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あらためて、恵方巻きのことや、節分のこと。

 節分の恵方巻きキャンペーンが定着しつつあり、テレビで恵方を向いて太巻きを食べているアナウンサーがいたりする・・・・・・。

 目くじら立てて反論するのも大人げないとは思いながら、この時期にコンビニのポスターなどを見ると、あまりいい気分にはなれない。

 古来からの歴史があり生活とも密着した風習がどんどん消えていくなかで、商売に結び付いた偽の風習がはびこるのが、私には不快なのだ。

 このいかがわしい新たな風習について、四年前の節分の記事と重複するが、あえて再度記したい。実は、二年前の節分にも引用しているので、一年おきに書いている^^
2011年2月3日のブログ
2013年2月3日のブログ

 私が、「恵方巻き」キャンペーンに異を唱えるのは理由がある。
(1)風習としての根拠が希薄でほとんど販促イベント
   江戸や明治の大阪や和歌山、滋賀などで、あるいは一説では栃木県で、節分に「恵方巻き」を食べるという風習があったようだが、その由来にも諸説あって、 非常に根拠が希薄。はっきりしているのは、1930年代以降に、大阪鮓商組合が 「節分の丸かぶり寿司」というチラシによるPRをしたこと。 そして2000年代になって、スーパーやコンビニ、寿司のファストフードの全国チェーンが、全国各地で、 「恵方巻き」を売り出した、ということ。
 流行したのは、根強い風習が復活したのではなく、あくまで大阪商法に端を発 し、大手スーパー、コンビニ、寿司ファストフードなどのキャンペーンの結果。
 ちなみに、私は学生時代に関西にいたが、「恵方巻き」なんて聞いたこともない。
 大阪出身の友人などに聞いても、子供時代にそんな習慣があったと言う人は皆無。
 あくまで、私の交遊範囲内ではあるが、関西でこの風習があったとして、非常にニッチなものだったはず。
  

(2)ご利益があるのは売る側だけ
   たとえば、“バレンタインデー”には、チョコレート屋を儲けさせるだけ、とか、ホワイトデーというわけの分からないオマケができた弊害もあるが、ご利益もある。
 なかなか普段自分の思いを打ち明けられない乙女 (今日では、そういう女性は少数派になってはきたが)にとって、この イベントに便乗して、普段は言えない思いを伝える、というご利益だ。
 また、“土用の鰻”は、少なくとも古人の知恵を踏まえており、暑い盛りに滋養を つけることができるだろうから、まんざら悪い風習でもない。だから、平賀源内が発案したというキャンペーンが定着するために大いに貢献はしているが、ご利益もあるのだ。しかし、丑の日に 限って食べることはないなぁ。
 ちなみに、私は、夏・冬の土用に、本来「土用蜆」と言われていた蜆を、なぜもっと産地がPRしないか、不思議でならない。
 さて、この「恵方巻き」だ。「信じる者は救われる」という言葉が出たら、何も言うことができないのだが、節分に食べてとりわけ栄養がつく、ということでもないし、ご利益があるのは販売サイドだけだろう。

 この思いは変わらないのだが、百歩譲って(?)、恵方巻きを認めるとしたら、それに併せて、過去の風習の話題も、ぜひ盛り上げて欲しいと思う。
 
 たとえば、なぜ節分に豆をまくか、などについてまで会話が弾むなら、それは結構なことだ。

 ということで、あらためて節分について。
 節分は、暦の雑節の一つ。
 
 雑節とは、五節句(供)・二十四節気以外の季節の変わり目を知る指標である。
 
 雑節には次のようなものがある。

 節分・彼岸・社日・八十八夜・入梅・半夏生・土用・二百十日・二百二十日

 この九つに、初午・三元(上元/旧暦1月15日・中元/旧暦7月15日・下元/旧暦10月15日)、盂蘭盆、大祓を加える場合もある。

 「暑さ寒さも彼岸まで」という言葉は、かろうじて今も生き延びている。

 初午は、今では落語でしか聞かない言葉になったような気がする。

 上元は、日本では小正月となって、ついこの前まで風習として残っていたのだが、今ではほとんど話題にもならない。
 付け加えると、なぜ旧暦1月15日を祝うかというと、その年最初に月が満ちるからである。新暦で小正月を祝おうにも、月はどうなっているものやら、なのである。

