噺の話

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円朝作『縁切榎』というネタで思う、いろいろ。


 明日8月11日は、円朝の祥月命日。
 
 私は行けないのだが、明日、全生庵の座禅堂で行われる「円朝座」で、柳家喬太郎が円朝作品としては珍しい『縁切榎』をトリで口演するらしい。

 全生庵のサイトで、8月20日開催の円楽一門会による「円朝まつり」と隣り同士で案内されている。
全生庵のサイト

 落語協会HPの落語会情報のページでも案内されている。
落語協会HPの該当ページ

 ちなみに、中入りでは馬桜が『牡丹燈篭ーお札はがしー』。

 『縁切榎』は、喬太郎が昨年の扇辰との二人会でネタおろししたようだが、別題を『両手に花』。


 ここからは、あらすじを知らないまま明日お聴きになりたい方はネタバレなので、ご注意のほどを。

 円朝のネタに関して度々お世話になる、図や簡潔な文章で多くの噺を丁寧に紹介してくれるサイト「はなしの名どころ」さんから、文章部分を引用する。
「はなしの名どころ」サイトの該当ページ
-えんきりえのき-

 落とし噺.2人の恋人宅を往復する滑稽は権助提灯と同工.よく考えると,突然の変心のサゲは無理がある.板橋の縁切榎は和宮が降嫁の際に避けたといわれる.

大あらすじ
野呂井照雄,芸者と堅気の娘の両手に花.どちらの宅でも縁切りを言い出せない.縁切榎の力を頼ろうと板橋へ行くと,当の娘達と出くわす.どうしても俺を取ろうという性根に感動すると,2人口をそろえてあなたと縁が切りたい

はなしの足あと
主人公の野呂井は,浪花町(中央区)に住む芸者小いよと六間堀(江東区)に住むおとめとの間を行ったり来たりする.縁切榎(板橋区)は石神井川にかかる板橋のそば.

 もう少し詳しく知りたい、という方は、「落語の舞台を歩く」でご確認のほどを。
 春風亭正朝の高座を元に書かれている。
「落語の舞台を歩く」の該当ページ

 冒頭部分のみご紹介。若旦那が野呂井照雄である。
 若旦那が徳さんの所に相談に来た。親がお前の好きな人と結婚しろと言う。
 芳町の芸者小春は器量が良い上に芸が立って頭が良い。もう一人は本所横網町の資産家のお嬢さんお久さんで本所小町と言われた娘さん。どちらも同じくらい大好きで、どちらが良いか迷っているので、アドバイスを求めてやって来た。
 徳さんが言うには「人の心を試すのはいけないが、『店を継ぐには、奉公に出なければいけない。2~3年は掛かるだろうからその間は逢う事ができない。その間に素敵な人が出来たら一緒になっても良い。そのことで苦情は言わないから』と言って、相手の出方をみて選びなさい」。 と、
 他に手だてがないので、試す事にした。

円朝はまくらで「人情ばなしと落語のあいの子でございます」と言っているらしいが、内容的には滑稽噺(落語)に入るだろう。

 若旦那が、二人の女の間で行ったり来たりしながら迷うという状況設定は、少し年齢を上にすれば『権助提灯』や『悋気の火の玉』『悋気の独楽』のような、いわば妻妾ものに近い感じもするし、相手の了見を試してみようという筋書きは、『星野屋』『辰巳の辻占』のような趣きもある。

 この噺、私には円朝自身の体験、心情が下敷きにあるような気がしてならない。

 その偉大性が強調されるが、やはり、円朝も人であり男であり、間違いなくもてたはず。
 彼が同時に複数の女性との関係の中で、ふと「縁切榎」のことを思ったことがあったのではあるまいか。
 
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 矢野誠一著『三遊亭円朝の明治』
 
 矢野誠一さんの『三遊亭円朝の明治』は平成11(1999)年に文春新書で発行され、その後朝日文庫でも発行された。
 本書では、円朝のもてぶりに関する証言が載っている。
*矢野さんの本では“圓”の字を使っているが、この記事では“円”で統一します。
 一昨年の祥月命日に書いた記事と重複する部分があるが、引用したい。
2014年8月11日のブログ
断髪

