噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

渥美清が語っていた、河原者の覚悟ー『おかしな男 渥美清』の対談より。

 渥美清、本名田所康雄没後二十年。

 つい、関連する本をめくってみる。

 昨年記事に書いた本も、再読すると、新たな発見がある。

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小林信彦著『おかしな男 渥美清』(新潮文庫)

 小林信彦の『おかしな男 渥美清』は、新潮社で平成12(2000)年に単行本が発行され、平成15(2003)年に文庫化。
 巻末に著者小林信彦と小沢昭一さんの「渥美清と僕たち」と題する対談が載っている。

 永六輔さんの『芸人』について書いた記事で、次の文を引用した。
 かつて「河原者」と呼ばれた「ヤクザ」「女郎」「芸人」。
 「ヤクザ」は男を売り、「女郎」は身体を売り、そして「芸人」は芸を売るというかたちで、生産手段を持てない人たち。

 香具師はヤクザと同一ではないが、芸人と同様「生産手段を持たない」河原者であることには変わりがない。
 
 以前桂米朝について書いた記事で、『落語と私』の、次の締めの部分を紹介したことがある。
 わたしがむかし、師匠米団治から言われた言葉を最後に記します。
 『芸人は、米一粒、釘一本もよう作らんくせに、酒が良(え)えの悪いのと言うて、好きな芸をやって一生を送るもんやさかい、むさぼってはいかん。ねうちは世間がきめてくれる。ただ一生懸命に芸をみがく以外に、世間へお返しの途(みち)はない。また、芸人になった以上、末路哀れは覚悟の前やで』

 米団治が米朝に伝えたかったことも、河原者としての覚悟をしろ、ということなのだろう。


 この対談で、まさに、渥美清という人が河原者という言葉を十分に認識していた役者、末路哀れは覚悟していたことを物語る逸話が語られていた。

職安脇に死す

小沢 あの私生活を、ほとんど完全に隠していたというのは、何なのかなあなんて考えることがあるんです。一緒に帰るときだって、少し離れたところで降りて、家を見せないとかね。何を隠そうとしていたんですかね。本名の田所康雄を見せたくないということもあるでしょうけれども、核心には、何か見せたくない、知られたくないという、梅干しの種みたいなものがあったんじゃないでしょうかね。僕もちょっとその気がないわけじゃないので、彼ほど徹底してやってくれている人がいることで、何となく安心感があったんです。
小林 知り合ったころ、渥美さんからこんな話を聞いたことがあります。なぜか板橋なんですが、「板橋のほうの職安の脇のどぶに頭を突っ込んで死んでいる男がいる。失業者たちが、これは随分前にテレビに出ていた渥美とか何とかいうやつじゃないかって言っている。おれはきっとそういう死に方をする」って言ってましたね。非常に早く、どこかで、人間関係をあきらめているみたいなところがありましたね。何か寂しいんですよ。
小沢 あれはマスコミ嫌いもあったんでしょうね。その頃は何なのかなあなんて思うんですけど。やはり、根堀り葉掘りされるのが嫌だったんでしょうね。
小林 でも、あの人の他人との断ち切り方は、突き飛ばすようですからね(笑)。渥美清は言い方が怖いんですよ。二人きりで話していて、目と目がピッと合ったんです。「おれも以前(まえ)は以前だからよ」って言って、じーっとこっちの目を真っすぐ見たときは相当、怖かったですよ。
小沢 「おれは上野で手鉤(てかぎ)の清って言われてたんだ」って自分で言ってましたね。僕は、「へえー、いいじゃないの」って言ったんですけどね。
小林 私が聞いたのは、「おれは上の人に二つ褒められた。一つは、口跡がいい。もう一つは、おれが他人(ひと)の家の玄関にすっと立っただけで相手が包んだ金を出す」。あまり誇ることじゃないだろうという気がするんですけどね(笑)。
小沢 功成り名を遂げてからは、若いときのことなんかは、おもしろおかしく、笑い話みたいにして話すようになりましたがね。でも、そういう面があるから、あの人のすばらしさがあるんですよ。

 板橋の職安の脇のどぶ・・・・・・。

 それは、河原者としての覚悟でもあっただろうし、将来への不安と両方がないまぜになった感慨だったのかもしれない。


 「男はつらいよ」シリーズの最後の方では、寅さんは、善人すぎる位に描かれる。
 ここ数日放送される特集番組でも、あまりにも、俳優渥美清のことを美しく描き過ぎのように思われてならない。

 私生活を隠すのは、寅さんのイメージを崩さないための配慮だっただろうという観点で評されることが多い。
 
 「おれも以前(まえ)は以前だから」という言葉から、田所康雄がひたすら隠した私生活の内容は、必ずしも“現在”のことだけではなく、“過去”のことも含まれていたように思われてならない。

 しかし、スター渥美清は、それを隠し通すことで、寅さんとして多くの日本人を笑わせ、元気を与え続けてきた。

 それを考えると、今は「芸能人」は山ほどいるが、「スター」はいない。
 今日では、等身大の本人と、その人物が演じるべき役者とが、同一化している。
 マスコミも、知りたくもないプライバシーを取り上げる。


 渥美清没後二十年、本物の「芸人」や「役者」がいない時代、隣の息子や娘のような身近な芸能人ばかりの今の世の中が果たして良い時代なのかどうか・・・そんなことも考えてしまう。

 サラリーマン化した芸能人には、河原者の覚悟など、望むべくもないだろう。

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Commented by ほめ・く at 2016-08-06 15:49 x
役者という点で考えると、渥美清=寅さんで終わってしまったというのは残念な気がします。もっと色々な役ー例えば冷酷な殺人鬼のようなー幅広い演技が出来た筈です。渥美を無理やり寅さんに押し込めてしまったと思っています。
Commented by kogotokoubei at 2016-08-07 07:31
>ほめ・くさんへ

おっしゃるように、あれだけの人気シリーズになったことで、寅さんに徹せざるを得なくなり、渥美清という役者の別な顔を観る楽しみが奪われたのは事実ですね。
他の映画は、ほとんどカメオ出演扱いでしたね。
しかし、その結果48作のお宝を残してくれました。
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by kogotokoubei | 2016-08-06 12:31 | 幸兵衛の独り言 | Comments(2)

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by 小言幸兵衛