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杉浦日向子さんが語る、蕎麦と蕎麦屋での“大人”の憩い。

 “Japanese Soba Noodles”という名のラーメン屋さんにミシュランの星が付いたことに端を発して、蕎麦のことを書いた。

 せっかく蕎麦について記事を書くのなら、やはり杉浦日向子さんの本から紹介しないわけにはいかない。
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杉浦日向子著『大江戸美味草紙』

 まず、『大江戸美味草紙(むまそうし)』(新潮文庫)から、引用。
新蕎麦は物も言わぬに人が増え

 江戸っ子は無類の蕎麦好きだ。新蕎麦の時季になると、宣伝もしないのに、蕎麦の香りに吸い寄せられるように、店の前へ行列が出来る、と言った句だ。

 江戸初期、精進料理の珍味として供せられていた「蕎麦切り」が、庶民食の代表となったのは、江戸も半ば、安永年間のこと。蕎麦切りとは、今われわれが思う蕎麦の姿で、製麺された、あの、するするっとたぐるやつだ。
 上方の「麦切り(うどん)」を真似、蕎麦粉につなぎを入れ、平たくのして切ったので「蕎麦切り」。それまで、蕎麦と言えば、蕎麦の実の殻を剥いたものを、そのまま炊いたり、「ぞうすい」や「かゆ」にしたか、蕎麦粉を熱湯でこねて生醤油で食べる「そばがき」か、それを「すいとん」か「ほうとう」のように具だくさんの汁で煮込むかが、一般的な蕎麦の調理法だった。

 「麦切り」を真似、ということは、「蕎麦切り」より、うどんの方が世の中に登場したのは早い、ということだなぁ。
 
 他の本で、杉浦さんは、「鍋焼きうどん」が、江戸時代を通じて江戸っ子の人気メニューだったと書いている。(亡くなった後に編集された『うつくしく、やさしく、おろかなり』(ちくま文庫)の201ページ)
 冬の定番、ということだね。

 さて、江戸の蕎麦(蕎麦切り、のこと)について、杉浦さんはこう書いている。
 江戸の蕎麦は、第一に「もり」。しかもその量が極端に少ない。五寸のセイロに、麺の輪を六つ盛る。もれは「蠅がくぐれるほどの」隙間があり、ひと山(一箸分)三、四本。六箸で一枚食い終える勘定だが、なんの、ぐるっと箸を掻き回せば一枚一口だ。それを麺の下三分の一「つゆに顔を見せて」(どっぷりとつけてはいけない。江戸前のつゆは辛いのだ)、ツ、ツーとすすり込む。ズルズル、モグモグはご法度。ツー、ツーとほとんど噛まずに、蕎麦の香りと、喉ごしを楽しまなくてはならない。

 これが、「江戸の蕎麦」の食べ方の基本、ということであろう。

 江戸時代の蕎麦について、別の著書からも引用したい。

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『杉浦日向子の江戸塾 笑いと遊びの巻』

 PHPから2008年に単行本、2011年に文庫で発行された『杉浦日向子の江戸塾』は、以前にも何度か紹介している。

 この本からは、今回は、いまや法政大学の学長さん、田中優子との対談部分を少しだけ引用。
田中 それから江戸と言えば、蕎麦ですね。
杉浦 安永の頃(1772~81)には蕎麦番付も出てますし、黄表紙にも蕎麦論争がよく出てくる。
田中 ただ、蕎麦もいまと違って、わりとぶつぶつ切れたもののようでした。
杉浦 切り込みに近いんじゃないですか。江戸っ子は、蕎麦にはネギよりも陳皮(ちんぴ、みかんの皮を干したもの)や大根おろし、七味唐辛子を入れることを好んでいた。ネギを入れるのが一般的になったのは明治以降だそうですね。江戸っ子は、盛りにしてネギを入れたのは田舎者だと言ってます。

 えぇ、陳皮ですか!
 陳皮と聞いて『紙屑屋』を連想する落語愛好家の方も多いでしょうね(^^)

 先日書いた記事へのコメントで、福井では大根おろしで蕎麦を食べるのが定番とのこと。
 結構、江戸っ子が越前にわたって“おろし蕎麦”を流行らせたのかもしれないねぇ。
 でも、信州でも食べるなぁ。鬼平外伝「正月四日の客」の「さなだ蕎麦」を思い出す。大根おろしではなく、「ねずみ大根」の辛い汁で蕎麦を食べるんだったなぁ。
 全国各地で蕎麦が古くからの重要な食べ物で、消化によい大根と一緒に食べるという知恵は、至るところで存在した、ということか。

