噺の話

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国本武春、精一杯の「寄り道」-『小沢昭一がめぐる寄席の世界』より。

 2月3日に行われた、浅草ビューホテルでの「国本武春お別れ会」には、大変多くの方が集まったらしい。

 私の数え方が間違っていなければ、今日が四十九日に当たる。

 満五十五歳、浪曲界、そして大衆芸能界にとっても、あまりにも惜しい早世だ。

 私は、彼の生の芸を聴いたことはない。
 評判は聴いていたし、「そのうち」と思っていただけに、残念でならない。

 落語愛好家仲間で居残り会メンバーのお一人M女史は、彼のファンであり、懇意にもされていたらしい。

 昨年師走19日の忘年居残り会で、入院した彼のことを心配なさっていたことを、思い出す。

 亡くなった後、Mさんにお悔やみのメールを出したところ、「なぜか武春さんはいつも心配な人でした。元気でいてとお会いするたびに願ってました」と返信があった。

 Mさんが、そう思っていたほど、彼には心配させる何かが、あったということか。

 彼は、2010年の師走にも公演中に倒れて入院し、リハビリをして復帰した過去をもつ。

 とにかく、精一杯に生きてきた人、ということなのだろう。

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『小沢昭一がめぐる寄席の世界』

 小沢昭一さんの名著にある、国本武春との対談から引用したい。

小沢 伝統と現代のなかで悩むということですかな。
国本 たとえば僕ぐらいの年の浪曲師が五、六人いて、俺は新作だとか、俺は古典だとか、こっちはライブハウスでこっちは寄席だとかいうバリエーションがあれば、「それはもうお前に任せた。俺はこっちをやるよ」と言えるんです。でも、結局僕一人しかいないから、自分であっちもこっちもやらなきゃいけない。それで、いまなにをすれば一番いいのかということを考えて、弾き語りなんかをしているんですね。
 やっぱり将来、巡り巡って自分が古典的な浪曲と向き合ったときに、どれだけ水準を上げられるかというのは、今やっている寄り道にかかっているような気がしているんです。その時代までに、お客さんも含めて、どうにか浪曲の機運を少し盛り上げておきたいというか。
小沢 長期戦ですね。
国本 (東家)楽雀先生、(桃中軒)雲右衛門先生の録音を聞いたりするとしびれますし、虎造先生の「次郎長伝」の演出にはなにからなにまで恐れ入る。(京山)幸子若師匠にしても、こんな天才の節はないと思います。ただ、そんなすごい人たちがたくさん出てきて、しのぎを削ることはもうないでしょうから、自分のなかにそのパーツをたくさん入れていって、臨機応変にはいはいと出せるようになりたいと(笑)。今、これが武春節ですよというには、自分としてはまだまだ早いんじゃないかなという気はしているんですよね。
小沢 でも、やっぱり武春節の完成を、遠い目標には置いていらっしゃるんでしょう。
国本 そうですね。

 本書は2004年に朝日新聞から単行本が発行され、2008年、ちくま文庫で再刊された。

 この対談の後半で、9月からアメリカに行く、と語っているから、対談は2003年に行われたようだ。実際にテネシー州を本拠として、約一年、アメリカに行っている。
 中学時代にブルーグラスミュージックを知りフラットマンドリンを弾き始めた、という彼にとって、アメリカ行きは、若い時分からの夢でもあったのだろう。
 ブルーグラスのミュージシャンの中では、ビル・モンローが好きだったらしい。
 私もブルーグラスは好きで、もちろんビル・モンローは好きだなぁ。

 さて、この対談の年、彼は43歳。
 前年にはアメリカでミュージカルに出演し、高い評価を得ていた。
 対談の四年前1999年には、芸術選奨文部大臣新人賞を大衆芸能部門で受賞している。
 浪曲にロックやR&Bを取り入れるなど、それまでの浪曲のイメージを打破し続けていた矢先での対談だと思う。

