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大西信行、正岡容との出会い-『東京恋慕帖』の鼎談より。

 大西信行の訃報に接してから、関連する本を読みなおしている。

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正岡容『東京恋慕帖』(ちくま学芸文庫)

 正岡容の『東京恋慕帖』は、昭和23年に好江書房から初版が発行され、平成16年に、ちくま学芸文庫で再刊された。

 佳き時代の東京のことを、著者ならではの筆致で描く内容なのだが、川柳や俳句がほどよく挟まれていて、飽きることがない。

 「口上」が桂米朝、「序歌」を吉井勇、という豪華な顔ぶれ。

 その「序歌」の一つを紹介。

団子坂に観潮楼のありし頃いまも恋ふなりこの書(ふみ)を読み

 ちなみに、Amazonを確認したら、『落語無頼語録』と同様、唯一のレビューはブログを始める前に私が書いたものだった。

 この文庫の巻末に桂米朝、小沢昭一さん(この方には“さん”を付けるのだ)、そして大西信行という三人の正岡門下生の鼎談がある。
 
 この本は、この鼎談だけでも価値がある、と思っているくらいだ。

 ブックレビューを書いた頃は、お三方とも、ご健在だったのだなぁ・・・・・・。

 鼎談から、大西、そして小沢さんが正岡と初めて会った時に関する会話を引用したい。

米朝 だいたい気の弱い人でしたからね。大きな声をはりあげるっていう人は気が弱い。
小沢 僕らも初めて行ったときは、とってもやさしく迎え入れてくれましたネ。あれは、どうだったんでしたかね、僕はもうウロ覚えなんだけど。
大西 戦争が終わって、新宿の末広亭が友の会式の会員組織を作ろうと思ったんです。
小沢 そうそう。末広会って会でしたネ。そいで三十一日に特別な会を開いてね。
大西 いや、三十日会ってのをやったんです。
米朝 ミソカ会ってやつネ。
大西 だけどその前にだね。末広会ってのを作って、会員になると優待券が出ますよなんかいって客を集めた。真山恵介さんが当時末広亭の支配人で。そこへ落語の好きな僕だの昭ちゃんが入り込んだわけですヨ。ある年の正月に、今でも憶えてるけれど七十円の会費で末広亭の新年会をやった。
小沢 あのねー、末広亭のはす前のなんとかっていう店・・・・・・。
大西 仙力とかいう。
小沢 そう、その仙力の二階。
大西 二階ってあそこは平屋だったんだよ。トントン葺きの、奥の座敷で。
小沢 アー、二階なんかまだ建てられない時代だったかね。
大西 七十円の会費というのは高かった。
米朝 その時分はねエ。
大西 ヤミの酒が出て、ヤミの料理が食えるっていうんですけどね、とても中学生の小づかいで払える会費じゃないんだが、当時うちでヤミの商売したりしていて、それをぼくも手伝っていたから、ドサクサまぎれに札をポケットへねじ込んだり出来た。中学生はもちろん、大学生探したって、ぼくのほかにやアいませんよ。貴重なヤミ酒が一人一人についているけど、子供だから、飲めない。
米朝 いまかてあんた飲めん人や。
大西 どうぞぼくの分、あがってくださいってやると、大人は喜ぶわけですヨ。じつにどうも感心な学生さんだって(笑)。
小沢 文楽さんが、僕等にね、今のお若い学生さんで落語が好きとは、これは見上げたお志って、ね。
大西 そう。文楽さんが正岡に“こちらはいずれ先生のとこへ行く方ですよ”と例の口調ですよ。
小沢 そうそう例の口調で。
大西 いってくれた。そしたら、ウフッなんていって、正岡が、“拙宅へもチトお遊びにいらっしゃい”と名刺をくれた。正岡が好きでよく著書の目次なんかに使っていた宋朝体の活字で正岡容と刷ってある、すっきりしたいい名刺でね。

