噺の話

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『尻餅』で思う、その昔の餅つきのことなど-『落語歳時記』より。

 23日の祝日、近所の幼稚園で恒例の餅つきをしていた。
 途中から雨に降られて早めに中断しただろうが、子供たちにとっては、実に良い体験だったに違いない。

 先日の三田落語会で、春風亭一朝の『尻餅』を楽しんだ。

 長屋の夫婦は、一軒だけ餅つきをしていないことが恥ずかしく、女房の尻を臼に見立てて餅つきをしている様子を演じるわけだが、文字通り体を張り、見栄を張ったわけだ。

 我が家でも、近所のお菓子屋さん(団子屋さん、かな)にお願いしていたことを思い出す。
 商売をしていたので、暮れは何かと忙しく、とても自分のうちで餅つきをする状況ではなかった。
 豆餅が結構多かったように思う。
 汗が出るほどのストーブ-薪ストーブも石炭ストーブも懐かしい!-に網を置いて、冬の間、どれほど餅を焼いて食べただろうか。
 黄粉や砂糖と醤油、ちょっと贅沢に海苔で巻いて、など。

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矢野誠一著『落語歳時記』(文春文庫)

 座右の書の一冊である矢野誠一さんの『落語歳時記』(昭和47年読売新聞より『落語 長屋の四季』として単行本発行、平成7年文春文庫より改題し再刊)の冬の章に、『尻餅』が取り上げられている。
餅つき   黄昏れて餅つく騒ぎ止みにけり

尻餅(しりもち)

     「着物はまァしょうがないとして、近所はみなもう餅搗いて
     てやし。
     戸口のの徳さんまなはれ、あと月(げつ)、あれだけ思うて、
     つまらんつまらん言うてたかて、やっぱりちゃんと一斗の餅でも
     搗きゃはるやないか、二軒目のお芳っさん、女やけれども
     甲斐性者や、五升の餅も搗いてはる」
                                       『尻餅』

 世のなかも、なにかとせちがらくなってきて、店の払いも月払いならいいほうで、むかしのように盆、暮れの二度払いなんてわけにはとてもいかない。それだけに、歳末風景もかなりかわって、年が越せないなどというまえに集金されてしまうから、年越しの切実感からはいや応なく解放された。大晦日を過ぎてさえしまえば、勘定というやつ、取るほうも、取られるほうも休戦協定みたいなものが、自然に成立してしまうむかし式のやりかたにも、それなりのかけ引きの妙があって、なかなか捨て難いものなのだが。


 この後のネタの概要説明に続き、昔の餅つき事情などについて書かれているので引用したい。
 いまでこそ、歳末になると、米屋や菓子屋の店先に「ちん餅うけたまります」のはり紙が出て、家々を注文とって歩いてくれるから、『尻餅』のように、なれない芝居を演じてまで見栄をはることもなくてすむ。だがこれが大正から昭和にかけた頃までは、どこでも餅つきの音が聞こえるとあって、せめて人なみのことはしたい庶民にとっての餅つき、かなり切実な問題であったに相違ない。
 その時分、ちょっと金のある家の餅つきとなると、出入りの鳶の者は無論、ひいきにしている相撲とりから、幇間や落語家という、あまり餅つきには役立つちそうにない藝人衆まで、手伝いに参上したものである。

 「ちん餅」は「賃餅」で、搗き賃をいただいて餅をつくということだ。

 幇間の一八などが、旦那によいしょで、餅つきの掛け声だけをかけている様子が想像できるではないか。
 相撲取りは、今でも相撲部屋の近くの商店街などで餅つきをしているようなので、貴重な師走の年中行事と言えるだろう。

