噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

円楽の羊羹で思う、いろいろ。-『志ん生のいる風景』などより。

 年末に放送されたTBSの「赤めだか」について書いた記事に、多くの方からコメントを頂戴した。

 その中で、師匠である五代目円楽役として出演した当代の円楽が羊羹をかじっている場面について、私が知らなかったこの謎(?)を解く、貴重な情報をいくつかいただいた。
 あらためて、コメントいただいた皆さんには感謝します。
 また、コメントの内容を元に記事にすることを、お許しのほどを。

 いただいたコメントによると、高田文夫も本に書いているようだが、五代目円楽が羊羹を丸かじりしながら弟子を叱ることは、落語界では結構有名なことだったらしい。

 また、上方の落語愛好家の方からは、放送直前に談春が行った独演会の高座のまくらで、当代円楽の強い希望であの場面が演じられたことが明かされた、とのこと。

 いただいたコメントによる情報なのだが、私は、コメントをいただいている方々を信頼しており、まったくその内容を疑うことはない。

 そこで、それらの情報を元に思うのだが、なぜ、当代円楽は、師匠のそういった性癖を演じようとしたのか・・・大いに疑問だ。

 噺家に限らず芸能の世界に住む人々は、一般人からすると奇妙にしか思えない性癖や行動をする人が少なくないだろう。
 
 噺家は、その“芸”で評価されることはあっても、その芸人としての高座以外での発言や行動は、あくまで個人としての“物語”であり、芸とは別物である。

 もちろん、同じ人間が行うことなので、高座の芸と、本人の私生活での物語を厳格に分けて見ることは難しいかもしれない。

 たとえば、私にしても円生については、本や仄聞によって受かぶ山﨑松尾という人物像が好きになれず、つい、落語という芸についても敬遠しがちだった。

 しかし、それは間違いなのだ、と最近になって気づき、あらためて音源を聴き、その名人芸に感嘆している。
 
 だから、芸を正当に評価する妨げにすらなる“物語”の公表について、特に周囲の人々は冷静に考慮する必要があると思う。

 しかし、例外もある。


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矢野誠一著『志ん生のいる風景』

 高座も私生活も、その存在すべてが落語家、という人物がいるとしたら、志ん生しかいないだろう。

 矢野誠一さんの『志ん生のいる風景』は、昭和58年に青蛙房で単行本が発行され、昭和62年に文春文庫の一冊となった。

 冒頭、昭和48年9月21日、矢野さんが、たまたま約束があって訪問した毎日新聞で志ん生の訃報を知り、その場で追悼文を書くことになったことが書かれている。
 翌日、同紙に掲載された追悼文の一部を本書から引用。

 落語という芸の魅力は、演者の語り口にこそあるので、物語というものは、それに付随したものにすぎないと、かたくなに信じているぼくにとって、志ん生の存在は、落語そのものであった。「火焔太鼓」や「らくだ」のおかしさは、決してはなしの面白さではなくて、志ん生というひとの発想そのものにあったので、こういう落語家は、そう簡単に出るものではない。

 矢野さんが書くように、志ん生はまったくの例外、本来は“語り口”こそ魅力であり、その芸が演じられる高座をのみ評価すべきなのであって、私生活の“物語”は、付随したものでしかないと思う。

 だから、テレビという実にあけっぴろげな媒体において、当代円楽が、そんなことを知りたいとも思わない視聴者も多くいるだろうに、師匠のある“物語”を演じたことの意図が、まったく解せない。

 落語愛好家にとってさえ、羊羹を丸かじりしながら弟子を叱っていたという逸話は、五代目円楽の芸を評価する上では無用なことだ。

 そもそも、あのドラマの本筋において、師匠役の当代円楽に限らず、本人役の小朝も昇太も必然性がない。もちろん、原作には個々の名前は登場しない。
 関連する部分は、風邪をひいていて、せっかく家元が稽古をつけてやると言ったのに断ったことを、家元(など?)が周囲に吹聴したため、多くの落語家が知ることになった、と書いているのみ。
 彼らは“カメオ”出演というやつで、いわばお遊びなのだ。
 遊びなら、もっと粋に演じて欲しいではないか。