 中元は、中国仏教では先祖の霊の供養で盂蘭盆会を行うことから、日本のお盆につながっている。今では、「夏の元気な贈り物」の名として残った^^

 中国で先祖の霊を祀る下元に相当する行事は日本にはないが、この前後の日に、収獲を感謝する東日本中心に残る十日夜(とおかんや)、西日本地域の亥の子が、下元の日本的な風習と言えるかもしれない。
 
 土用は、今では夏の土用だけを話題にするが、本来は二十四節気の四立(立夏・立秋・立冬・立春)の直前約18日間ずつを言う。

 そして、節分は、季節の変わり目の前日のことであり、四立の前日は、すべて節分。しかし、江戸時代以降、立春の前日のみを指すようになったようだ。
 季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられていて、邪気を追い払うための悪霊ばらいの行事が行われる。邪気を追い払う、いわば“厄払い”の行事としての代表が「豆まき」。もちろん、落語にもある「厄払い」も同様の理由である。

 「厄払い」は、古くは節分の行事だった。立春から年が改まると考えられていたので、前日の節分の風習だったのだが、江戸時代中期から、大晦日や冬至などにも行われるようになった。

 ここ数日の落語会や寄席で、どれほどの噺家が『厄払い』をかけるかわからないが、ぜひ残してほしいネタだ。
 ちなみに、私は二年前の2月に三遊亭兼好、4年前1月に柳家小満ん、そして5年前1月に柳亭市馬で聴いている。

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矢野誠一 『新版 落語手帖』

 落語の‘広辞苑’とでも言うべき、矢野誠一さんの『新版 落語手帖』から『厄払い』の口上をご紹介。

「ああら、めでたいなめでたいな、今晩今宵のご祝儀に、目出たきことにて払おうなら、まず一夜あければ元朝の、門に松竹しめ飾り、床にだいだい鏡餅、蓬莱山に舞い遊ぶ、鶴は千年、亀は万年、東方朔は八千歳、浦島太郎は三千年、三浦の大介百六ツ、この三長年が集りて、酒盛りいたす折からに、悪魔外道がとんで出て、さまたげなさんとするところを、この厄払いがかいつかみ、西の海への思えども、蓬莱山のことなれば、須弥山のほうへサラリ、サラリ」


 ご覧のように、めでたい言葉を連ねて厄を払おう、という風習。与太郎さんが覚えるのは大変なのだ^^

 恵方に関して言うなら、落語には『恵方詣り』別名『山号寺号』があるが、お知りになりたい方は、四年前の記事をごご覧のほどを。


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神崎宣武著『旬の日本文化』(角川ソフィア文庫)
 
 岡山宇佐八幡神社宮司で民俗学者、神崎宣武著『旬の日本文化』から、引用したい。
 
 まず、季節のかわり目の‘お祓い’について。

 季節のかわり目(俗に節気といった)には、邪気がしのびこみやすいとして、さまざまな祓い(払い)の行事が発達をみたが、その節気はところによりさまざまあった。よく知られるのが節供であり、五節供(人日・上巳・端午・七夕・重陽)のほかにも、八朔(八月一日)を節供に数えるところもあった。それに夏越(なごし)(六月晦日)や年越し(十二月晦日)も節気として、祓いをする習俗を伝える。中国伝来のもうひとつの暦法である「二十四節気」にしたがえば、年間には二十三のかわり目があることになる。ということで、四つの節分までをも加えるのは、あまりにも煩瑣であったから省きがちにもなったのだろう。
 さらに、仏教の追儺(ついな)の行事が、この節分に重なったことで広く年中行事化をみたのである。



