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池波正太郎や岡本綺堂と、そば。


 ミシュランの星が付いたラーメン屋さんが、店名の前に「Japanese Soba Noodles」としていることに、小言を書いた。

 あらためて、日本人にとって蕎麦、および蕎麦屋とはどんな存在だったのか、少し考えた。

 昨年11月、初めて神田連雀亭に行った際、池波正太郎のまねをして、落語を聴く前に連雀亭のすぐ近くの老舗まつやに立ち寄り、もりと熱燗を味わったことを書いた。
2014年11月8日のブログ

 池波正太郎は、『散歩のとき何か食べたくなって』で、次のように書いている。
私がよく足を運ぶ神田・須田町の蕎麦屋〔まつや〕には、この一品がメニューにあって、それがまた、うまい。うまいといえば 〔まつや〕で出すものは何でもうまい。それでいて、蕎麦屋の本道を踏み外していない。だから私は、子供のころに連れて行かれた諸々の蕎麦屋へ来ているようなおもいがする。そのころの蕎麦屋の店構えが 〔まつや〕 には残っている。

この一品とは「カレー南ばん」のこと。
池波は、もちろん、「もり」も好きだったのだが、天ぷら蕎麦などから蕎麦をぬいて、汁と種物だけにした「ぬき」で一杯やるのも好んだようだ。

 しかし、池波より先輩の蕎麦好きが池波の姿を見たら、きっと、顔をしかめるのだろう。

 青空文庫にある、岡本綺堂の『綺堂むかし語り』というエッセイから引用する。
 なお、この章は、昭和2年『サンデー毎日』に掲載された内容らしい。
青空文庫の該当ページ

そば屋

 そば屋は昔よりもいちじるしく綺麗になった。どういうわけか知らないが、湯屋と蕎麦そば屋とその歩調をおなじくするもので、湯銭があがれば蕎麦の代もあがり、蕎麦の代が下がれば湯屋も下がるということになっていたが、近年は湯銭の五銭に対して蕎麦の盛もり・掛かけは十銭という倍額になった。もっとも、湯屋の方は公衆の衛生問題という見地から、警視庁でその値あげを許可しないのである。

 私たちの書生時代には、東京じゅうで有名の幾軒を除いては、どこの蕎麦屋もみな汚きたないものであった。綺麗な蕎麦屋に蕎麦の旨いのは少ない、旨い蕎麦を食いたければ汚い家へゆけと昔から云い伝えたものであるが、その蕎麦屋がみな綺麗になった。そうして、大体においてまずくなった。まことに古人われを欺あざむかずである。山路愛山氏が何かの雑誌に蕎麦のことを書いて、われわれの子供などは蕎麦は庖丁で切るものであると云うことを知らず、機械で切るものと心得て食っているとか云ったが、確かに機械切りの蕎麦は旨くないようである。そば切り庖丁などという詞はいつか消滅するであろう。
 人間が贅沢になって来たせいか、近年はそば屋で種物を食う人が非常に多くなった。それに応じて種物の種類もすこぶる殖えた。カレー南蛮などという不思議なものさえ現われた。ほんとうの蕎麦を味わうものは盛か掛を食うのが普通で、種物などを喜んで食うのは女子供であると云うことになっていたが、近年はそれが一変して、銭のない人間が盛・掛を食うと云うことになったらしい。種物では本当のそばの味はわからない。そば屋が蕎麦を吟味しなくなったのも当然である。

 今日、最悪な店は、汚くて、まずい店ということになるだろう。
 そして、岡本綺堂が言うような、小汚くて旨い店が、実に減ったと思う。
 だから、最悪な選択を避けるためにも、小綺麗な店を求めるようになる。

 種物について、綺堂先生厳しいねぇ。「カレー南蛮」なんてぇものは、女子供の食べ物、と嘆いている。
 綺堂先生が、池波が「ぬき」を食べていたら、いったいどんな感想をもらしたことか(^^)

 ちなみに、岡本綺堂は明治5(1872)年生まれ、池波正太郎は大正12(1923)年生まれでほぼ50年の開きがあるので、このエッセイが掲載された昭和2(1927)年、綺堂55歳、池波4歳。綺堂が亡くなった昭和14(1939)年、池波は、まだ16歳だ。株屋に奉公していた頃だろう。

 綺堂先生、この後に、饂飩のことを書かれている。

 地方の人が多くなった証拠として、饂飩を食う客が多くなった。蕎麦屋は蕎麦を売るのが商売で、そば屋へ行って饂飩をくれなどと云うと、田舎者として笑われたものであるが、この頃は普通のそば屋ではみな饂飩を売る。阿亀(おかめ)とか天ぷらとかいって注文すると、おそばでございますか、饂飩台でございますかと聞き返される場合が多い。黙っていれば蕎麦にきまっていると思うが、それでも念のために饂飩であるかないかを確かめる必要がある程に、饂飩を食う客が多くなったのである。
 かの鍋焼うどんなども江戸以来の売り物ではない。上方では昔から夜なきうどんの名があったが、江戸は夜そば売りで、俗に風鈴そばとか夜鷹そばとか呼んでいたのである。鍋焼うどんが東京に入り込んで来たのは明治以後のことで、黙阿弥の「嶋鵆月白浪(しまちどりつきのしらなみ)」は明治十四年の作であるが、その招魂社鳥居前の場で、堀の内まいりの男が夜そばを食いながら、以前とちがって夜鷹そばは売り手が少なくなって、その代りに鍋焼うどんが一年増しに多くなった、と話しているのを見ても知られる。その夜そば売りも今ではみな鍋焼うどんに変ってしまった。中にはシュウマイ屋に化けたのもある。
 そば屋では大正五、六年頃から天どんや親子どんぶりまでも売りはじめた。そば屋がうどんを売り、さらに飯までも売ることになったのである。こうなると、蕎麦のうまいまずいなどはいよいよ論じていられなくなる。

