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秋の噺で思う、人によって違う季節感のことなど。

 明日は、秋彼岸の中日、秋分の日だ。

 先日、月見にまつわる秋の噺として、『盃の殿様』のことを書いた。

 秋の噺は、他にどんなものがあるかと思って、四季ごとにネタを分類している2冊の本を見比べてみた。

 結構、意外な発見(?)があったので、ご紹介したい。

 
秋の噺で思う、人によって違う季節感のことなど。_e0337777_11125583.jpg

矢野誠一著『落語讀本』(文春文庫)

 まず、一冊目は矢野誠一さんの『落語讀本』(文春文庫、1989年初版発行)。
 副題にあるように三百三席のネタが紹介されている中で、秋として分類されているのは、95席。
 ちなみに、正月のネタが7席、春が100席、夏66席、冬35席なので、秋に分類されているネタは、春に次いで多いことになる。

秋の噺で思う、人によって違う季節感のことなど。_e0337777_08444029.jpg

麻生芳伸編『落語百選-秋-』(ちくま文庫)

 次に、麻生芳伸さんの『落語百選-秋-』(ちくま文庫)。初版は1976年に三省堂から発行され、その後に社会思想社の現代教養文庫で1980年に再版。ちくま文庫では1999年の初版。

 百席を四季ごとに同数づつに分けて掲載しているので、秋篇は25席。
 残念ながら、『盃の殿様』は含まれていない。
 『落語百選』の25席を元にして、それぞれが『落語讀本』の中でも秋として分類されているのか、あるいは違う季節として扱われているのかを、確認してみた。

 落語のネタには、季節感がそれほど強くないものも多いので、二人の作者とも、それほど強い根拠や思い入れがあって分類したネタばかりではなかろうとは察していたが、なかなか面白い(?)結果が出た。

 左が『落語百選-秋-』のネタ。右が、そのネタの『落語讀本』における季節の分類である。
 ネタの表記は『落語百選』を元にする。
 両方とも「秋」と分類しているネタに、をつける。

 『落語百選-秋-』          『落語讀本』

(1)道具屋                 春
(2)天 災                春
(3)つるつる               夏
(4)目黒のさんま             秋
(5)厩火事                秋
(6)寿限無                春
(7)時そば                冬
(8)五人回し               秋
(9)ねずみ                冬
(10)やかん               秋
(11)山崎屋               春
(12)三人無筆              秋
(13)真田小僧              秋
(14)返し馬               なし
(15)茶の湯               秋
(16)宿屋の仇討             秋
(17)一人酒盛              秋
(18)ぞろぞろ              夏
(19)猫怪談               なし
(20)野ざらし              夏
(21)碁どろ               夏
(22)干物箱               春
(23)死神                冬
(24)粗忽の釘              春
(25)子別れ               夏

 ご覧のように、『落語百選』で麻生芳伸さんが“秋の噺”として選んだ25席のうち9席しか、矢野誠一さんは『落語讀本』の中で秋に分類していない。
 春が6席、夏が5席、冬が3席、そして、矢野さんの本には掲載されていないネタが2席ある。

 まさに、人によって季節感は違う、ということか。

 2冊の本で「秋」として一致した九つの噺にしても、『目黒のさんま』『茶の湯』あたりは秋の季節感が伝わるが、他の7席は、人によっては別の季節を感じるかもしれない。

 よく言われることだが、『野ざらし』は、十八番としていた三代目柳好の型が主に継承されているが、尾形清十郎が隣家の八五郎に前夜のいきさつを語る場面で挟む句が、季節がごっちゃになっている。「野を肥やす骨に形見のすすきかな」の後で「四方(よも)の山々雪解けて、水かさまさる大川の上げ潮南風(みなみ)でどぶゥりどぶり」と続き、秋と春が混在。だから、秋でも春でも、どちらでもいいとも言える。矢野さんが「夏」としているのはなぜか、不勉強で分からない。
 なお、この噺については以前書いているので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2014年3月25日のブログ

 『厩火事』は、なぜご両人が「秋」で一致したのだろうか・・・・・・。
 なんとなく春か秋だなぁ、とは思うが秋に限定する要素はないような気がする。

 『宿屋の仇討』は、仲の良い友達同士が上方見物からの帰り、という設定。まぁ、冬ではないな、ということは言える。
 上方の『宿屋仇』では、伊勢参りの帰りという設定をしているが、必ずしも江戸時代のお伊勢参りが秋にばかり行われたわけでもないようだ。
 縁起ということでは、毎月一日にある朔日参りをするのが良い、とされていたようだが、季節でのご利益の違いはないように思う。
 ただし、農事のことで重要視された「伊勢暦」を買い求める農家の方が多かったようなので、秋の収穫の後、農閑期にお参りに行って翌年の暦を買い求める、という設定は無理のないところか。
 
 『一人酒盛』は、秋と言われて、異論はない。
 『五人回し』は、微妙だなぁ。

 他のネタにしても、必ずしも「秋」と断定するわけにはいかないような気がする。
 『真田小僧』や『やかん』『三人無筆』から、どんな季節を感じるか・・・・・・。


 今回読み直してあらためて興味深かったネタがある。
 麻生さんが取り上げたが、秋に限らず矢野さんの本に掲載されていない2席、『返し馬』と『猫怪談』は、今ではほとんど聴くことのできない噺だ。
 なかでも『猫怪談』は、実に興味深い噺で、与太郎の知られざる生い立ちが分かるネタ。「谷中奇聞」の一席として円生は円生百席に含めており、音源が残っている。他には八代目正蔵、入船亭扇橋も演じていたようだ。現役では円窓が師匠円生から継承しているらしいが、ぜひ、扇辰や雲助などで聴きたいネタ。
 詳しいあらすじは割愛するが、ドタバタしている部分もあるが、育ての親が亡くなった後の与太郎の演じ方で、結構、人情噺的な雰囲気を出すことができそうな内容でもあると思う。

 上方の秋のネタの代表といえば、『まめだ』だろう。
 米朝のために、三田純市が作った新作だが、以前、米二で聴いている。
 一昨年、作者三田純市の生原稿が見つかったというニュースを紹介したことがある。
2014年11月17日のブログ

 もちろん、他にも“秋らしい”噺はあると思う。
 春かな、秋かな、と迷う噺は、数多くあるだろう。
 いずれにしても、それは、聴く者の感受性次第なのかもしれない。 

 季節感のある噺もあれば、年中演じて不都合のない噺もある。
 どちらかと言えば、季節を限定しない噺の方が圧倒的に多いだろう。
 聴く人の感じるままで結構、ということも落語の奥深さなのかもしれない。

 秋のネタなどを考えているせいか、無性に、秋刀魚が食べたくなった。

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by kogotokoubei | 2016-09-21 12:50 | 落語のネタ | Trackback | Comments(0)

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