 「あっちこっち」への「寄り道」と自分で称しているが、それぞれ生半可な「寄り道」ではなかったに違いない。

 この対談の最後の部分を引用する。
 アメリカ行きを知ってからの小沢さんの質問から。

小沢 なるほど、すばらしいなあ。でも、アメリカで生活するのもなかなか大変ですね。
国本 大変ですけど、行動できるのは今のうちかなと思って。もう少したっちゃったら、そういう気も起きなくなると思うので。とりあえず、行けるときに行ってみようかなということですけどね。
小沢 浪花節の途中で、三味線をバンジョーなんかに持ち替えたりするのもおもしろいかもしれませんな。
国本 そうですよね。一つの話を伝えるために、節や楽器を道具として自在に使えればいいんじゃないか。こんな面白い話があるんだよと言いながら、いろんな楽器を弾いたり、わーっと歌ったりする、そういう歌語りはありだと思うんです。楽器を弾いてお話をして、面白いことを言ったり泣かしたりするスタイルを、「ROUKYOKU」として世界に広げるぐらいなことを。
小沢 「ロウ・ミュージック」ですね(笑)。
国本 そうなればいいという気はするんですよね。
小沢 すごい夢をお持ちだと思います。武春さんなら、きっと、実りが多いでしょう。新しいフシモノ、語り物の出現。私としては期待満々です。今日はいいお話をありがとうございました。

 ある人の人生について、「生き急ぎ」という言葉は、できれば使いたくない。
 しかし、あまりにも多くのことに興味を示し、それぞれに高い目標を定めて、前人未到の道を歩もうとしてきた国本武春には、「生き急ぎ」と形容せざるを得ないような気もする。

 世界の「ROUKYOKU」という発想をした浪曲師は、他にいないだろう。

 調べてみたら、「J-Popworld」という海外のサイトで、2009年のインタビュー記事を見つけたので、ご興味のある方はご覧のほどを。
「J-Popworld」サイトの該当記事


 彼はアメリカで、自分がリーダーとなってブルーグラスのバンドをつくって演奏していたようだ。

 バンド名は「Takeharu Kunimoto & The Last Frontier」。

 バンド名の、「ラスト・フロンティア」は、直訳したら、「最後の未開拓地」。

 世界の「ROUKYOKU」への「開拓者」は、自分が(最初で)最後、という思いで名付けたのではないだろうと思うが、今後も「世界」を目指す浪曲師は、なかなか現れることはないだろう。

 たしかに、彼の存在は、浪曲師だけ、三味線師だけでは、表現しつくせないようだ。

 やはり、「ROUKYOKU」ミュージシャン、かな。

 “今やっている寄り道にかかっている”と自分に言い聞かせ、「浪曲」を脱し世界の「ROUKYOKU」を目指していた、国本武春。

 彼は、精一杯「寄り道」を駆けていたのだろう。

 唯一無二の「ROUKYOKU」ミュージシャンであった国本武春のご冥福を、心よりお祈りする。


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Commented by kanekatu at 2016-02-11 09:50
国本武春の芸風は従来の浪曲の範疇を超える芸で、彼の死は芸能界全体の損失です。
あまりの早い死に残念でなりません。
(ほめ・く)
Commented by kogotokoubei at 2016-02-11 10:25
>ほめ・くさんへ

おっしゃる通り、それぞれ固有の芸の壁を打ち破った唯一無二の芸だったのでしょうね。
「まだ、いつでも聴ける」と、タカをくくっていて生で聴かなかったことを悔いるばかりです。
Commented by saheizi-inokori at 2016-02-11 21:35
私は何とか間に合いました。
もう一度聞きたかったな。
Commented by kogotokoubei at 2016-02-12 12:20
>佐平次さんへ

能、狂言も含め、「間に合っていない」ことが圧倒的に多いです。
音源や映像は残っていますが、やはり、生ですよねぇ。
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by kogotokoubei | 2016-02-10 22:36 | 幸兵衛の独り言 | Comments(4)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