 三遊亭円朝が自慢の円朝髷をおろして、新時代にふさわしい断髪にした時期については、はっきりとわからない。わからないが、売物にしていた道具をを使った鳴物入りの芝居噺を、弟子円楽の三代目三遊亭円生襲名を機にゆずり渡し、自らは素噺一本に転じた明治五年(1872)には、すでに断髪だったと思われる。
 (中 略)
 こんにち残された三遊亭円朝の写真のいくつかから、いかにも気難むずかしげな晩年の表情をうかがうことができるのだが、それらの写真をこえて、近代肖像画の傑作とされている鏑木清方の「円朝像」くらい、数多くの資料が伝えるこの不世出の藝人の風貌の的確に描かれたものもあるまい。1930年、帝展に出品され、現在東京国立近代美術館におさめられている。湯呑を手にした高座姿は、円朝作品の速記掲載を売物にした「やまと新聞」創刊者でもある篠野採菊を父に持つ清方の幼い頃の瞼の像が描かれたもので、むかしの高座の忠実な記録画ではないのだが、そこには明治という新時代に権威と名誉を求めて対峙したひとりの藝人の全人格が活写されている。もちろん清方の「円朝像」は短髪の黒紋付姿で、着物も大島紬様のもので、衿もとにのぞく半衿も黒と、地味な好みに統一されており、円朝髷姿で赤い襦袢をちらちらさせた時代の面影だにない。

若き日の醜聞

 それだけに岡鬼太郎のいう「緋の襦袢の頃」の軽佻浮薄な衒いに充ちた、円朝の人気者ぶりが気になるところだ。この時代の円朝の尻を、「藝者もあれば、娘も後家さんもといふ風に何十人といふ婦人が」毎晩のように追いまわしたと、「天保老人の談」として「新小説」に記している伊原靑々園は、同じところに、さればこそ「金廻りも好いと云つたやうな訳で、随って其んな縮緬づくめの衣裳なんかも拵へられたといふ勘定」とも記している。このあたりの色模様に関しては、小島政二郎も虚実とりまぜ得意の筆にしているが、当然のことながらこの時代の円朝には婦人をめぐる醜聞のほうも少なからずあったはずである。

 「緋の襦袢」の頃は、円朝もずいぶん、遊んだことが察せられる。

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小島政二郎著『円朝』

 “藝者もあれば、娘も後家さんもといふ風に何十人といふ婦人が”毎晩のように追いまわした時代の円朝について“虚実とりまぜ”て小説にしたものとして矢野さんが名を出している小島政二郎の『円朝』からも紹介したい。
 小島さんの祖父の利八が寛永寺出入りの大工の棟梁で、円朝とは幼友だち、寺子屋が一緒だった。この本は、その祖父から得た貴重な円朝の情報を見事に織り交ぜているように思う。

 その利八と円朝が初めて吉原に行った時のお話。
 円朝の贔屓客は、何も女性に限られたことではない。男性の贔屓客も大勢いた。
 そういう一人に宮野というお金御用の旦那がいた。この人に連れられて、円朝は桐佐という引手茶屋へ遊びに行って、吉原芸者を上げて遊んだことがあった。その一座に、米八という若い芸者がいた。
 その時は、九つ(十二時)ごろまで遊んで駕籠で送られて帰って来た。
 一度でも馴染が出来たので、その後間もなく、
「一度おいらん遊びがして見たい」
 と、ふだんから云っていた利八を語らって、桐佐へ行った。そのころは、二人とも両という金が自由になる身分になっていた。
 桐佐から送られて、二人は彦太楼という大籬へ上がった。芸人は上げないキメになっているので、仕方がなしに円朝は薬種問屋の若旦那ということにして上がった。彼には長尾大夫というおいらんが相方に出、利八には若竹大夫というおいらんが相手になった。
 (中 略)
 二人とも、十分満足するほど持てなされた。桃の花の咲いている夢の国へ遊びに行ったような思いがした。当分二人とも、この夢の国で見た楽しい思い出が忘れられなかった。

 円朝と利八の幼馴染みの初吉原は、たいそう上首尾だったようだ。
 それにしても、薬種問屋の若旦那と偽って登楼とは、まるで『紺屋高尾』や『幾代餅』のようで可笑しい。

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松井今朝子著『円朝の女』(文春文庫)
 
