立川吉幸、一年間落語芸術協会で前座修業-「志ん輔日々是凡日」より。
2015年 02月 25日
古今亭志ん輔の日記風ブログ「志ん輔日々是凡日」の2月23日の記事に、吉幸が一年間は芸協で前座修業することになった、との記事を発見。
「志ん輔日々是凡日」の該当記事
志ん輔の元へ太鼓の稽古に来ているようだ。
そういうことだったのか。
これは、道理だろう。
もう一人の弟子、幸之進も、同じように前座修業なのだろう。
師匠の談幸は、すでに真打の一番下の香盤として位置づけられ、寄席などにも出演している。
談幸なら、寄席に出たい、という思いがかなえられれば、香盤など気にすることもないだろう。
ところが、二ツ目や前座の移籍(?)は、そう簡単にはいかない。
彼らは、寄席での前座修業をしていないので、協会の同じような経歴の噺家さんの香盤に位置づけるには、協会員からの反発もあろう。
特に、吉幸は経歴から真打昇進を目前にしているので、実に微妙な時期での入会。
一年間、寄席の楽屋でしっかり修業して、芸協の先輩たちに認められて、数年以内に晴れて真打に昇進して欲しい。
吉幸の寄席修業において、私は、志ん輔の存在は実に大きいと思う。
志ん輔本人から学ぶことも多いはずだし、たまごの会や神田連雀亭などにおける、両協会の二ツ目さんとの交流も得難いものだろう。
この試みは、今後、立川流や円楽一門会を脱退し東京の二つの協会に入る場合の一つの指針になるかもしれない。
もちろん、どんな経歴、実力、人気の噺家さんが移籍するのかによって対応は変わるだろうが、若手二ツ目にとっては、やはり寄席の前座修業は大事だし、受け入れる側も、そう思っているのは明白だ。
「太鼓も叩けないんじゃなぁ・・・・・・」と言われては、本人も辛いだろう。
また、噺をするにあたっても、笛や太鼓の素養は実に重要だ。
どんなキャリアの二ツ目さんでも、まず一年は寄席の前座修業を課す。そして、その内容をもとに、香盤を決める、ということになれば、一つの基準が出来る。
もちろん、立川流や円楽一門会の噺家さんについて、その師匠との過去の軋轢などから、入門を認めたくない両協会のベテランは、まだ多いかもしれない。
しかし、それは、時間が解決する部分もある。
そして、若手の移籍に関する難問も、一年間は前座修業、とすることで来る者と迎える者の双方が歩み寄れる可能性はある。
寄席に出たい、という談幸の思いから、一門の垣根をなくす動きが今後続くかもしれない。
しかし、定席は四つ、芸協はそのうち一つ出れないので三つ。
以前にも書いたが、少ない出演機会を増やすためにも、鈴本と芸協の雪解けを期待したいものだ。
2014年3月5日のブログ
すでに、神田連雀亭には、一門の壁など存在しない。
まずは、吉幸の芸協での立場が分かり、少しほっとした。
今後、吉幸には、良い意味で苦しみながら前座修業を務め、早ければ来年、遅くとも再来年真打に昇進することを期待している。
それにしても、これからの落語界にとって、志ん輔は、重要な役割を担っているような気がする。
落語協会や芸協、立川流に円楽一門会といった垣根を越え、前座や二ツ目という若手に目を向けて彼らの活躍の場を作るために手弁当で奮闘する人などは、他に見当たらないように思う。
談幸にも、一門を超えた交流があってこその芸協入会だったのだろう。
いわゆるグローバルな活動には異文化と上手に交流する必要がある。
落語という世界でも、元々は根が同じ同士。良い意味で一度離れて出来た異文化がふたたび交流して、良い刺激を与え合う時が来ているのかもしれない。
以前、小朝が垣根を超えた活動を試みたことはある。しかし、その試みは残念ながら継続性を持てなかった。
それとは別な切り口で、将来の落語という芸のことを考え、触媒役を担う人が志ん輔も含めて登場することで、この芸能の未来が明るくなるかもしれない。
吉幸のことを知って、そんなことも思うのだった。
余一会のみならず、他流試合を期待したいものです。
私は、鈴本の落語協会のみの顔づけに無理を感じます。
もう三十年になるんですから、まず、鈴本の芸協との和解なども含め、他流派交流の流れができると良いように思います。
二人のことを調べていたらこのブログにぶつかりました。
私自身のコメントもあったのには驚き、忘却とは忘れ去ることやなあ。
古い記事に再度のご訪問、ありがとうございます。
忘れることは、悪くないですね。
昔の自分に再会できるのですから^^
今松の座間で聴いた「家見舞い」を思い出します。
談幸の二人の弟子には、今後の成長を期待しています。
志ん輔も、そう願っているに違いありません。