 その後、あの文楽に「見上げたお志し」と持ち上げられた二人は、市川にあった正岡の自宅を訪問することになる。

 市川市のサイトによると、下記に引用したように、正岡が市川に住んでいたのは、昭和二十年から二十八年の頃らしい。
市川市サイトの該当ページ

正岡 容 まさおか・いるる 小説家・演芸評論家
1904(明治37)~1958(昭和33)
〔1945(昭和20)~1953(昭和28) 市川市真間在住〕

 戦前から、和田芳恵(わだよしえ)(1906~1977)、歌人・吉井勇(よしいいさむ)(1886~1960)らと交流のあった正岡容が、市川に越してきたのは、1945年(昭和20)11月、川柳作家・阪井久良伎 (さかいくらき)(1869~1945)の世話によるものでした。
 19歳で発表した「江戸再来記」(1922)が芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)に認められる一方、寄席(よせ)芸能、落語、浪曲などの創作・研究活動を多く行いました。
 『随筆百花園』(1946・昭和21)、『荷風前後』(1948・昭和23)には、転居した市川での生活模様や、永井荷風をはじめとする交友関係が、感慨深く描かれています。
 また、弟子の中から、演芸評論家・小島貞二(1919~2003)らが、活躍しました。

 文中の阪井久良伎は、『東京恋慕帖』の中にも掲載されているが、三代目金馬『居酒屋』のマクラで有名(?)な、「居酒屋も ひと刷毛塗って バーとなり」の作者。
 
 この記事にあるように、『びんぼう自慢』の小島貞二さんも正岡門下生。
 昭和22年から55年間市川に住み、名誉市民でもあった。
 だから、正岡門下となるには、地の利もあったのだろう。

 大西と小沢さんが市川を訪ねた後、麻布中学の友人である加藤武も仲間入りする。

 二人の中学生が、ヤミ酒が売り物で決して安くない会費の新年会に参加したことで、文楽が「例の調子」で正岡容への橋渡しをしてくれたのが、正岡門下生となるきっかけだったなんて、なんとませた中学生であり、なんとまぁ贅沢な出会いであったことか。

 大西信行も小沢さんも、正岡門下になっていなくても、あれだけの業績を残すことは出来たのだろう。

 しかし、中学時代、あの敗戦後間もない末広亭の新年会での文楽や正岡との出会いは、その後の正岡門下生としての交流につながり、間違いなく、お二人の人生をより豊かなものにしたに違いない。

 テレビ番組のお題じゃないが、「その時、歴史は動いた」のだ。

 それにしても、この鼎談、肉声が聞こえてきそうな気がする。
 会話の“間”なども、なんとなく分かるように思え、楽しい。
 末広亭の新年会の場所に関し、小沢さんが「仙力の“二階”」とおっしゃったら、大西が「平屋」と否定する件では、『転宅』のまぬけな泥棒と煙草屋のおやじとの会話を連想してしまった(^^)

 先日紹介した、『落語無頼語録』の著者プロフィールの一部を、ふたたび引用する。
1932年 麻布中学に入学して、小沢昭一、加藤武、堺正俊(フランキー)たちふしぎな級友おおぜいを得た。

 なんともすごい顔ぶれが、同級生にいたことだろう。

 今頃は、天国で同級会の最中か。
 
 この顔ぶれでは、ネタは尽きそうにないなぁ。

Commented by kousagi at 2016-01-28 00:01 x
この本も入手困難で残念ですが、図書館で借りられそうなので、ぜひ読みます。

あの世(地獄?)の同窓会、句会、落語会はさぞ盛況でしょう。好きな俳優さんが次々と他界してしまった歌舞伎も。
もう少しこちらに居残って楽しみたいところですが。
Commented by kogotokoubei at 2016-01-28 08:58
>kousagiさんへ

発行されて十年も経つと、新刊書の通常の書店では入手できにくくなりますね。
古書店のチェーンが増えるはずです。
図書館も、かつてより混んでいるのではないでしょうか。

たしかに、天国寄席は最近凄い新人(?)が増え続けていますね(^^)
Commented by kousagi at 2016-01-28 22:27 x
地獄?と書いたのは、米朝師匠にちなんで「地獄八景亡者の戯れ」が頭にあったのでしたが、皆さんもちろん天国で名人芸を披露されていることでしょう。
Commented by kogotokoubei at 2016-01-29 09:25
>kousagiさんへ

分かっておりますよ!
閻魔さんが羨ましい(^^)
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by kogotokoubei | 2016-01-27 20:33 | 落語の本 | Trackback | Comments(4)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