 松井今朝子の『円朝の女』は2008年から翌年にかけて『オール讀物』に連載され、2009年11月に単行本、2012年5月に文庫化された。

 本書では、円朝をめぐる五人の女性が描かれている。

 巻末に春風亭小朝との対談が載っていて、その中の著者松井の言葉から、それらの女性を並べてみる。

(1)気位の高い旗本の娘
(2)円朝の息子を産んでのちに芸者になった人
(3)吉原の花魁
(4)柳橋の名妓から正妻になった人
(5)円朝の最期を看取った娘分

 同じ対談の中で、著者はこう語っている。
松井 円朝に関しては、『三遊亭円朝子の伝』『円朝遣聞』という当時の伝記が残っていて、中にほんの数行、関わった女のエピソードがある。私はそれを思いきり膨らませて書いてみたわけですが、当時の伝記自体はとにかく円朝を「大変な偉人」として書いています。落語家には珍しいくらいの堅気の常識人で、だからこそ貴顕紳士に交われた、という風に書かれているんですけど、私はどう考えても円朝が根っから堅気の人とは思えないわけです(笑)。子供を産ませた人と奥さんは別の女性ですし、亡くなった病気も病気ですし・・・・・・梅毒ですから。そして、人生の最後はかなり逼迫して、経済的に恵まれてはなかったということが、ものすごく印象に残りました。時の権力者と近いところにいた人であるために、持ち上げられてしまったふしもある。それで、その伝記との落差を埋めたい気持ちがありました。

 私も、円朝を過度に偉大な人物として祭り上げることは、出淵次郎吉という等身大の人物を見えにくくさせているように思う。

 きっと、複数の女性との付き合いが並行していた時期があったに違いない。

 そして、できれば、どちらか、あるいはどちらとも関係を清算したい、と「縁切榎」を思い浮かべたことがあったのではなかろうか。

 命日の明日、喬太郎が口演する『縁切榎』というネタから、もてない男の下衆の勘繰りをしていたのであった。

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Commented by ほめ・く at 2016-08-11 16:12 x
今年亡くなった春団治が20代のころは、手帳に100人の女性のリストがあったそうで、円朝の女性関係などはまだ控えめに見えてしまいます。
ほんの一昔前までは、男の女性問題は「醜聞」とは言わず「艶聞」と言ってました。派手な女性関係の男は「艶福家」と呼ばれ、むしろ敬意が込められていました。時代の違いですね。
Commented by kogotokoubei at 2016-08-11 23:01
>ほめ・くさんへ

「艶聞」「艶福家」という言葉も死語化しつつありますね。

 芸能界の不倫問題が過度に取り沙汰されるのは、メディアの劣化、幼稚化の表れなのでしょう。
 「他にネタはないのか!?」と言いたい相手は、落語家に限らない、ということですね。
Commented by 雨休 at 2016-08-12 01:02 x
喬太郎師の『縁切榎』、珍品好きの血が騒ぎ、寄席チャンネルの
放送を逃さず録画しましたが、まぁ、珍しいな、というだけに
終わった感もあり、その後、どのように消化されているのか、
今度の高座に接する方には感想をうかがいたいところです。

大学入学前、さほど落語と接点がなかった頃、既にこの
『縁切榎』という演題は、ほとんど演者のいない噺で
あるにも関わらず、聞き覚えておりました。

たしかラジオでどなたかが演じたものをたまたま聴き、
そのドンデン返し的なサゲが気に入りまして。

その後、いくら調べても資料がなく、半ばあきらめて
おりますが、80年代のニッポン放送「お早う ひがのぼるです」
内の「早起きたっぷり寄席」というコーナーで、正朝師の口演が
放送されたのではないかと思うのですが、これはもう、記憶が
曖昧で自信がありません。

喬太郎師がなぜこの噺を演じる気になったのか、誰かに
教わったのか、喬太郎師以前の演者について、どなたかに
ご教示を仰ぎたいところです。
Commented by kogotokoubei at 2016-08-12 10:36
>雨休さんへ

早めの夏休みで連れ合いの実家越後長岡から返信しております。
さすが雨休さん、このネタをチェックしておられましたか。

喬太郎のこの噺が誰からの伝授なのか、この噺を正朝以外の誰が持ちネタにしているのか、など、残念ながら私も存じません。

昨日、実際にお聴きになられた方や、このネタについて情報をお持ちの落語愛好家の方などから、何らかのコメントをいただけることを期待しましょう!
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by kogotokoubei | 2016-08-10 21:38 | 落語のネタ | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