TBS「赤めだか」を見て。
2015年 12月 30日
TBSサイトの同番組ページは、こちら。。
TBSサイトの「赤めだか」のページ
原作の『赤めだか』については、拙ブログ「落語の本」カテゴリーの第一回に、短い文章ながら取り上げた。
2008年6月11日のブログ
この本については、Amazonのレビューも書いていたのだが、一時、同書のレビュー覧が何者かに荒らされたために、レビュー記事を削除した。
どんなことがあったのかは記事にも書いたので、ご興味のある方はご覧のほどを。
2009年7月1日のブログ
また、志らくの『雨ン中の、らくだ』が発行された後、この二冊が、同じ時期の同じ事柄について、どのように書いているかを中心に、三回に分けて記事を書いた。
2009年3月14日のブログ
2009年3月15日のブログ
2009年3月16日のブログ
このドラマについて、記事を書こうか書くまいか、少し迷ったが、やはり書くことにする。
結論から。
まったく期待外れであった。
こう書くと、何に対しての小言か分からない人もいるだろう。
原作は、次のように始まっている。
本当は競艇選手になりたかった。
家の近くに戸田競艇場があって、子供にくれるお菓子が楽しみで父親にせがんで日曜日になると連れていってもらった。競艇場で食べるチョコフレークは格段にうまくて、僕にとってこの世で一番上等のお菓子だった。
原作において、競艇は実に重要な要素。
加藤峻二という伝説の選手に憧れていたのだ。
しかし、ドラマでは登場しない。
脚本家なのか、原作者なのか、その理由は分からない。
なぜ、ドラマ化にあたって、競艇という重要な要素を外したのか・・・・・・。
そして、次に、志らくのこと。
ドラマでは、彼は独身のお婆ちゃん子。
しかし、原作が描く姿は、違う。
志らくには学生結婚した女房がいた。女房さんは、あまり体が丈夫でなく外へ働きに出ることができない。二人で喰ってゆくためにも、女房さんに余計な心配をかけないためにも、二ツ目になって稼ぐしか志らくには道はない。
志らくがバツイチだろうが、この時代に、彼の環境は、こうだったのだ。
なぜ、談春の人生で重要な競艇が外され、志らくが妻帯者であったことが外されたのか・・・・・・。
たけしが談志役であったことから、このドラマが本来の姿にはならないだろうとは察していたが、原作とは余りに違う設定には、驚くばかり。
原作の良さを生かすことより、今の談春や志らくにとっての“都合”を優先したように思えてならない脚色だった。
期待していた方が“赤めだか”だったのか・・・・・・。
SPドラマ「赤めだか」を見ました。 TBSにて 28日 9時からやってました 立川談志に入門してから、二つ目昇進落語会までの立川談春の物語 もともと この本は売れていたし知っていたけど、読んだことはなく 談春さんも などで知ってはいたので見てみましたが・・・ ま...... more
ほめていた人もいますが。
余りにも作り物臭が激しいので途中で止めてしまいました。
TV番組(特に民放)なんてのはいい加減な物ですねぇ。
理解を深める為に虚構の挿話を挟む程度ならば許容出来ますけれども、原作とは全く別の物語を作ってしまうのですもの。「演出」の範囲を超えた「別物」でしたね。
まぁ、出版物は残る物、TV番組はその場で消える物、と言う事なのでしょう。
矢張りエンターテイメントは「実演」に限りますね^^;
幸兵衛さん、来年もまた「現場」でお会いしましょう。そしてまた様々ご教授を下さいますようお願い申し上げます。
佳い新年をお迎えください。
ほめていた人は、原作を本当に読んでいるのでしょうか。
睡眠時間二時間で朝の新聞配達に行って間違えて新聞を配り苦情電話の嵐になったり、二ツ目披露の費用を稼ぐために行った競艇場で、つい船券を買うことができず、一日中競艇場で佇んでいたり、といった場面にこそ、原作の魅力があると思うのです。
まぁ、期待してはいけないドラマでした。
やはり、落胆されましたか。
たけしでは個性が強すぎて談志を演じるのは難しい、とは思っていましたが、あれだけ原作から離れてはいけませんよね。
競艇のことや志らくが妻帯していたこと以外にも肝腎な部分が抜けています。
たとえば、赤めだかの水がめに麩を丸ごと入れてしまう談秋の姿なども描いて欲しかったのですが、どうも、奇麗ごとばかりにしてしまいましたね。
過去を再現して欲しくない人もいるのでしょうが・・・・・・。
来年も、こちらこそよろしくご指導ご鞭撻のほどを!
