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「花燃ゆ」は、もう結構-「風の峠~銀漢の賦~」を楽しもう!

 NHK大河「花燃ゆ」については、もう小言を書くのも嫌になった。

 録画を見る人も多い今日、視聴率は実態を反映するものとしてあてにならないし、その番組の‘質’は視聴率では測れないと思うが、低迷する視聴率を見るに、根っからの時代劇ファンの多くがこの大河を見ていないということは言えるだろう。

 吉田松陰の妹、それも情報が少ない杉文という女性を主役としていることが時代劇ファンが敬遠する理由という指摘も当たってはいるが、本質的な問題は、それだけではないだろう。

 歴史上の有名な人物が登場してもしなくても、その物語に歴史の荒波の中でもがき苦しむ‘人間’がしっかり描かれていれば、見る者は惹き付けられる。その‘人間’は、その時代の空気の中で、初めてリアリティを獲得するはずだ。もし、‘嘘っぽさ’が数多く見受けられると、その‘人間’も、現実感を失ってくる。

 そういう意味で、「花燃ゆ」という‘幕末ホームドラマ’‘幕末学園ドラマ’には、幕末の変動期に生きる‘人間’が描かれていない。
 
 ありそうもないことを、あまりにも多く見せられてしまうのだ。

 たとえば第三回で、夜中に文が玄瑞を引っ張って海に黒船を見に行くという演出のどこに、リアリティがあるのか・・・・・・。

 また、小田村伊之助に嫁いだ文の姉、寿(ひさ)が、夫が多忙でせっかくつくった食事をしっかり食べてくれないことで夫に苦情を言う場面があるが、これも考えにくい。ドラマでは江戸藩邸詰めで東上する前後の時期の夫婦の会話だったので、当時の伊之助は藩校明倫館の司典助役兼助講かと思う。藩でもっとも権威のある学校の教員であり、動乱期において藩の行く末を何かと考えなければならない立場にいるのが夫である。その仕事の邪魔をしてはならない、夫には従わなければいけないという、当時では当たり前の躾を寿は杉家でしっかり受けていたはずである。彼女が、今どきの若妻のような不平を夫に言うはずもない・・・・・・。

 「そりゃあないだろう?!」と思う場面がこう続いては、時代劇好きの視聴者が、どんどん離れていくのは道理である。


 長年の大河ファンや、根っからのの時代劇ファンは、しばらくは同じNHKでも「木曜時代劇」の「風の峠~銀漢の賦~」を見るに違いない。


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葉室麟著『銀漢の賦』

 葉室麟の『銀漢の賦』を原作とする六回連続のドラマの第一回を見たが、実に結構だったし、今後しばらく木曜日が楽しみになった。

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NHKサイトの「風の峠~銀漢の賦~」のページ

 NHKサイトの同ドラマのページから、原作者の言葉を紹介したい。

原作者のことば ・・・葉室麟

『銀漢の賦』を書いて一番、不思議だったのは「銀漢」という言葉だ。漢詩から選んだもので、初めて知った言葉だと書いている間は、思っていた。ところが、本にしてから高校時代の旧友に「あれって運動会の応援歌にあるよな」と言われた。その瞬間、

——銀漢、空に映ゆるとき

という歌詞が頭に甦った。高校生のころ、竹刀を持った応援団の先輩に怒鳴られながら歌った歌詞だったのだ。なぜこの言葉を小説で使ったのだろうか。

単純に言ってしまえば「銀漢の賦」は年老いた男が昔の友達を思い出す話だ。自分自身の過去をたどりつつ、小説を紡ぎ出す作業をしていたとき、青春とからみつく単語が不意に浮かび上がってきたのではないか。

