噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

「二十一日」--->「廿一日」--->「昔」ばなしの日。


 今日から、落語協会の新真打披露興行が鈴本で始まる。
 三月二十一日という日が初日になることは、落語の歴史から考えても実に良いことだと、私は勝手に思っている。
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桂文我著「落語『通』入門」(集英社新書)
 
 明治時代のフランス公使館書記官Jules Adamの著『JAPANESE STORY TELLERS』のことでも、いただいたコメントのおかげで引用することができた本だが、桂文我の「落語『通』入門」(集英社新書)は、数多くの文献を元に、噺家の元祖から寄席の成り立ち、そして明治から大正、昭和初期の落語界のことを丁寧に振り返った好著だと思う。
 ただし、私がAmazonのレビューでも書いたことだが、本の題はもう少し検討の余地があったと思うなぁ

 さて、本書の中で、江戸落語の中興の祖と言われる烏亭焉馬と彼が開催した会について、次のように書いている。

 安永末年(1780~81)頃から。大坂の会咄(かいばなし)に刺激を受けて江戸でも会咄が始まりました。
 活動を軌道に乗せたのは江戸落語中興の祖・初代烏亭焉馬で、寛保三年(1743)、江戸・本所相生町の大工棟梁の家に生まれ、本名を中村英祝、通称を和泉屋和助。狂歌の号は「鑿釿言墨曲尺(のみちょうなごんすみかね)」と言いました。
 天明三年(1783)に柳橋・河内屋で行われた狂歌師の集まり「宝合わせの会(滑稽な題材や、いかがわしい物を見立てた茶番、地口の会)で短い噺を二、三席披露して好評を得ました。
「上手いじゃねえか」
「見事なもんだぜ、まったく」
 と、人々が誉めたことに気を良くし、三年後の天明六年(1786)四月十二日、向島の料亭・武蔵屋権三(権三郎)で、自らが主催する第一回目を開催しました。
 この会は木戸銭を取らず、同好の士が集まって発表し合うのが目的で、上方の会咄のように一般からの公募は行いませんでしたが、当日は狂歌師が百人近く集まるという盛況で、参加者が作った小噺は約三百にもなったと言います。
 会場設定にも凝ったようで、座敷に毛氈を敷いて、正面には机を置いた口演席を設け、床の間に桃太郎の掛け軸、その前にはキビ団子を供えるという設(しつら)えが評判を呼び、それ以降もこの形式に従いました。
 その後も「咄の会」は不定期ながら催され、寛政四年(1792)以後は毎年正月二十一日を「咄初め」と称して、料亭で開催されるのが恒例となりました。
 咄初めを二十一日としたのは、廿一日の字を「昔」に見立てた洒落で、「昔ばなし」の意味を含んでいると言います。
 また、毎月二十一日にも、焉馬の自宅などで「定会(じょうかい)」という月例会が開かれました。
 このように、21日は、「二十一日」→「廿一日」→「昔」ばなし、という焉馬の洒落に基づく、実に落語と縁の深い日。

 「6月5日」を「ろくご」→「らくご」の洒落で、「落語の日」という案よりは、ずっと歴史的な根拠がある。
 また、初代三笑亭可楽が、最初の江戸での定席寄席を始めたのが六月ということから、6月1日を「寄席の日」とするイベントもあるが、これも、根拠的にはやや弱い。

 私は、一月二十一日こそ、「落語の日」に相応しいと思っている。

 落語協会の真打昇進披露興行の初日である春分の日に、文我の本を読みながら、そんなことを思っていた。
 

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by kogotokoubei | 2016-03-21 11:45 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

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by 小言幸兵衛