 とはいえ、芸人の“物語”への興味は、もちろん私も持っている。
 その好奇心は、だいたいは本を読むことに向けられる。

 『志ん生のいる風景』から引用。

 「落語界」という季刊雑誌の1974年(昭和49年)の11月晩秋号は、「五代目古今亭志ん生特集号」とあって、宇野信夫、三遊亭円生、坊野寿山の三人による「志ん生のヒラメキ人生」なる座談会を載せている。三遊亭円生が満州時代の志ん生を語っているのは当然のことだが、そのなかにこんな発言がある。
<円生 満州(むこう)で、いかにも志ん生らしいと思ったことがあるんです。新京であたしに女ができたんですよ。金も持っているし、ご馳走になったりしていたが、興行はもうできない、日本へも帰れない。新京のホテルに泊っていたんだけど食い物は悪い、待遇もよくない。そこで志ん生と国井紫香と女のホテルに移っていろいろと世話になって・・・・・・。そのうち国井だけ飛行機で先に帰りまして、二人で二人会なんぞをやってて、ある日奉天へ行くことになった。朝、俥(ヤンチョ)を注文したんだけど一台しかきてくれない。十歳年上の志ん生に「お乗んなさい、あたしゃ駅まで十五分ぐらい駆けるから」てんで志ん生を乗せ、駈込みンところはあたしの手提げかばんを乗せて駅へ向かった。発射まぎわの汽車にやっと間に合って。さて向こうへ着くと「おい松っちゃん(円生の本名・山崎松尾)二円五十銭おくれ」てんですよ。「え?二円五十銭って何だい?」「俥へ乗っかったじゃねえか」「どこで?」「さっき汽車に乗る前に」「あれはキミが乗ったんだろ」「五円とられたよ」「五円ぐらいとるだろう」「だから二円五十銭おくれよ」「だってキミが乗った俥に、どうしてオレが二円五十銭払うんだい」ってたらね「キミのかばんを乗っけてやった」(一同爆笑)。
 宇野 オモシロイね!(笑)。
 円生 どう考えても理屈がわからねェ(笑)。
 坊野 真面目(まじ)なの?
 円生 冗談でも何でもない。
 宇野 まじめなだけオカシイ(笑)・
 坊野 理屈つけるところがうまい、ちょいといえないよ(笑)。
 円生 駆込みにかばん乗っけて、引っ張ったのは俥屋だよ、と説明して
    やったら、あとでよく考えてから「いらないよ」ってそういった(笑)。
 坊野 当たり前だよ(笑)。>

 志ん生追善の座談会の席でなされているだけに、とぼけた志ん生の人柄を面白おかしく伝えようとつとめているのがわかるのだが、おなじはなしを円生は自分の弟子にしばしば語っていたときは、とてもこんな調子ではなかったらしい。あるときなど、
「志ん生の奴は、きたない」
 とまで口汚くののしったそうで、ここまで根にもたれては、志ん生も立つ瀬がない。
 もっとも志ん生のほうも、三遊亭円生という落語家を決して好いてはいなかったふしがある。この満州時代、NHKの局員としてやはり大連にいた森繁久弥に、
「あんただってちょっと稽古すれば、円生くらいにはじきになれるよ」
 と、当の円生のいる前ではなしかけ、若い森繁をあわてさせたことがあるという。
 少なくともおなじ友だちでも、桂文楽や八代目三笑亭可楽のことを語る時のような親しさをこめて、円生を語る志ん生についぞふれたことがなかった。野武士のような生き方をして自分の位置を築きあげてきた志ん生にとって、五代目三遊亭円生の養子として、子供のときから寄席の高座にあがっている「寄席育ち」のエリートは、所詮はなしのあう相手ではなかったのかもしれない。

 真面目に「かばん代、二円五十銭」を要求するところは、まったく落語である。
 なるほど、矢野さんが思うように、志ん生は、高座も日常生活もすべてが落語家。


 書物で知る芸人の“物語”は、本を読むという主体的な行動が前提なのであって、勝手に放送されるテレビでの受け身の姿勢とは同列では語れない。

 こういった本で知る芸人の逸話、物語は、それはそれで興味深い。

 きっと、志ん生のことを「きたない」と思った楽屋雀は多かっただろうし、円生のことを「ぼんぼん」と陰口をきいた同業者も少なくなかったに違いない。

 しかし、噺家として評価されるべきことは、それらの物語ではなく、高座なのである。

 ドラマ「赤めだか」のことに戻るが、あの「羊羹」に疑問を感じた人が、その背景を知ることで、果たして、それは五代目円楽という芸人さんを理解する有効な手がかりになるのだろうか・・・・・・。
 もっと言えば、羊羹の逸話を知る必要そのものが、あったのだろうか。
 楽屋受けすればいい、というのが当代円楽の腹だったのかもしれないが、テレビでは内輪の内緒話にとどまらず、多くの視聴者に見えてしまうのだ。
 「洒落だよ、洒落!」と言うかもしれないが、対象は自分の師匠なのだ。

 私は、付随的な“物語”を不適切に明るみにすることは、芸を真っ当に評価することの邪魔になるだけではないかと思う。
 もちろん、師匠を敬っての行動とは思われない。

 実に野暮なことをしたものだ、と思う。

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by kogotokoubei | 2016-01-05 12:59 | 幸兵衛の独り言 | Comments(0)

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by 小言幸兵衛