噺の話

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『心眼』で思う、いろいろー安藤鶴夫著『寄席』などより。

 昨日は、全生庵で円朝の幽霊画のコレクションが公開されていることを書いた。

 4日の落語研究会では、柳家権太楼が「心眼」、入船亭扇遊が「怪談牡丹燈籠」から「お札はがし」を演じるようだ。
BS TBSサイトの「落語研究会」のページ

 この「心眼」で思い出したことがある。

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 安藤鶴夫さんの『寄席-落語からサーカスまで-』は、ダヴィッド社から昭和32年に発行され、旺文社文庫で昭和56年、「手拭と扇の使い方」の章を割愛の上で発行された。

 ちなみに、私が持っているのは旺文社文庫版。

 この本でアンツルさんは、円朝作品の中でいちばん好きな噺として「心眼」を挙げている。

 「落語」の章「三遊亭円朝」の中で、作品ごとに書かれた中からの引用。
「心眼」の風俗描写
 
 円朝の作った落語の中では、「心眼」がいちばん好きである。
 現在、桂文楽が得意とする落語の一つだが、円朝はこんな風に導入部(イントロダクション)をつけている。
「ものの色を眼でみましても、ただ赤いというのでは、紅梅か、木瓜の花か、薔薇か牡丹か分りませんが、ははァ早咲きの牡丹であるなと心で受けませんと、五色の見分けがつきませんところから心眼と外題を致しましたが・・・・・・」
 大阪町の梅喜という針医、横浜の親切なひとを頼って出稼ぎにいったが、手引きに連れていった弟の松之助と兄弟喧嘩をして、三日目に帰ってくる。弟にバカにされるというのも眼がみえないからだと、茅場町の薬師さまへ願をかける。
 満願の日、両眼が開いて、そこへきあわせた出入りさきの近江屋の旦那に連れられて浅草の観音様へいく。御堂の中で鏡をみる。いい男だ。だれだと訊くと自分なのである。梅喜は役者よりも美男子だが、女房のお竹はまた気立てはまず日本一の女房ではあるが、二た目とみられぬ醜女(しこめ)だと近江屋が語る。

 そして、小春という芸者が登場して・・・と筋書きの説明が続いた後、アンツルさんは、こう書いている。
 円朝はこの「心眼」を、なにかめでたい落語にしているような気がする。いらざる解釈ではあるが、盲人には盲人のしあわせがあるといった主題(テーマ)の如きものが窺えるし、登場人物の名に松竹梅が配され、さらに小春といった女性まで登場する。
  □
 ある時、弟子の二代目・小円朝が「船徳」を喋って高座を降りてくると、円朝が「よく出来た」と褒めておいて、さて、にわか船頭の徳ちゃんの船に乗る二人の客が、観音さまの四万六千日にいくというのだから、そのあとで、吉原という言葉を使わずに、帰りは弁天さまへお詣りをといえば、前の観音さまを受けて、しかも吉原といわずに吉原ということが分って面白いじゃないかといったそうである。
 これだけ働きのあるひとである。自作の人物の名さえ決して疎(おろそ)かにつけてはいない。

 之助 お 

 なるほど、松竹梅か・・・・・・。

 アンツルさんが言うように、円朝が本当にメデタイ噺にしようとしたかどうかは分からないが、文楽のこの噺にまつわる忘れがたい思い出を語った人がいる。
 
 二年前、文楽の命日前日の記事で紹介したが、池波正太郎だ。
2014年12月11日のブログ

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 朝日新聞から発行された単行本『一年の風景』と『新年の二つの別れ』から選ばれたエッセイ集『小説の散歩みち』(朝日文芸文庫、昭和62年発行)から、あらためて引用。

 あの太平洋戦争が終って、海軍の基地から復員して間もなく、私は人形町の〔末広〕で、桂文楽の独演会があるときき、飛んで行った。
 焼野原の東京で、空腹を抱えている客が、ぎっしりとつめかけた中で、文楽は精気にあふれ、たっぷりと「明烏」と「心眼」と「王子の幇間」をやった。いずれも戦時中はゆるされなかったであろうものだけに、文楽も張り切っていたにちがいない。
 助(スケ)は柳家三亀松に円鏡。三亀松もまた、水に帰った魚のように、おもうさま色気を出しての快演だったが、文楽が最後に「心眼」をやって、夢さめた按摩の梅喜が、
「あゝ・・・・・・」
 おもわず、ためいきを吐いたとき、突然、驟雨が寄席の屋根を叩いてきた。
 その雨音に文楽が・・・・・・いや梅喜が凝(じっ)と聴き入ってから、
「めくらてえのは、妙なもんだ。眠っているうちだけ、よく見える」
 しんみりと演じ終えたとき、私は梅喜の胸の内のさびしさに、おぼえず泪ぐんでしまった。
 以前にも何度も聞いた「心眼」では、こんなおもいをしたことがない。
 私も、いくらか大人になっていたのだろうか。
 そしてまた、偶然の驟雨が、文楽の名人芸の、ちょうど、うまいところへやって来て、おもわぬ効果をあげたからでもあろう。
 (文楽の高座を、生きて帰ってきて聞けようとはおもわなかった。おれも生きている、文楽も生きていた・・・・・・)
 その感動をかみしめながら、私は焼け残った下町の一角にある小さな部屋へ帰って行ったのだった。

 落語を聴いて、生きる喜びに感動する、などということは、なかなかあるものじゃない。
 池波さんが感動した「心眼」、噺そのものの内容も優れてはいるが、やはり演じ手である文楽の技量も大きいだろう。