 ということで、追儺のことを含め、節分の説明が続く。

 節分の祓いは、「豆撒き」に象徴される。
 節分の豆撒きは、いまや全国的に共通の行事となっている。「鬼は外、福は内」の唱えごとも共通している。
 現在に伝わる節分の豆撒きは、二つの異なる系統の行事が複合したものなのである。
 ひとつは、中国から伝来の「追儺」。もとは、陰陽道の除夜行事であった。そこで疫鬼(やっき)を退治する模擬演技を「鬼やらい」といった。
 それが、宮中から仏寺に広まり、現在の節分会につながる。その過程で、鬼やらいは、豆撒きとなった。豆を石つぶてに見立てた、とも解釈できる。また、穀霊をもって悪霊を封じる、とも解釈できる。
 もうひとつの流れは、先述した「節気祓い」の伝統。仏教や陰陽道の伝来以前からの土着の行事、とみればよい。
季節のかわり目に悪霊がしのびこんで災禍をもたらすことを祓う(払う)行事である。端午の節句でのヨモギとショウブの軒差しや、夏越の祓いの茅の輪くぐりと同様のまじない、とすればよい。



 たかが豆撒きといっても、実は、その奥は深いのである。
 そして、「節気祓い」の風習は、豆撒きだけではないことが、説明されている。

 節分では、ヒイラギの枝にイワシの頭を刺して軒に差す風習が伝わる。それに、豆がらやトベラ、タラの小枝などを添えることもある。それは、イワシが放つ悪臭やヒイラギ、トベラ、タラの鋭いトゲが鬼のきらいなものとされたからにほかならない。
 単にイワシの頭を用いるだけではない。イワシを丸ごと用いる例もあれば、いちど焼いたイワシを用いる例もある。イワシを焼くのは、異臭をより強調するため。また、それを玄関や勝手口で焼いて煙をたてるのも、そこから邪気悪霊が入り込むのを防ごうとするからである。イワシを焼くとき、呪文を唱える例も少なくない。それは、念には念を入れておまじないを行なおうとしてのこと。なお、「イワシの頭も信心から」という言葉は、この節分の魔除けのイワシにちなんでのことである。同様の理由から、ニンニク、ネギ、髪の毛などをぶら下げておくところもある。
 その節気祓いに、鬼やらいの豆打ちもとりいれられて今日に伝わるのである。


 ニンニクで邪気を払うなんてのは、吸血鬼対策とも共通する。

 「柊(ひいらぎ)イワシ」を軒に差す家なんて、今ではとんと見かけないなぁ。

 ここで思いついた。

 魚屋さんと手を組んで、「節分にはイワシを食べよう!」キャンペーンを組んだらどうだろう。
 
 これなら、古来のお祓いの風習を踏んでいる‘由緒正しい’伝統の復活にもなるはず。

 しかし、誰も、そんな‘臭い’話には乗ってこないか^^
Commented by 佐平次 at 2015-02-04 13:20 x
あの海苔巻を食う姿、みっともないヤネ。
豆まきとか鰯とか、貧乏人にも出来る行事がいいです。
太巻きの豪華版とかチョコレートとか金持ちの遊びは嫌です。

Commented by 小言幸兵衛 at 2015-02-04 13:36 x
テレビで、恵方を向いて必死に食べている人を見ましたが、愚の骨頂とはあのことですね。
一万円の太巻きなんてぇのもあるようですが、いやはやなんとも。
今日は立春で、テレビの天気予報では、「暦の上では春」を連発していますが、旧暦では12月16日、ようやく寒さの底を脱して、これから少しづつ春めいてくる始まりの日。明日は雪とのこと。
立春から、いきなり春にはならないのですが、わかってない!

Commented by hippopon at 2015-02-04 21:04 x
こんばんは
私は稲荷寿司と鰯を頂きました。
豆まきは小さな声で、、
風邪が治りそうで嬉しいのと、春の予感
その節に、、

Commented by 小言幸兵衛 at 2015-02-04 21:13 x
鰯とは、流石です!
実は、昨夜の我が家は連れ合いが海苔巻きを作っておりました^^
お風邪が治りそうで良かったですね。
今日は立春。
テレビを見て、またムラムラしたので、何か書こうかと思っています。

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by kogotokoubei | 2015-02-03 00:15 | 年中行事 | Trackback | Comments(4)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