愛読者の一人として、来年も記事を楽しみにしています。
どうか良いお年を。
雪のない越後の正月です。
昨春、思い切って拙ブログを引越しましたので、新居(?)で迎える最初の正月です。
多くの落語愛好家の方がご覧になっていると思うと、いい加減なことは書けないプレッシャーもありますが、やり甲斐もあります。
有難いことです。
同じ落語会に、ほめ・くさんがいらっしゃるかなぁ、と思うと、ほめ・くさんならどんな感想をお持ちになるかなぁ、といつも考えて書いております。
本年も、よろしくお願い申し上げます。
原作と映像化された作品との乖離は常につきまとう問題ですね。
難しいもんです。
リリー・フランキーの演じた敵役の演芸評論家がどこか昔の石橋蓮司みたいでクールでした。
圓楽(先代圓楽役)、なんで羊羹を齧る?
「うまいぞ、羊羹」(寝床)?
本年もよろしくお願い申し上げます。
脚色はあって当然なのですが、原作から引かれたもの、あるいは足されたものが何か、ということが気になります。
あの林という評論家は、当時の立川流への周囲の見方の一つの典型を象徴させたのでしょうから、違和感はありません。
記事で書いたような重要な要素を隠すような筋書きには、どうしても納得できない性分でして、これは生涯治らない病気のようなものでしょう(^^)
円楽の羊羹・・・・・・なぜでしょうねぇ?
昇太や小朝も、出演する必然性があったのかどうか。
まぁ、テレビは、そんなものなのでしょう。
期待する方が、間違いだった、ということですね。
羊羹の件ですが、ある方が教えてくれました。
高田文夫『笑芸人しょの世界』(双葉新書)によれば、
先代圓楽は弟子に小言を言おうと家に集めた時、おカミさんが切ろうとしていた羊羹をバナナのようにむきながら一本食べてしまい。周囲を唖然とさせたんだとか・・・
たしかに談志と交流の深かった小朝にはもう少しドラマの本筋に絡んでほしかったと思います。
そういえば、喬太郎も出ていたかも。
ほう、そうでしたか。
八五郎は「十本も食べると、げんなりする」ようですが、先代円楽なら、食べれるかな(^^)
三代目小さんと初代円遊に関する漱石の評ではないですが、たけしは談志を演じようとしても、あくまでも“たけし”なので、キャスティングから無理があったと思います。
談春と志らく役の二人の落語に高い評価があるようですが、あれくらいは、役者なら驚くほどではないでしょう。
新年早々、貴重な情報ありがとうございます。
貴重な情報ありがとうございます。
しかし、当代圓楽が演じたいと言ったこと自体は、私には感心できません。
まず、このドラマの本筋とはまったく無関係です。
噺家や芸人には、常人には理解できない性癖や行動をする人は少なくないわけで、そういった陰の部分があるから陽もあるのでしょう。
あえて、弟子がそんな陰の側面をテレビという媒体で曝け出す必要があったのかどうか。
いずれにしても、当代圓楽が出演する必然性もありませんでした。
人それぞれでしょうが、私は、そう思います。
本年も宜しくお願いします。
私、昨日やっと録画したのを見ました。幸兵衛様のブログやコメント、また、年末に出掛けた落語会のマクラで話題に出ていたのでいまいちだとは思っていました。キャストの感想を言うと、兄弟弟子の配役はまあまあ、談志役のたけし以外に、吉田鋼太郎や遠藤憲一など適役がいるはずだろう。そして、チョイ役で出演した小朝、圓楽、昇太は不要で、築地で修業した菅商店の女将さん役の坂井真紀は談春つながりがみえみえというところです。
こちらこそ、本年もよろしくお願いします。
談志役、挙げられた二人、少なくとも、たけしよりは良いでしょう。
たけしは、あくまでたけしにしか見えなかった・・・・・。
あのドラマと原作(事実)との差異は、たくさんありました。
築地の修行は、文字助の後援者となるお店であったことや、もっとも稽古をしてもらった談四樓のことが、まったくふれられませんでした。
原作で良かった志の輔以外の兄弟子たちとの交流が、抜けていたわけです。
現在の立川流の政治的(?)な思惑が嫌らしいくらいに見えてしまったのも、がっかりした要因の一つです。
都合よく歴史を塗り替える為政者のような、印象を受けました。
そういう内容には本人の意向も強く働いているように思うので、残念です。