 矢野さんは、この後に斉藤茂太の『精神科医三代』から、青山脳病院の炊事場での餅つきの様子を引用した後、『東京年中行事』から、次のような文章を紹介している。
「ちん餅でも引きずり餅でも先ず搗かせる方はいいが、本当の貧民などになると、それもかなわぬ。けれども、こうした連中に対しては又相当の方法があるもので、さすがに東京だと思うところがある。試みに、押しつまった三十日か大晦日の晩あたり街頭にのぞいて見ると、平素から縁日の市の立つような処は、どんなところでも年の市が立って、そこには色んな飾りもの店が揃っている上に、神棚や仏壇に上げるべきお鏡餅の店迄がちゃんと出ている」
と記されている。
 いまでこそ、どんな家でもちん餅屋専門で、わざわざ臼や杵を持ち出して餅をつくのは、それこそ相撲部屋か、幼稚園の先生の、園児へのサービスぐらいになってしまった。いまや、金持ちといえども、ついこのあいだまで「世間へ恥じし風俗」や「本当に貧民など」のやることを、じつに堂々と恥じることなくやっているわけだ。
 もっとも、そのちん餅屋にしてからが、いちいち、杵を振りあげて「ペッタン、ペッタン」やっていたのでは商売にならない。糯米をセイロで蒸しあげるのから、それを餅状につきあげるまで、すべて機械の世話になる。そうしてつきあがった餅が、ビニールに包装されて、各家庭の台所にとどくまでの過程の、どこをさがしても、あの「ペッタン、ペッタン」というなつかしい音のしないのが、現代の餅つきなのである。
 寒空に、「ペッタン、ペッタン」という音がしみ通るからこそ、また正月が来るという感慨もわくし、「はやくうちも餅をつかねば」とはやる気持ちにさせられるわけで、そうした音が去ってしまって、ただあわただしいだけの当節流の年の瀬では、あの『尻餅』のもの哀しさは理解できないくなるかもしれない。

 今では、スーパーやコンビニに、いわゆる「切り餅」が山積みされている時代。

 『尻餅』のように体を張って見栄を張る必要性はなくなった。

 だからこそ、こういった噺を継承することが、大事なのだと思う。

 今夜は旧暦11月15日で満月。

 月ではウサギさんが餅つきをしている、なんていうメルヘンも、そのうち話題に上らなくのかもしれない。

 さて、ウサギを見に、ちょっと一服、と思ったが、あら小雨が降ってきた。
 餅つきには、力水も必要、ということか。

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Commented by 山茶花 at 2015-12-31 17:09 x
今日は大晦日。先ほどまで録音していた関西のラジオ落語番組「茶屋町MBS劇場」の「除夜の雪」と「住吉詣り(箒屋娘)」を聞いておりました。ふと先日の「赤めだか」の事を検索してこちらへたどり着きました(「赤めだか」については他の方と同じですので横に置いておきます)。
http://www.mbs1179.com/rakugo/  ←MBS劇場webです。

「尻餅」といえば、私にとっては枝雀さんの「尻餅」が思い出されます。おかみさんが子供の為にお正月用の着物を縫っている姿が印象的でした。亭主がちりとりを持って、蒸した餅米を運ぶ様子等笑えるシーンが多く好きな噺です。

今はお弟子さんの文之助さんが枝雀尻餅を引き継いでおられます。この噺を艶笑噺的に演ずる人もおられますが、枝雀一門は滑稽話として演じられているので、子供が聞いても大丈夫です。

「賃搗き屋さん」という商売、私は全く知りませんが、先日ラジオで関西のベテランフリーアナ桜井一枝さんが「私の子供の頃は、まだ賃搗き屋さんが年末に来てお餅を搗いてくれた」と言われていました。この事から、昭和30年代迄はまだ賃搗き屋さんという商売があったんだと推測されます。農家にとって良い年末アルバイトだったそうです。

私が子供の頃は、お餅と言えば「お饅頭屋さん」で買う物でした。生の丸餅(関西は丸餅とのし餅)を買って餅箱に入れていました。後に電動餅つき器が発売されて、それで搗いた(実際には機械でこねた)お餅でした。

落語の「尻餅」は、おそらく木の臼でしょうね。石臼では、持ち運びが重すぎてムリでしょうから。「除夜の雪」も年末の噺ですが、こちらは「尻餅」に比べて悲しいです。
Commented by kogotokoubei at 2016-01-01 09:46
>山茶花さんへ

明けましておめでとうございます。
私の子供時代も、「お饅頭屋さん」で搗いたお餅でした。
「尻餅」の臼は、女房次第で木の臼の場合もあれば、石のような臼の場合もあるかもしれませんね(^^)

ラジオの落語を聴かなくなって久しいので、今年は聴くようにしようかと思っています。
そして、生の上方落語も昨年よりは聴きたいものです。

本年も、上方からの楽しいコメントをお待ちしています。
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by kogotokoubei | 2015-12-25 21:01 | 落語のネタ | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