 さて、江戸っ子にとっては蕎麦は盛り、種物どころかネギさえ邪道、ということだろうが、杉浦さんご自身は、もっと柔軟に蕎麦、そして蕎麦屋さんを楽しんでいた。

 杉浦さんが、それぞれのお蕎麦屋さん自慢の品で一杯、という“憩い”の時間を大事にしていたことを物語る本もある。

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『もっとソバ屋で憩う』(杉浦日向子とソ連)

 『もっとソバ屋で憩う』(新潮文庫)は、最初平成11年に発行され、三年後、内容を大幅に増補改訂してあらためて発行された本。
 副題が「きっと満足123店」としてある。ちなみに最初の発行では101店。

 紹介されているお店は関東地域を中心だが、旅で出会った蕎麦屋さんや関西のお店もいくつか紹介されている。
 だから、いわゆるグルメ本的な印象を与えるが、そんな安直な内容(?)ではないことを、まえがきで杉浦さんは次のように明確に記している。

-まえがき-
 グルメ本ではありません。おとなの憩いを提案する本です。
 ソバ好きの、ちょいとばかし生意気なこどもは、いますぐ、この本を閉じなさい。十年はやい世界ってものがあるのですよ。
 腹ペコの青春諸君も、もう、この先を読まなくていいです。諸君の胃袋を歓喜させる食べ物は、ほかにゴマンとあるはずです。
 デートや接待に、使える薀蓄はないかと、データ収集のつもりの上昇志向のあなた。この本は期待に添えません。さようなら。

 ほらね。グルメ本じゃないのです!
 では、どんな本なのか
 上述した「子ども」ではない大人に向かって、杉浦さんは問いかける。
 さて、残った皆様。
 最近、ほっと安らいだのは、いつ、どこでですか。会社と家庭以外で、自分の時間を実感したのは、いつ、どこでですか。頑張らない、背伸びしない、等身大の自分に還れたのは、いつ、どこでですか。そんな居場所を、日常のなかで持っていますか。
 たまにはといわず、ちょいちょい憩いましょう。ぼちぼち、うまくサボリながらやりましょう。だって、私たちは、もう十分におとななのですから。

 こういう言葉をかけられて、「そういえば、憩いなんかないなぁ」としみじみ自らを振り返るのは、私だけじゃないでしょう!
 まえがきは、次のように締めくくられている。
 ソバ屋で憩うのは、いかがですか。
 この本は、ソバを批評するものではありません。ソバ屋という、身近なオアシスを楽しむ本なのです。
 それでは、つたないナビゲートではありますが、これからの頁(ページ)が、あなたの安らぎの一助となれば、幸甚です。

 こういう趣旨の本なのだ。

 昨日も、テニスの後、いきつけの蕎麦屋で仲間と一杯やった。締めはカレー南蛮。

 蕎麦屋で“Sober”(しらふ)ではいられない私にとって、この本はミシュランなんて問題にならない貴重な情報を提供してくれる。

 紹介されているお店のことについては本書で実際に確認してもらいたいので割愛。
 発行されてから十年以上経っているので、中には閉店していたり、引っ越ししているお店もあるかもしれない。

 しかし、江戸、落語、蕎麦がお好きな“大人”の方を読者と想定し、本書にある杉浦さんのエッセイやコラムを、今後いくつかを紹介していくつもり。これらの内容は、何年経っても色褪せないからね。

 つい、「蕎麦のこと」というカテゴリーも作ってしまった。
 江戸、落語との関連も含め、書いていくつもり。

Commented by saheizi-inokori at 2015-12-08 09:50
そういえば蕎麦屋の一人酒、なかんずく昼下がりの。
ずいぶんやってません。
現職の時の方がやってたなあ。
隠居していつも憩っているってことか。
Commented by kogotokoubei at 2015-12-08 19:32
>佐平次さんへ

あらためて杉浦さんの本から蕎麦のことを再確認すると、やはり日本人は蕎麦、一杯やるなら蕎麦屋だと思います。
ぜひ蕎麦屋での憩い、ご一緒しましょう。
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by kogotokoubei | 2015-12-07 21:01 | 蕎麦のこと | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


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