 綺堂先生が現在の蕎麦屋に入ったら、さぞ、驚かれるだろうなぁ。

 紹介したエッセイを読んでも、日本人にとって馴染み深く、代表的な麺類は、蕎麦であることは間違いない。

 私は、まだ「ぬき」を頼んだことがないが、ぜひそのうち焼き海苔と「天ぬき」か「鴨ぬき」で一杯やりたいと思っている。

 種物など付けず、本寸法に蕎麦を味わうのもいいが、やはり、蕎麦屋で旨い酒を飲む、池波の世界に強く惹かれるからだ。
 
 ラーメン屋さん、とりわけ行列ができるようなお店で、ラーメンで酒を楽しむなんてぇことはできない。
 
 また、行列のできるラーメン屋の中には、会話を禁じたり、やたらと緊張感を煽る店があるようだが、そんな店には行く気になれない。
 奢るわけではないが、こっちは客なのである。「黙って食え」という空気のある店は、ラーメン屋だろうが蕎麦屋であろうが寿司屋であっても、行こうとは思わない。

 食事をする空間は、できれば酒を楽しむ場所でもあって欲しいし、そこには、おのずと連れの友人や、その店で出会った人々との会話があってこそ、楽しめるというものではなかろうか。

 「食文化」という観点からも、蕎麦、そして、蕎麦屋が日本人の心の故郷ではないかと、つくづく思う。

 
Commented by saheizi-inokori at 2015-12-03 21:51
トンカツ蕎麦なんてないのですが、トンカツのヌキとでもいうようなもので熱燗をやるのはいいですよ。
学生時代、倉敷の友人のところに遊びに行って「そば食おう」といわれてついていったら中華そばでした。
いったいに関西はうどん文化ではないでしょうか。
Commented by kogotokoubei at 2015-12-04 08:47
>佐平次さんへ

トンカツで熱燗・・・なるほど。
今度、やってみましょう。
倉敷では「そば」=「中華そば」なのでしょうかねぇ。
関西での学生時代は、麺と言えば饂飩でした。
鰊蕎麦も美味いと思ったことはなかった。
しかし、関東は、やはり蕎麦ですね。
できれば、細麺でツツーッとたぐる、というのがよろしいかと。
年内は難しいかもしれませんが、そのうちぜひ神田の蕎麦屋にご一緒しましょう!
Commented by 福井の人 at 2015-12-04 23:29 x
福井では、おろしそばが極めて美味です。
だけど安心するのは福井や武生の駅そばなんですね。
出張の帰りはこれで気が落ち着くのです。
Commented by YOO at 2015-12-05 00:32 x
ご無沙汰しました。美味しそうな匂いにつられて久々にお邪魔します。
私も蕎麦が大好きなのですが、勘違いの江戸っ子気取りで、一杯飲んでからもりで締めるのが本当の蕎麦っ食いだと気取っていました。
でも実はまわりの皆さんが食べている種物が気になって仕方ありませんでした。
天南蛮やら、かき玉やらと少しずつ手を出していますが、本当はカレー南蛮が食べたくて仕方ないのです。くだらない見栄ですがなんか一線を超えてしまうような気がしてなかなか実現しません。
ちなみに私が好きでよく行くのは神田まつやの吉祥寺支店です。
デパートの中の店ですが、内容は本店と一緒です。のんびり出来て気に入っています。
Commented by kogotokoubei at 2015-12-05 08:18
>福井の人さんへ

おろし蕎麦ですか、美味そうですね。
駅そば、私も嫌いではないです。
かつて出張や外出が多かった時期、昼食を食べてすぐでも、駅そばを見つけると、つい寄ってしまうほどでした。
食べると安心する、というのが故郷の味なのでしょうね。
海外出張から帰国する飛行機で出されるカップ麺が、どれほど美味しく感じることか。あれこそ、星三つです(^^)

Commented by kogotokoubei at 2015-12-05 19:40
>YOOさんへ

「カレー南蛮」の一線超え、ですか(^^)
ぜひ、超えてください。
私は、まつやではまだですが、他の蕎麦やさんで、よく食べますよ。
やはり、日本人は蕎麦屋で一杯ですよね。
そのうち杉浦日向子さんと「ソ連」の本のことも記事で書くつもりです。
Commented by saheizi-inokori at 2015-12-08 09:52
単なるトンカツではないですよ。
トンカツをそばつゆで煮たようなものです。
Commented by kogotokoubei at 2015-12-08 19:34
>佐平次さんへ

いわゆる「カツ煮」のようなものですかね。
あれも肴になりますねぇ。
日本酒のみならずビールにも合うかな。
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by kogotokoubei | 2015-12-03 21:27 | 蕎麦のこと | Trackback | Comments(8)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