言葉は人生の忘れられない場面とつながっている。そんな思いでテレビドラマを楽しませていただこう。友達を思い出して、少しだけ泣くかもしれない。

 葉室麟は『蜩ノ記』で直木賞を受賞しているが、その前にこの『銀漢の賦』で松本清張賞を受賞している。
 
 たしかに、原作は良質な推理小説の趣もあるが、男と男の骨太の友情を背景にした小説で、時代背景から遊離した軽薄な大河とは対照的だ。

 「花燃ゆ」が、‘ホームドラマ’‘学園ドラマ’と称しているのと、「風の峠-銀漢の賦-」の演出家が、喩ている対象の違いが印象的だ。

演出のことば「江戸版ディア・ハンター」・・・黛りんたろう

私の好きな映画のひとつに、「ディア・ハンター」があります。ご存知のように、ベトナム戦争の戦友たち三人の、哀切なる「その後」を描いた名作ですが、今回のドラマは、これに似た構造を持っています。かつて強い絆で結ばれていた三人の男たち。しかし歳月を経て、ひとりは政界の実力者に、ひとりは出世から見放なされた鉄砲衆に、そしてもうひとりは百姓一揆の首謀者に。運命は、百姓の命を奪い、それが元で、残されたふたりは「絶交」を余儀なくされる。おのれの「生」を生き切る場所を探すふたりは、やがて熱く友情を復活させる。・・・これは中村雅俊、柴田恭兵、両主役が「命の火花」を燃やす、とてつもなく過激な「男のラブスト—リー」です。


 実は、私も原作を読んだ時、「ディア・ハンター」をイメージしたのである。演出家と心情的に相通じるものを感じ、この文章を読んで結構嬉しかった。

 その時代の流れ、社会が求める制約などの中で、男と男の友情のあり方とはどういったものかを、「ディア・ハンター」でアメリカ映画が表現したものと、『銀漢の賦』で日本の時代小説作家が描こうとするものには、相通じるものが、間違いなく存在する。


 「風の峠-銀漢の賦-」の舞台は江戸時代、場所は架空の藩、月ヶ瀬藩。この藩は北九州のどこかで、唐津藩や鍋島藩、久留米有馬藩などの歴史や地理的な背景を融合した藩になっているようだ。

 第一回は、三人の登場人物の子供時代の交流が回想されていて、なかなか見どころがあった。
 また、子どもながらも父の敵討ちをしようとする岡本小弥太(後の松浦将監)と、小弥太を助太刀する日下部源五の姿、それを隠れて見つめる十蔵が描かれ、結果として、仇討の敵である鷲巣角兵衛は、小弥太の叔父藤森吉四郎に討たれ、吉四朗もその場で切腹。そして、小弥太の母も・・・・・・。

 蛇足ながら、平岳大ファンの方はがっかりしなくても結構、角兵衛の息子、清右衛門で再度登場する。角兵衛は、原作と比較すると、‘かぶき者’過ぎたように思うが、それも演出として面白い趣向と言えるだろう。

 第一回を見逃した方、再放送があります。
再放送:【総合】2015年1月21日(水) 午前2時45分~3時28分(火曜深夜)
※通常と再放送の時間が異なります。また、変更・休止となる可能性があります。
再放送:【BSプレミアム】2015年1月21日(水) 午後0時~0時43分


 第二回のあらすじをNHKサイトからご紹介。松浦将監の敵役となる側用人の山崎多聞が登場。

藩主が幕閣になれるよう奔走する側用人の山崎多聞(中村獅童)は、そのための施策をことごとく覆す家老・松浦将監(柴田恭兵)を亡き者にしようと日下部源五(中村雅俊)に目をつける。かつて親友だった源五と将監は、二十年前に共通の友で百姓の十蔵(高橋和也)が起こした一揆に対する考えの違いから絶交していた。暗殺命令を受けた源五に早速家老の郷中見回りの案内役が回って来る…。


 多聞から娘婿の津田伊織を通じて将監暗殺を依頼された源五が、将監の指名で藩中見回りの案内役をするようなので、このドラマのタイトルである‘風の峠’(原作では風越峠)での二人の重要な会話が描かれそうである。ちなみに、原作は、この峠に向かう二人の姿で始まっている。楽しみだ。

 原作を読んで感じた、あの時代の「男の友情」の姿を、このドラマでも感じることができそうだ。あの薄っぺらな大河では味わえない、‘大人の時代劇’を楽しみたい。
 
 実在の人物を登場させれば、それがリアリティのある時代劇、と思ったら大間違い。フィクションであっても、その時代を生きた人間はかくもあろう、その当時の男と男、そして男と女はこうだったのだろう、と思わせるのが、時代小説や時代劇の醍醐味である。

 最後に、ドラマの補足として。
 葉室麟の作品では、漢詩や万葉の句がよく登場する。
 原作では「銀漢」を説明する際に、蘇軾(蘇東坡)の漢詩が登場する。この詩が重要な意味を持っている。

 この漢詩、原作『銀漢の賦』で、次のように書かれている。(文庫158頁~159頁)

