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富札は、いくら?-「まんまこと」シリーズ『こいわすれ』などより。

 落語には、富くじに関するネタが、いくつかある。

 『御慶』『宿屋の富』『富久』『水屋の富』など。

 これらの噺における富札一枚の値段は一分(一両の四分の一)となっている。

 一番富、いわゆる突き止めが千両の設定だからなぁ、とは思うものの、違和感を抱くのも当然の値段。
 
 一両の現在価値は時代によっても違うが、私が文化・文政の頃の貨幣価値として便宜的に使っている一両=十二万円で計算すると、一分は三万円。
 だから、富くじが登場する落語を聞いていて、「一分・・・いくら・・・高い!?」と思った方は多いと思う。

 私も最初は、そう思っていた。

 だが、実は、そんな高い富札ばかりではないのであったのだよ。

 この件は、NHK木曜時代劇「まんまこと」が始まり、原作を読んでいるうちに、良いきっかけをもらった気がして、書いてみようと思った次第。

 しかし、まずは、別の本からの引用。

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 「まんまこと」に登場する町名主や同心、岡っ引のことについて書いた記事で引用した、川崎房五郎著『江戸八百八町-史実にみる政治と社会』から引用する。

 富札の値段は、享保のころ金一分(一両の四分の一)などというのがあったらしいが、文化、文政の富くじ全盛のころには、ずっと大衆的な安い値段だった。寺社によってまちまちだが、一枚一朱(一分の四分の一)とか二朱、あるいは二匁五分とか一匁八分などといろいろあった。もっとも高いと裏長屋の連中には到底買いきれないので、富札を売る人が元札をあずかり、四人とか五人で組んで仮受取を出しておき、当ったら山わけなどというみみっちいのもあった。
 明和以降、この富札を寺社から委託されて売る商人ができ、文化、文政から天保にかけて、江戸市中各所に小屋がけをして富札を売る店が増加した。店をもたずに売って歩く人々もかなりできたほどであるが、値段は少しもうけて売ったらしい。

 だから、落語に出てくる富くじは、江戸時代でももっとも高かった富札の値段を採用しているわけだ。
 落語や大衆芸能、江戸の文化の爛熟期と言われる文化・文政(化政)の頃、一般的には富札一枚は一朱から二朱であることが多かったのだ。

 また、化政期には多くの寺社で盛んになり、ほぼ毎日のように富興行が開催されたと言われる。
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畠中恵著『こいわすれ』(文春文庫)

 畠中恵の「まんまこと」シリーズ、文庫の三作目となる『こいわすれ』の「鬼神のお告げ」から引用する。
 著者は、化政期を背景に本書を書いているのだろう、富札は一枚二朱となっている。

 湯島の鎮守、湯島天満宮の境内は、押しかけた数多の人々の興奮とい喧噪で、熱を帯びていた。月の十六日は天満宮にて、富くじ興行が行われる日であった。
 今回の湯島天満宮の富くじは、突き止めの最も高い当たりが、六百両という高額なものだ。それ以外にも、当たり札は多く出る。最初の当たり、初一番錐の札は、百五十両と決まっていた。他にも十両、二十両など、様々な額の金子が、当たり富に与えられる事になっていて、善男男女の夢をかき立てていた。
 富突きを行う理由として、天満宮は、修繕資金調達の為とか、神社が気の毒な子供らを助ける為とか、もっともな理由を語っている。だが、善男男女が興味を示しているのは、己の暮らしを変える程の金子であった。
「ああ、みんな当たる気満々だねえ。顔つきが違うよ」
 人混みで半分潰されそうになりながら、楽しげにそう口にしたのは、江戸は神田の町名主、高橋家の息子、麻之助であった。隣では悪友兼親友、そして町名主である八木清十郎が、やはり伸し烏賊の親戚と化している。
「全く酷い混みようだ。ああ、息ができない」
 富突きの場は怖い。押され揉まれて帯が解かれてしまうとか、髪が崩れる、袖がちぎれるなどという話を、当たり前のように聞くのだ。だからおなごは無理して、前へ来ない事が多い。

 この後、麻之助と清十郎は、天満宮の奥、富と突く場所の真ん前へとたどり着く。
 そして、次のように続く。

 富札は、結構高いものであった。今回は一枚二朱、一両の八分の一もの値がしたのだ。しかし、それでは買えぬ者も多い。だからか割り札という代物があり、麻之助や清十郎が今日手にしているのも、それであった。木札を預かった札屋が、分割して売りに出すもので、半割り札や四割り札がある。
「四割り札なら、一枚二百文もしないからね」
 それでも安くない。ないがその値であれば、一人で富札一枚を買えぬ者達も、こうして天満宮へ押しかけ、夢の端に連なることが出来るのだ。

 町名主でさえも、割り札という‘みみっちい’ことをしてまで、富くじを楽しみたかったのだねぇ。ただし、‘みみっちい’という形容は、ちょっと可哀想かもしれない(^^)

 現在でも、会社の仲間同士でお金を出し合って宝くじを買う人もいるようだが、これは割り札の伝統に由来するものと言えるだろう。

 以前に、江戸時代の貨幣価値について記事を書いた。
2015年6月12日のブログ

 江戸時代における貨幣価値は、時期により変動している。
 前回の記事で、ある本から、次のような時代による金・銀・銭のレートの相違を紹介した。

 慶長十四年(1609)
  金一両=銀五十匁=銭四貫文(四千文)
 元禄十三年(1700)
  金一両=銀六十匁=銭四貫文
 天保十三年(1842)
  金一両=銀六十匁=銭六貫五百文  

 江戸時代後期、一両は六千文から六千四百文位の間で変動したようだが、六千文の期間が長かったと言われている。
 以前の記事でも書いたが、私は、文化・文政を中心とする時代の為替を、

  一両(=四分=十六朱)=銀六十匁=銭六千文=現在価値にして12万円

 としておく。

 二朱は6000÷8で、七百五十文となる。
 よって、四割り札(四分の一)なら、麻之助が言う「二百文もしない」という言葉と辻褄が合うわけだ。
 二朱は120,000÷8で一万五千円、四割り札は、その四分の一なので三千七百五十円。

 これなら、夢を買う代金として、麻之助でも出せる範囲だったのだろう。

 ここまで書いてきて、落語愛好家としてのもう一人の自分は、
 「富札が一分だろうが一朱だろうが、落語の内容としては、どっちでもいいだろう!?」
 という声を発している。
 もちろん、そうなのだ。
 富くじが登場する落語のネタは、噺の内容全体として楽しむことができれば良いので、細かなことは、知らなくても支障はないだろう。
 たしかに、富札一枚が一分の頃もあったのだから、象徴的に値段の高い設定とした富札を買っているからこそ、僥倖に恵まれることが劇的になる。また、富くじを軸にしているものの、味わいの違う噺それぞれに魅力がある。

 とは言え、ともう一人の江戸大好きな自分は言う。
 時代小説や時代劇などで、より江戸庶民や武士などの世界を知ることで、結果として、落語の世界を補足するような情報を得ることができ、相乗的に、小説も落語も楽しむことができるのではなかろうか。

 なんとも、八方美人なサゲになったなぁ。


Commented by at 2015-08-06 07:15 x
おっしゃる通りです。
背景を正確に知ったうえで、噺は噺として楽しむ。
二方面の対応がいいですね。

先代桂文楽の「富久」は落語の面白さを教えてくれます。
焼けたと思っていた富札が実はお宮の中に・・・
その前後の久蔵の描写の見事さ。
Commented by kogotokoubei at 2015-08-06 08:45
>福さんへ

江戸時代をやみくもに礼賛するわけではないのですが、今の時代との対比で、どうしても昔の江戸にあったはずの人情の機微、庶民の相互扶助といったことに思いが至ります。
『富久』は、文楽、志ん生、可楽の音源を持っていますが、それぞれの味わいがあって、どれも好きです。
Commented by 寿限無 at 2015-08-06 13:16 x
いつも楽しく拝見いたしております。
おっしゃる通り、千両富というのは珍しく、文政から天保にかけて五百両以上の富はなくなってしまいました。だいたい百五十両か百両富が一番多かったそうです。富札の値段は、享保の頃の千両富で一分だすから高価なものだったのですね。次第に富の興行が盛んになると値段も下がって二朱のものが多くなっていったのは、仰せのとおりです。この場合の一番富は百五十両だったのではないでしょうか。そのうちの一割を奉納するのが決まりだったようです。これは落語の中にも出てきますよね。その後、天保13年に富興行が禁止になり、江戸庶民の一獲千金の夢はなくなってしまったそうです。
Commented by kogotokoubei at 2015-08-06 13:35
>寿限無さんへ

お立ち寄り、誠にありがとうございます。
紹介した本の中では、一番富が六百両の設定です。
実は、『宿屋の富』の二番富が当たる、と言っていた男と違い、一番富が当たった男は、当たり札を事前に知っていたのですよ。
その予言(?)を巡って物語があるのですが、今後放送されるかと思うので、秘密にします(^^)
天保になって禁止される件にも、ある夫婦の物語が背景にあるようですね。

今日は「まんまこと」がないので、寂しいです。
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by kogotokoubei | 2015-08-05 21:21 | 江戸関連 | Trackback | Comments(4)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