 文楽版は、必ずしも円朝の原作の通りではない。
 たとえば、原作では、女房のお竹が願をかけ、ご利益で梅喜は眼が見えるようになるが、代わりにお竹が見えなくなる。文楽はその件を割愛している。

 また、サゲも微妙に原作とは違っている。
 
 青空文庫にある原作のサゲは、次のようになっている。
青空文庫の「心眼」のページ

 「めくらてえものは妙なもんだなア、寐てゐる中にはいろ/\のものが見えたが、眼が醒めたらなにも見えない」

 文楽のサゲを再確認。
 「めくらてえのは、妙なもんだ。眠っているうちだけ、よく見える」

 この文楽のサゲの方が秀逸だ。

 原作が「なにも見えない」という否定形になって終わるのに比べて肯定的な「よく見える」となっていることと、蛇足とも言える「眼が醒めたら見えない」という部分を割愛している。

 円朝は、弟子の円丸(*永井啓夫『三遊亭円朝』には弟子と書いているが、アンツルさんは『わが落語鑑賞』で円朝の末弟としている)が実際に体験したという話を元に、このネタを創作したと言われる。

 文楽にこの噺を伝えたのは、二代目談洲楼燕枝。
 なんとこの人は、素人芝居に加わった後に、あの初代快楽亭ブラック門下で旅にも出ていたらしい。その後に二代目禽語楼小さん門下となり、その小さんが柳家禽語楼となって兄弟子初代小三治が三代目小さんを継いだので、二代目の小三治を名乗った。
 その後は小燕枝を経て、明治34(1901)年2月、初代燕枝の一周忌に柳亭燕枝を襲名。それから三年後の明治37(1904)年12月に、二代目談洲楼燕枝となった人。
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 私が持っている筑摩書房版の『わが落語鑑賞』において、アンツルさんは、次のように書いている。
 桂文楽の“心眼”は故二代目談洲楼燕枝から授けられたが、円朝の原作がほとんど翳をとどめぬまでに洗い上げられ、深い人間味に溢れている。
 燕枝がだれから伝えられたかはすでに不明だが、とにかく明治三十三年円朝の死後、よほどすぐれた人の手にかかって洗練されたものと思われる。今日わずかながらも残っている落語のすぐれた演出が、決してひとりの苦心や功績ではなく、多くのひとびとの汗と血の練磨によって完成されていくというはなはだよき一例であろう。

 アンツルさんは、文楽や三木助を手放しで褒め上げてきた、という印象が強いと思うが、こういう文章を読むと、特定の人というよりも、落語という芸を深く愛していた人なのだなぁ、と思う。

 この本を久しぶりに読んで、「心眼」が、“多くのひとびとの汗と血の練磨によって完成されていく”代表的な噺である、ということを再認識させられた。

 私が生でこの噺を聴いたのは、さん喬と白酒の二度だけだと思う。
 
 決して演じ手が多いネタではない。
 それは、盲目の人物が主役であるため今日ではかけにくいということもあるが、やはり、難しいネタなのだと思う。

 4日の落語研究会でこの噺を演じる柳家権太楼は、鈴本の今月中席の夜、「吉例夏夜噺 さん喬・権太楼 特選集」の六日目にも主任でこの噺を演じる予定だ。
 昨年7月の「円朝祭」(五代目小さんのマネージャーだった方の事務所が主催)でも演じているようだ。

 朝日名人会の高座はCDで発売されている。
 
 この噺を十八番の一つにしている数少ない現役の噺家さんと言えるだろう。

 そういえば、喜多八の最後の寄席は、権太楼が主任の鈴本だった。

 権太郎も体調を悪くした時期がある。
 一時は心配したものだが、復帰してくれて、寄席を大事にしている姿は、嬉しい限り。
 この噺を練磨し続ける多くのひとびとの中の一人として、権太楼には今後も頑張って欲しいと思う。

 「心眼」という円朝の作品からは、いろんなことに思いが至る。

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Commented by saheizi-inokori at 2016-08-03 09:04
いろいろありがとう。
4日の楽しみが増えました。
Commented by ほめ・く at 2016-08-03 09:37 x
池波正太郎の文中に出てくる「円鏡」は4代目月の家圓鏡(当時は二ツ目)、後の7代目橘家圓蔵でしょう。文楽から破門されていたのが、終戦後に三度目の復帰を果たした直後だったと思われます。
「三亀松もまた、水に帰った魚のように、おもうさま色気を出しての快演だった」とありますが、確かに色気が着物を着ているような芸人でした。ただムラ気があって、やる気がない時に当たると全くダメ。きっとこの日は文楽のスケという事で本気を出していたのでしょう。
それにしても池波さんの体験は、羨ましいの一言です。
Commented by kogotokoubei at 2016-08-03 12:54
>佐平次さんへ

そう言っていただけると、嬉しいです。
お楽しみください。
翌日のブログをお待ちします。
Commented by kogotokoubei at 2016-08-03 12:59
>ほめ・くさんへ

あの、円生の落語協会脱退騒動で、一度は「木に登った」円蔵ですね。
一時、幇間をしていたらしいですね。
三亀松は、晩年の姿をテレビで観ただけなのですが、今思うと得難い芸人さんですよね。

池波さんは、落語も好きな方で、なかでも文楽ファン。
あの本で、この文章に巡り合った時、実に嬉しかったことを思い出します。
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by kogotokoubei | 2016-08-02 22:47 | 落語のネタ | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