十年代も また〈幻覚の時代〉になっ
てしまう
そうなったら 今度はもう おしまいだ

今度は どんなことがあっても
ぼくらは言う
困まることを はっきり言う
人間が 集まって暮すための ぎりぎり
の限界というものがある
ぼくらは 最近それを越えてしまった
それは テレビができた頃からか
新幹線が できた頃からか
電車をやめて 歩道橋をつけた頃からか
とにかく 限界をこえてしまった
ひとまず その限界まで戻ろう
戻らなければ 人間全体が おしまいだ
企業よ そんなにゼニをもうけて
どうしようというのだ
なんのために 生きているのだ

今度こそ ぼくらは言う
困まることを 困まるとはっきり言う
葉書だ 七円だ
ぼくらの代りは 一銭五厘のハガキで
来るのだそうだ
よろしい 一銭五厘が今は七円だ
七円のハガキに 困まることをはっきり
書いて出す 何通でも じぶんの言葉で
はっきり書く
お仕着せの言葉を 口うつしにくり返し
て ゾロゾロ歩くのは もうけっこう
ぼくらは 下手でも まずい字でも
じぶんの言葉で 困まります やめて下
さい とはっきり書く
七円のハガキに 何通でも書く

ぽくらは ぼくらの旗を立てる
ぼくらの旗は 借りてきた旗ではない
ぼくらの旗のいろは
赤ではない 黒ではない もちろん
白ではない 黄でも緑でも青でもない
ぼくらの旗は こじき旗だ
ぼろ布端布はぎれをつなぎ合せた 暮しの旗だ
ぼくらは 家ごとに その旗を 物干し
台や屋根に立てる
見よ
世界ではじめての ぼくら庶民の旗だ
ぼくら こんどは後あとへひかない
(8号・第2世紀 昭和45年10月)


 前回の記事で、「とと姉ちゃん」のプロデューサーが、素顔の花森安治のことを描くにあたっての「ハードル」があると発言している。
 それは、たとえば、引用した次のような言葉に象徴されているだろう。

 ぼくらの暮しと 企業の利益とが ぶつ
 かったら 企業を倒す ということだ
 ぼくらの暮しと 政府の考え方が ぶつ
 かったら 政府を倒す ということだ
 それが ほんとうの〈民主々義〉だ


 「企業を倒す」も「政府を倒す」も、あくまで「ぼくらの暮し」とぶつかったら、という条件だ。
 そして、公害や粗悪な製品開発などは、花森にとっては「ぼくらの暮し」とぶつかることなのである。
 「ぼくら」という立ち位置を描くために、プロデューサーは、なんとかその“ハードル”を乗り越える努力をしたのだろうか。
 もっと言えば、プロデューサーの立ち位置は、果たして「ぼくら」の側にあったのか。
 
 「企業批判」は、民放では難しいかもしれない。
 しかし、広告のないNHKは、もっと花森安治の真実に迫ることができたのではなかろうか。

 「暮しの手帖」が広告を掲載しないからこそできた「ぼくらの暮し」を守る活動を、なぜ、広告収入に依存しないNHKは、同じように、「ぼくら」の立場で描かないのか。

 それは、了見の違い、なのだと思うし、経営管理層の問題なのだろう。

 「とと姉ちゃん」では割愛(?)された花森安治という一人のジャーナリストの真の姿は、あの番組が終わるからこそ、もっと振り返られて良いように思う。


[PR]
Commented by saheizi-inokori at 2016-09-27 09:57
これも『暮しの手帖』に掲載されました。
それとも別冊だったかな、取っておけばよかった。
国会議員を立たせて自衛隊や警察に感謝の拍手をさせたという安倍政権、まちがいなく倒すべきです。
Commented by kogotokoubei at 2016-09-27 12:45
>佐平次さんへ

花森さんには「一銭五厘の旗」という本もあるようです。
また、この言葉から、ルポライター児玉隆也とカメラマン桑原甲子雄による「一銭五厘たちの横丁」 (岩波現代文庫)を思い起こしました。

国会の安倍と自民党は、北朝鮮の状況によく似ていると思います。
「ファッショ」の象徴的な一場面だったのではないでしょうか。
名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2016-09-26 22:46 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