 源五が手にとって開いてみると立派な筆跡で

   暮雲収盡溢清寒 
   銀漢無聲轉玉盤
   此生此夜不長好
   明月明年何處看

 と書かれていた。宋第一の詩人と言われた蘇軾の「中秋月」という漢詩だった。

   暮雲(ぼうん)収め尽くして清寒(せいかん)溢れ
   銀漢(ぎんかん)声無く玉盤(ぎょくばん)を転ず
   此の生、此の夜、長くは好(よ)からず
   明月、明年、何れの処にて看ん

 日暮れ方、雲が無くなり、さわやかな涼気が満ち、銀河には玉の盆のような明月が音も無くのぼる。この楽しい人生、この楽しい夜も永久につづくわけではない。この明月を、明年はどこで眺めることだろう、という詩である。
(十蔵は、このように素養を積んでおったのか)
 -銀漢声無く玉盤を転ず
 とつぶやいた源五は昔、小弥太、十蔵とともに祇園神社に行き、夜空の星を見たことがあったと思い出した。
(あの時、小弥太がわしらに銀漢という言葉の意味を教えてくれたのであった)
 十蔵はその後もひそかに勉学を続けたのだ、と思うと源五の目から涙があふれた。


 登場人物の一人は、
 「銀漢とは天の川のことなのだろうが、頭に霜を置き、年齢を重ねた漢(おとこ)も銀漢かもしれんな」と語っている。

 私は、もちろんNHKの回し者ではないが、大河にがっくりの方、木曜の夜に‘漢’(おとこ)のドラマを楽しみましょう。


p.s.
鍵コメさんから、某サイトから引用した「中秋月」の現代語訳の誤りをご指摘いただいたので、同サイトの引用をやめ、葉室麟『銀漢の賦』からの引用に変更しました。
鍵コメさん、誠にありがとうございます。
Commented by YOO at 2015-01-20 00:18 x
ご無沙汰しております。
最近はほとんどドラマは見ておりませんので、今年の大河ドラマについてどうこういえませんが、メディアの裏でなにかの力が働いているのは間違いないと思います。
それとは違う話ですが、この年末年始、テレビでいやでも見せられたAKBやらなんたらの大人数の少女歌謡グループが、ある時から吉原の張り店に見えて仕方ないのです。
落語好きゆえかも知れませんが、そう思い始めると、はしゃいでいる彼女たちがなぜか可哀想に想えてくるのは、やはり病気でしょうか?

Commented by 小言幸兵衛 at 2015-01-20 08:48 x
お久しぶりです。
「AKB張り店説」ですか!?
なるほど。
コンテストで一番が「お職」ですね^^
秋元が女衒か・・・たしかに似た社会かもしれません。
しかし、その昔の花魁の方が、よっぽど教養は高かったかと思います。

私には「一山いくら」という、夕方のスーパーの野菜売り場のようなイメージがありますけどね。
本年もよろしくお願いします。

Commented by ひろ at 2015-01-26 11:53 x
初めて書き込みさせていただきます。
八年前に「銀漢の賦」を読んで以来の葉室ファンです。ハムリン先生は直木賞受賞作「蜩ノ記」より自作の中では「銀漢の賦」が一番好きだと言われています。今後のドラマ展開が楽しみです。

Commented by 小言幸兵衛 at 2015-01-26 13:37 x
お立ち寄りいただき、コメントまで頂戴し、誠にありがとうございます。

『蜩ノ記』は昨年映画になったようですが、未見です。
CSやBSで放送になってから見るかもしれませんが、配役が、どうも私の好みではないのです。
それに比べると今回の『銀漢の賦』は、キャスティングも悪くないと思います。
最後の峠の決闘場面まで、楽しめそうな気がします。

葉室麟が描く人間模様、私も好きです。

今後も、気軽に拙ブログにお立ち寄りください。

Commented by nori at 2015-02-12 20:58 x
初めまして
今日は最高に良かったです。
友達は,葉室の作品無双の花もドラマ化して欲しいと言ってます。
私は川あかり好きなんですが。

Commented by 小言幸兵衛 at 2015-02-13 08:58 x
お立寄りいただき、コメントまで頂戴し、誠にありがとうございます。

今夜も良かったですね。

黒岳の湯治場での二人の場面、泣けました。
原作が良くて、映像化するメンバーもよく考えていると思います。

どの作品かは分かりませんが、今後、葉室作品の映像化は間違いなく増えると思います。
藤沢周平の世界を継承できるのは、この人でしょう。
さぁ、来週は「決戦」(私の題目の予想はハズレました^^)が今から楽しみです。

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by kogotokoubei | 2015-01-19 00:55 | ドラマや時代劇 | Trackback | Comments(6)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