噺の話

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落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

“落語家として生きた”三笑亭夢丸のご冥福を祈る。

三笑亭夢丸が旅立った。落語芸術協会のサイトから、少し長くなるが訃報を引用したい。
 *このブログの常で、敬称は略します。
落語芸術協会サイトの該当記事

訃報 三笑亭夢丸

平成27年3月7日(土)午前5時40分
当協会理事の三笑亭夢丸(本名:坂田宏 さかたひろし)が中咽頭癌のため、
都内の病院にて逝去しました。享年69

≪略歴≫
昭和20年10月4日生まれ (出身地 神奈川県横浜市)
昭和39年 三笑亭夢楽に入門「三笑亭夢八」となる
昭和42年 二ツ目に昇進
昭和53年 真打昇進「三笑亭夢丸」となる

若い頃からマスコミで活躍していましたが(主な出演番組、NHK 連想ゲーム、日本テレビ 笑点/ルックルックこんにちは、讀売テレビ 11PM、TBS 街角パラダイス、フジテレビ 3時のあなた、テレビ朝日 アフタヌーンショー、他)、50代半ば過ぎ、自主的にテレビ出演を控えるようになり、落語家としての活動に精力的に取り組むようになりました。それだけにとどまらず、新しい落語の展開を求め自ら懸賞金を出し、『21世紀夢丸新江戸噺し』の台本を全国から募集、寄席の主任を務める際には受賞作を口演するなど、落語の普及向上に寄与しました。
得意演目は「親子酒」「ねずみ」「辰巳の辻占」、新江戸噺しでは「えんぜる」「小桜」「椿の喧嘩」など。

平成22年に発症した中咽頭癌の治療を終え寛解、平成26年2月下席、浅草演芸ホールの主任を務めるまで回復しましたが、同年3月下席の4日目、のどの不調から以後の出演を取りやめ再度治療を受けることとなり、以来療養中でした。
平成26年3月29日、千葉県長慶寺での高座が最後の高座となりました。演目「看板のピン」
平成16年から当協会の理事を務め、長きにわたり協会の指導役としても活躍しました。

すでに決定している弟子の朝夢(小夢と改名)、夢吉(二代目夢丸を襲名)の真打昇進披露興行が5月上席から行われますが、その愛弟子の晴れの舞台を目前にした逝去でした。

 上記記事でも書かれているが、私は、この人をテレビで知った。一時は、結構凄い人気だった。あちらこちらのチャンネルで拝見したように思う。
 あの頃は、師匠の夢楽も、たまにテレビには出ていたなぁ。
 現在のように、一山いくら、という位にお笑い芸人がいる時代ではなかったので、噺家さんも、テレビの出番は多かったのだろう。

 夢丸は、軽妙な語りとさわやかさで、各テレビ局から重宝されていたと察するが、タレントとしての姿のみならず、五十台半ばから落語に注力し、立派な弟子も育成してきたことも記憶されて良いと思う。

 二年前の今時分の頃、3月2日の池袋で、私にとって最初で最後の高座に接することができた。
2013年3月3日のブログ

 その時の記事を、紹介したい。
三笑亭夢丸『短命』 (24分)
 テレビで馴染みのある人だが、久し振りだ。生の高座は初である。マクラで本人が語るように、団十郎より本人の方が年上でガンの手術をして、僥倖で高座に出ることができる、とのこと。しかし、手術の影響もあり、声が十分に出ない。少し空気が漏れる、そんな感じなのだが、高座にかける意気込みは十分に伝わった。
 弟子の夢花が主任を務める寄席でスケに出たい、という言葉、楽屋で夢花はどんな思いで聴いていただろうか。

 この日、総領弟子の夢花は、師匠の前に上がって『長屋の花見』を演じていた。

 その後、夢花が主任の寄席でスケ(助演)に出たいという思いが叶ったのかどうかは、不勉強で知らない。

 この日は、全体として五代目古今亭今輔トリビュート的な内容となり、その年のマイベスト十席に選んだ寿輔の『ラーメン屋』が実に良かったことが、強く記憶に残っている。

 夢丸の高座を聴いた時、あのネタのサゲのように、ぜひ長命であって欲しいと祈ったものだ。
 弟子夢花のスケに出たい、という言葉に、少し目が潤んだような気がする。

 夢丸には、次の四人の弟子がいる。
  三笑亭夢花
  三代目東生亭世楽
  三笑亭朝夢(真打昇進を機に小夢を襲名)
  三笑亭夢吉(真打昇進を機に二代目夢丸を襲名)

 世楽は、元は桂枝助の弟子で、枝助没後に夢丸門下になった人。

 この五月には、四人の弟子が揃って真打。これは、決して小さい一門とは言えない。
 特に、二代目を襲名することになった夢吉は、落語愛好家の中での評価も高い。私はようやく昨年初めて聴いたが、実に将来が楽しみな人だ。オフィスエムズさんが、長らく一之輔との二人会を開催している。

 五月、二人の弟子の同時真打昇進という目出度い披露興行には、残念ながら、師匠の姿はない。しかし、存命中に、二代目を決めることができたのが、せめてもの救いのように思う。

 先週末7日の赤坂での落語会、小痴楽は、マクラで、夢吉にお世話になっているということを語り、真打昇進で二代目夢丸を襲名することも話題にしていたのだが、師匠の訃報についてはふれなかったなぁ。末広亭から駆けつけて来たようなので、まだ耳にしていなかったのか、あるいは、知っていたが、あえて口にしなかったのか・・・・・・。

 テレビ出演を控えて始めた「夢丸新江戸噺し」の受賞作の一部が、ホームページに掲載されていた。
 そこには、当時の「東京かわら版」編集長大友浩のコメントが載っていたので、引用したい。
三笑亭夢丸ホームページの該当ページ

■落語を愛する覚悟
 「一切のタレント活動をやめることにしました」
 三笑亭夢丸師から、そう聞かされて驚いた。テレビのレポーター役などで売れている夢丸師。その真 で誠実な人柄が、多くの視聴者に愛されていたのに。なんでまた…。
 「落語家として生きたくなったんです」
 言葉ははっきりと覚えてはいないが、そのような意味のことを言ったと思う。続けて「女房にも相談しました」とも言ったのだが、そのあたりがいかにも夢丸師らしい。
 その師から、「新作落語の募集をやりたいのだが、ぜひ協力してほしい。」と言われたときは、一も二もなく協力したいと申し上げた。けれども、実をいうと、心の中で幾分か警戒する気持ちも働いたのである。
 演じることのできる古典落語は、時代とともに少なくなっていく。だから、それを補うために新作落語を募集しよう…というのは、誰でも思いつくことなのだが、これがなかなかうまくいかないのである。それは、受賞作を口演する機会が限られてしまうからだ。この手の公募では、発表会で一度だけ口演されて二度と陽の目を見ることがない、というケースが少なくない。新作が古典という「共有財産」になるためには、繰り返し観客の前で演じることが絶対に必要な条件なのである。
 しかし、師の話を聞いてぼくはすっかり感動していしまった。曰く、募集は個人で行う(賞金も個人で出すことになる)。受賞作は、独演会で口演するが、その後も高座で演じていく。一年間は独占的に演じるが、それ以降は希望する後輩がいれば噺を教える。
 素晴らしい。これが実現できれば、受賞作は古典落語になっていくと思う。
 募集期間が始まると、師は時間がある限り何度も来社し、応募作に熱心に目を通していた。これだけでも、師の覚悟が生半可でないことがヒシヒシと伝わってくる。
 だから、本日の高座は間違いなく素晴らしいものになるはずだ。文字で書かれた言葉が、どのように生きた言葉となって師の口から紡ぎ出されるのか、大いに楽しみだ。
 蛇足。タレント活動をやめた夢丸師だが、趣味にしている釣りの番組だけは続けるという。なんだか嬉しくなるではないか。
『東京かわら版』編集長  大友 浩

 この公募、2001年から十年間続き、受賞作品が15作を数えたらしい。
 今では販売していないようだが、ワザオギから五枚組のCDもリリースされていた。
 不勉強で、私は聴いていない。

 紹介した文中の、「落語家として生きたくなったんです」、という言葉の重さを感じる。

 総領弟子の夢花の入門が平成5年、夢丸48歳。その後、朝夢入門の平成13年、夢吉入門の翌平成14年、世楽が門下に入った平成16年といった時期は、テレビの世界を離れ、「夢丸新江戸噺し」を続けていた時期に重なる。
 噺の発掘、弟子の育成に充実した落語家生活を送っていた時期なのだろう。

 そのままテレビの世界を中心にして、落語を副次的なものとする選択肢もあっただろう。経済的には、きっとそのほうが安定的な道であったのではなかろうか。
 しかし、「落語家」として生きる道を選び、新たな噺の発掘のため手弁当で公募企画を進め、並行して弟子も育成していた。

 あらためて夢丸の経歴を辿ってみて、「立派に、落語家として生きられましたね」と、言葉をかけたくなる。

 そして、弟子の噺家さん達には、「夢丸新江戸噺し」を、機会を見つけぜひ高座でかけて欲しいし、師匠の落語に賭けた情熱も、継承して欲しい。

 合掌。
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Commented by 雨休 at 2015-03-10 00:38 x
「江戸噺」の企画が持ち上がった時、私、かわら版でお仕事を
させていただいており、編集部にみえたときのことを何となく
覚えております。

アイボリー、立ち襟のジャケットにサングラス、
どうみても気質の風情でなく(失礼)、さりとて芸人然とした
風にも見えないスタイリッシュなその方は、グラスを外して
口を開けば確かに、ルックルックでおなじみのあの方でした。

企画がスタートして応募作品の封筒がデスクの引き出しを
埋めるようになりましたが、日々の入稿作業に追われていた
身としては、作品の保管・管理が精一杯、じっくりと目を通す
気持ちのゆとりがなく、その後しばしば来社されて新着の応募作に
目を通す師のお相手すら、日常業務にかまけておざなりになって
しまったような気がします。

しかしその中に、『椿の喧嘩』をはじめとして、
その後次々と世に出されることとなる「江戸噺」の数々が
含まれていたことを思うと、
あるひとつの芸が形作られていく場に居合わせた幸せと、
当時、その喜びを感じることのできなかった不明を恥じる
気持ちがないまぜになって心に浮かびます。

三笑亭夢丸、進取の気性に富む近年の三笑亭の芸脈をカッチリと
支えた才人でありました。

Commented by hippopon at 2015-03-10 06:14 x
ご冥福を祈ります。
ショックです。

Commented by 小言幸兵衛 at 2015-03-10 08:57 x
お久しぶりです。
そうですか、かわら版でお仕事されてましたか。

可楽-夢楽-夢丸という三笑亭の伝統を継承した、実に重要な架け橋役だったことが、あらためて分かります。
手弁当の企画を10年続ける、というのは大変なことですね。

弟子たちには、ぜひ「夢丸新江戸噺し」を演じる追悼落語会を開催して欲しいと思います。

Commented by 小言幸兵衛 at 2015-03-10 09:00 x
まだ早い、ですよね。
弟子の成長を見守りたかったでしょうし、ご自分も高座に上がりたかっただろうと思います。
人柄の良さが伝わる高座を一回でも聴くことができたのが、私には僥倖でした。

Commented by at 2015-03-11 07:00 x
ご冥福をお祈りいたします。
夢丸のように落語に対する強い愛情を持った人物によって、
落語は継承・発展してきたし、これからもしていく、そう信じたいと思います。

雨林さんの「あるひとつの芸が形作られていく場に居合わせた幸せと、
当時、その喜びを感じることのできなかった不明を恥じる気持ちがないまぜになって心に浮か」ぶ、というお話、感銘を受けました。

Commented by at 2015-03-11 07:03 x
雨休さんでしたね。
大変に失礼しました。

Commented by 小言幸兵衛 at 2015-03-11 08:54 x
三笑亭は、職業落語家の元祖である初代可楽からの長い伝統を誇る一門。
夢丸師の思いの中には、そんな一門の歴史への自負もあったのかもしれませんね。
アンツルさんが愛した七代目可楽、ジャズマンや多くの芸能人に熱狂的なファンがいた大師匠である八代目可楽、といった名前の系列にいる自分が、テレビタレントなどしてていいのか、という葛藤もあったのではないでしょうか。
このたびの訃報を目にして、落語の長い歴史にも、思いが至ります。

Commented by U太 at 2015-03-11 23:43 x
夢吉さんはその三笑亭の系譜を継ぐ存在になると思うので(他に当代可楽師の弟子の可龍師・可女次さんも)、今から寄席等の披露目が非常に楽しみな存在です。

一昨年の十月、浅草演芸ホールでの余一会「二ツ目バトル」に於いて、出場した夢吉さんの後見として出演した夢丸師匠が(高座は落語は演らずに漫談で終わりましたが)弟子の夢吉をどうかよろしく、という内容で(喉頭癌の事も有ったのでこの頃から「夢丸」継承の事を考えていたのかも)聴いていて思わず涙ぐんでしまった事を思い出しました。

Commented by 小言幸兵衛 at 2015-03-12 18:20 x
私も、なんとか真打昇進披露興行に行きたいと思っています。
夢吉は、あの語りのスピードが長所であり、短所にもなりえますが、基本はしっかり出来ていますし、いろんなネタに挑戦する姿勢なども実に良いと思います。
同じ越後出身の扇辰に負けない江戸弁が喋れるようになったら、もっと凄い噺家さんになるでしょうね。

Commented by YOSEYUKI at 2017-04-15 12:12 x
当代の三笑亭夢丸さんの事をヤフー検索していましたら、本ブログにたどりつきました。先代の夢丸師のことをしっかり取り上げているブログを読んだのは初めてで、大変感銘を受けました。文治目当てに寄席に通っていた15年ほど前の時期、中堅で大好きだったのが先代の夢丸師匠でした。夢丸の個人会で「夢丸新江戸噺」の第一回目のネタおろしにもいきました。そういえばその時の感想をメールで送りましたら師匠から、丁寧なご返事をいただきましたっけ。夢丸師が台本を募集して新作に挑んだのは、仲間や弟子たちの事も考えての事だったと思います。落語へ向き合う姿勢が素晴らしく、高座での姿が格好良かったです。「辰巳の辻占」「よいよい蕎麦」「看板のピン」「親子酒」などをよく寄席ではかけていらっしゃいました。トリでは後半は創作落語をかけていた事がおおかったようですが、古典では「ねずみ」「死神」を聞きました。特に「死神」のサゲは他の方と違うオリジナルだと思いますが(当代が引き継いでいるかは、知りませんが)最も好きな素晴らしいものです。最後に、当代についてですが、期待が大きいようです嬉しいです。大成してほしいし、いつか見に行かなければと思っています。
Commented by kogotokoubei at 2017-04-15 20:56
>YOSEYUKIさんへ

古い記事にまでお立ち寄りいただき、ありがとうございます。
私は、生の高座にぎりぎり間に合ったのですが、もっと早く聴くんだった、と反省しきりでした。
多くの生の高座に接する機会があったようで、羨ましい限りです。
テレビでタレントとして人気になると、なかなか落語家だけの姿に戻れなく人も多い中、先代夢丸は貴重な存在だと思います。
芸協の訃報は、協会による訃報の違いということでも印象的でした。
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by kogotokoubei | 2015-03-09 19:53 | 落語家 | Comments(11)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