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ざま昼席落語会  林家正雀・林家彦丸 ハーモニーホール座間 8月8日

 通算191回目は、正雀と弟子彦丸の会。
 通常308席の会場は、八割ほど埋まっていたかと思う。後で分かるのだが、結構、正雀ファンがいらしたようだ。

次のような構成だった。
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(開口一番 柳亭市丸『真田小僧』)
林家彦丸 『伽羅の下駄』&踊り「ずぼらん」
林家正雀 『怪談乳房榎』
(仲入り)
林家正雀 『紙屑屋』&踊り「奴さん」「姉さん」
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柳亭市丸『真田小僧』 (15分 *14:00~)
 6月の市馬の弟子の会でも聴いている。
 笑ってくれるお客さんにも救われていたが、なかなか悪くない高座。私と同様、鼻づまり気味の声は、夏風邪かな。この人、結構、スジは良いと思う。達者な兄弟子に囲まれている。将来を期待しよう。

林家彦丸『伽羅の下駄』&踊り「ずぼらん」 (21分)
 落語協会の二ツ目で香盤が一番上、来春の真打昇進が決まっている人なのだが、ようやく聴くことができた。
 なるほど、この高座なら、真打昇進に、まったく異論はない。
 ネタは、大師匠八代目正蔵の十八番だった噺。
 滅多に聴くネタではないので、マクラで江戸時代の耳掃除屋のことをふった際は、「あくび指南か」と思っていた。しかし、金魚屋、いわし売り、焼き芋屋などのことをふって、それぞれ結構な売り声を聞かせてくれてから、ようやく、「そうか、豆腐屋が出るな!」とネタが判明。
 豆腐屋の六兵衛さんは、趣味が吉原を冷やかすこと。しかし、大家から、早起きは三文の徳、早くから起きて表を開ければ、いいことがある、と言われ、朝早くから商売に励むようになった。
 朝早くから、その六さんの店を、一人の身なりの良い侍が訪ねた。侍は、昨夜飲み過ぎたので水を飲みたい、と言う。豆腐屋は水が命。自慢の井戸の水を柄杓に汲んで差し出すと、侍は、美味いとお替わりをした。侍は礼をしたいと言って、六さんの家の古い草履をもらって、代わりに自分の下駄を置いて行った。
 この下駄からは実に良い香りがするので、六さん、大家に持って行った。
 大家が言うには、「六さん、この下駄は、伽羅で拵(こしら)えてある、片方で百両、両方で二百両はするよ。この下駄をくれたのは、仙台公に違いない」、とのこと。
 早速、大家さんから聞いた話を女房に聞かせた六さん。うれしくて、思わず笑いだす。「キャラ(伽羅)、キャラ、キャラ」。すると、女房も笑って、「ゲタ、ゲタ、ゲタ」で、サゲ。
 サゲは、何とも凄い地口(^^)
 この噺では、彦丸の物売りの売り声がなかなか良かった。焼き芋屋の、生の芋、ふかした芋、油で揚げた芋の声の違いなども楽しかったし、十三里や八里半などの言葉が登場するのも嬉しい。寄席の踊り「ずぼらん」も、おどけた坊主の仕草に味があった。
 良い意味で古さを感じさせる今どき珍しい真打が来春誕生するのだなぁ、と思う。実に結構なことだ。

林家正雀『怪談乳房榎』 (59分)
 盛大な拍手に迎えられて登場。会場には、正雀ファンが多かったようだ。
 「せっかくの季節ですので、怪談乳房榎を十二社(じゅうにそう)の場面まで演りますから、よろしくお願いします」に、また拍手。
 結論から言うと、定評のある高座に初めて出会うことができ、これまで、あまりこの人を聴いていないことを反省した。


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森まゆみ著『円朝ざんまい』(文春文庫)

 この噺なので、森まゆみ著『円朝ざんまい』から、引用したい。
 原作の冒頭部分。正雀も、ほぼ同じ内容で語り始めた。
 高田砂利場村の大鏡山南蔵院の天井へ雌竜雄竜を墨絵で書かれました菱川重信といふ絵師の先生は、このお方は元秋元越中守様の御家内で、二百五十石お取んなすった間与島伊惣次といふお人でございました・・・・・・
 重信は、絵師として武士の扶持より稼いでいることを侍仲間で嫌味を言われることもあり、絵師として独立した、と正雀は説明。

 重信のことや美人の女房のことについて、『円朝ざんまい』より続ける。
 お武家上りの絵師というわけで、三十七歳、美男ではないがなんとなく上品、すまいは柳島、土佐狩野はいうに及ばず、応挙、光琳の風をよくのみこんで、浮世絵の方では師宣、長春を見破って、大変生き生きとした絵を描く。この御家内のおきせがまたすこぶる美婦で、年は二十四だが、器量が好いせいか二十歳くらいにしか見えません、といわれると、女は年かァ、とぼやきたくなるが、十七、十八番茶も出花、二十すぎればうば桜、二十四、五ともなれば大年増という江戸時代の話である。人生は短く、人びとは前だおしに生きていた。役者の瀬川路考に似ているというので、柳島路考とよぶ。この路考は文化七年(1810)まで生きた三代目瀬川菊之丞のことだろうか。若女房をやらせたら江戸随一といわれた色女形である。
 むつまじい夫婦は何不自由のない暮らし、そのうちおきせが「酸っぱいものが喰べたい」。この一言で懐妊になりなすったとわかり、一子が生まれる。重信先生ころころ喜ばれました。付けた名前が間与島真与太郎というのがヘンテコだけど。

 この幸せいっぱいの家族、真与太郎が生まれて二か月後の三月、向島の桜を見に、下女や下男を連れて出かけるのだった。そこは、この家族に不幸をもたす人物たちとの遭遇の場だった。

 円朝作品では、たびたびお世話になる「はなしの名どころ」さんから、この噺の筋書きを引用したい。( )の数字は管理人が追加した。
「はなしの名どころ」さんサイトの該当ページ


(1)梅若忌の見染め
 宝暦2(1752)年1月1日,真与太郎誕生/3月15日,浪人の磯貝浪江,梅若詣の途中,小梅で地紙折りの竹六に会う.おきせを見かける-磯貝,竹六に絵師菱川重信の弟子入りの世話を頼む-17日,弟子入り/5月5日,万屋新兵衛ら,南蔵院の天井に龍の絵を注文-7日,正介同道で南蔵院へ赴く

(2)おきせ口説き
 柳島の留守宅へ竹六と浪江が遊びに来る.酒飲んで竹六は帰る.浪江は空癪を起こして残り,おきせを口説く.断られると真与太郎に刃を向け情交/これが度重なり2人は馴染みになる

(3)早稲田の料理屋
 6月6日,浪江,南蔵院を訪問-正介を馬場下の料理屋に誘い,酒を飲ませ,叔父甥の約束をする-すると突然,重信を殺したいと相談.正介は断るが,殺すと脅され,やむなく手伝う約束

(4)落合の蛍狩り
 正介,重信を落合の蛍狩りに連れ出す-薮に隠れていた浪江が重信を斬る.正介もやむなく木刀で撲る-南蔵院に重信が襲われたと報告に戻ると,なぜか重信は寺にいるという-龍を描き上げると重信の姿がかき消える/竹六,きせの再婚をすすめる-きせ,浪江夫婦に

(5)十二社の滝の亡霊
 1753年7月きせ妊娠-9月乳が上がる-20日,浪江,再び正介を脅し,真与太郎を殺せを命じる-やむなく真与太郎を新宿十二社の滝に投げ込むと,滝に重信の亡霊が現れ,真与太郎の養育と仇討を命じる-正介,新宿で泊まり合わせた万屋の女房にもらい乳-板橋赤塚村の姪を頼る.松月院の門番となり,ひそかに真与太郎を養育

(6)赤塚村乳房榎
 1754年,万屋の女房,乳が出ず,夢のお告げに従い,赤塚村白山権現を訪ねる-乳房榎の霊験の噂が広まる/1756年6月,竹六松月院へ,正介と再会.おきせの子,死ぬ.きせの乳に腫物ができる-治療のため榎の乳をもらい帰宅-榎の乳をつけると一時回復するが,夢に重信の亡霊が現れ,なおいっそうの苦しみ-乳にたまった膿を抜くために浪江が小刀で突くが,誤って深く刺す.傷口より鳥が飛び出し,きせ死亡.浪江狂乱-竹六,見舞いに訪れる.そこで浪江,正介の居所を聞き出す-7月12日,正介,真与太郎に真実を告げる-浪江,赤塚に現れる-真与太郎に重信の亡霊が差し添え,錆び刀で浪江を討つ

 正雀は、(5)までを約一時間で語ったので、(1)はあっさりと地で語り、(2)(3)(4)を肝心な部分のみで進めて盛り上げ、(5)の十二社につないだ。
 何と言っても、正介が真与太郎を滝に投げ込んだ後に現れる重信の亡霊が秀逸だった。
 『円朝ざんまい』から引用する。

 正介、「堪忍なせえ」と腰を抜かす。重信は朗々と浪江、おきせの罪状を述べ、

    「今に彼奴等はわが怨恨其身に付き纏ひ、苦痛をさせた上身は
    八つ裂きにしてくれんが、汝とても其の通り、仮初にも主を殺せし
    大悪人、骨を砕いても飽足らやつ、此の所で殺すのは安けれど、
    今汝を殺しては、此の真与太郎を養育して我敵を討つて鬱憤を
    晴すものなければ、命を取る事は免して遣わす・・・・・・」

 そのかわり、翻心して真与太郎を育てあげ、わが修羅の妄執を晴らさせてくれよ、といってすやすや寝ている真与太郎を正介に託す。
 文字ではうまく伝わらないが、重信が滝から現れる場面、そして、この台詞の凄みと子への愛情の迸る様が、実に見事だった。
 これまで、重信殺しを中心に聴いた高座はあるが、これまでではもっともこの噺を堪能できた高座、迷わず今年のマイベスト十席候補とする。

林家正雀『紙屑屋』&踊り「奴さん」「姉さん」 (23分 *~16:09)
 仲入り後、絽の涼しげな着物に着替えて再登場。このあたりが、喜多八や鯉昇とは違う(^^)
 ネタは、これまた、評判の良さを耳にする噺を初めて聴くことができた。短縮版かもしれないが、十分に楽しんだ。
 若旦那が紙屑の中から拾う「小咄」の本、「都々逸」や忠臣蔵など「芝居」の本、「新内」「義太夫」の本などを素材に、変幻自在、たっぷりある引き出しから芸を繰り広げる高座は、もう少し長めに演じてくれれば、マイベスト十席候補としたいほどのもの。
 そして、寄席の踊りでは、師匠彦六の声色で「奴さん」、成駒屋(歌右衛門)の声色で「姉さん」を演じてくれた。会場のお客さんから、ほどよい間で「林家」、「成駒屋」の声がかかったのも、結構だった。

 
 終演後、駅に向かう道すがら、ああ、正雀という噺家さんは、こんなに凄かったのか、と感慨を新たにしていた。そして、彦丸も、その師匠の芸、大師匠のネタを継いでくれそうなのが、嬉しかった。また、彦丸も含め、三味線の田中ふゆ師匠を正雀が伴って来たからこそ楽しめた寄席の踊りであったなぁ、とも思う。
 
 その夜は「寅さん」を見ながらつい飲みすぎ、翌日も、テニスの後に飲みすぎたため、記事公開は二日後になってしまったのであった。


Commented by ほめ・く at 2015-08-10 10:34 x
正雀は噺家の基本と言うべき音曲、踊り、芝居の所作を身につけてる、今では数少ない一人です。本当はこの人が正蔵を継いで欲しかったのですが。
Commented by kogotokoubei at 2015-08-10 12:19
>ほめ・くさんへ

私にとって正雀は、聴かず嫌い、とでも言える状況でした。
過去に寄席で聴いた高座に、あまり良い印象がなかったせいなのですが、なるほど、ご指摘の通りで、伊達にあの師匠の元で修行した方ではないですね。
地域落語会で、たっぷりネタを演じることができるので、こういう高座にも出会えるのだと思います。
また、彦丸もこれまで聴かなかったことが不思議ですが、二ツ目さんが活躍する場が寄席で限られていること、開口一番はその時期の前座さんが務めるから、未見の二ツ目さんも多いのですよね。
連雀亭などが、重要であることを再認識した次第です。
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by kogotokoubei | 2015-08-10 09:56 | 落語会 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