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羽子板市は、歳の市の名残り。

年中行事といえる浅草寺の羽子板市が近い時期になると、恒例(?)で変わり羽子板の話題が登場する。
 東京新聞から引用。東京新聞の該当記事

ダメじゃない!?変わり羽子板
2014年12月3日 夕刊

 今年の話題の人をデザインした「変わり羽子板」八点が三日、東京都台東区の人形メーカー「久月」本社で披露された。テニスの全米オープンで準優勝した錦織圭(にしこりけい)選手や、「ダメよ~、ダメダメ」が流行語となりブレークしたお笑いコンビ日本エレキテル連合、ノーベル物理学賞受賞が決まった中村修二さんら三人の研究者がモデルに選ばれた。

 大相撲秋場所で大活躍した逸ノ城関や、映画「アナと雪の女王」の日本語版主題歌を歌ったMay J.さん、仁川アジア大会の競泳で四冠を獲得した萩野(はぎの)公介選手らもお目見え。職人が伝統的な「押絵」の技法で制作し、笑顔や真剣なまなざしなど特徴的な表情が描かれた。

 久月の横山久俊専務は「今年は各分野で活躍した人が出て、バラエティーに富んだ顔ぶれになった」と話した。

 七日まで久月本社で展示し、その後、来年二月にかけて横浜市や札幌市、福島県郡山市など各都市で順次一般公開する。今月十七~十九日までは東京・浅草寺の羽子板市で展示する。


 健さん羽子板、文太羽子板は、時期的に久月が作るのには間に合わなかっただろうなぁ。

 流行語大賞なるものも受賞したらしい 「ダメよ~、ダメダメ」のコント、私はまったく笑えない。
 もし、「安部政権、ダメよ~、ダメダメ」とか「集団的自衛権、ダメよ~、ダメダメ」などと言ってくれるのであれば、せいぜい応援したいが、あのコンビには、どうもそういった意識があるようには見えない。ネットでななめ読みしたが、売れない頃にいじめられた芸人のことを忘れない、とかなんとかテレビで言っていたらしい。そんな同じ穴のむじなに矛先を向けるのではなく、お上のダメさ加減に目を向けて欲しいものだ。これは、おしなべて今日のバラエティ番組の雛壇に並ぶ芸人に言えることだが・・・・・・。
 寄席の漫才は、結構社会派ネタが多いし、中には実に感心するものもある。テレビは安倍政権から恫喝も受けているので、政治性がすっかり抜けたまったくつまらないネタばかり。爆笑問題も、以前に比べるとおとなしくなった。

 あらためて、林家彦六や菅原文太が、実に貴重な存在に思えてならない。

 さて、羽子板市のこと。
 浅草寺のサイトに次のように説明があるように、羽子板市は毎年、12月17日~19日。「納めの観音ご縁日」をはさんで行われる、「歳の市」の名残りとでも言える年中行事である。浅草寺のサイト
 

納めの観音ご縁日

 毎月18日は観音さまの「ご縁日」。特に12月の「納めの観音」は一年の締めくくりとして、より多くの参拝者が訪れます。
 江戸時代、毎年12月17・18日に正月用品や縁起物を売る店が境内に集まり「歳の市」と呼ばれ、それらを毎年この市で求めることを吉例とした人々で賑わう江戸随一の市としてその名が知れ渡っていました。

 現在この「歳の市」は、「羽子板市」としてその形をとどめています。 これは羽子板でつく「おい羽根」が害虫を食べる「トンボ」に似ているため、悪い虫がつかないとか、またそのかたい「豆」(むくろじ)の部分から「魔滅(まめ)」にあてられ魔除けになる、あるいは「マメに暮らせる」などの縁起を担ぎ、江戸後期のころから女子の誕生した家に羽子板を贈る風習ができました。これによって羽子板を正月の縁起物として「歳の市」で扱う店が増えていったからだと伝えられています。
 現在では「納めの観音ご縁日」の前後も含め、12月17~19日に「羽子板市」として境内に数十軒の羽子板の露店が軒を連ねます。
 また、この日より新年の福徳を祈願した「恵比寿大黒天御影(みえい)」や「縁起小判」も授与されます。


 なんと、その名もずばり、「浅草寺歳の市」というサイトがある。
「浅草寺歳の市」サイト

 かつては、正月用品や縁起物を売る‘歳の市’が主体。だから、「市ぁ負けた、注連(しめ)か飾りか橙(だいだい)か」という売り声は江戸っ子なら誰でも知っていたわけで、雲助が演じた『姫かたり』という落語のサゲにも使われたわけだ。

羽子板市は、歳の市の名残り。_e0337777_11114790.jpg

『合本 東京落語地図』(佐藤光房著、朝日文庫)

 先日、雲助の落語会の記事でも引用した『合本 東京落語地図』の「姫かたり」の章から、歳の市について書かれた部分を、少し紹介したい。ちなみに、この本は、昭和61年から平成3年にかけて、一年おきに朝日新聞の東京版に連載された内容を一冊にしたものである。

 「注連」は「しめ縄」。新年に門戸に張り、厄介が入るのを防ぐ。東京のしめ縄は特に優れているとされたが、いまでは江戸川区などにごく少数の作り手がいるだけ。材料のワラは、まだ稲が青いうちに刈る。
 「橙」はふぐのポン酢に欠かせない。正月の飾りに使う。
 十二月十八日は納めの観音の縁日。その前日の十七日と二日間、こうした正月の飾り物、年末年始用品などを売る店が並んだのが歳の市だ。江戸時代には雷門から蔵馬通りまで店が続いた。縁起物だから、必ず決まった店で買った。大店のだんなは家人やトビの頭、出入りの者を連れて行き、大きな荷を差し担いに(二人で)担がせ、帰りには料理屋で大盤振る舞いしたものだそうだ。

 江戸時代後期から羽子板市が出るようになった。女の子が生まれた家へ正月に羽子板を贈る風習からだ。いまは期間も十九日までの三日間になり、歳の市より羽子板市の方が通りがよくなってしまった。


 羽子板市が、歳の市の名残り、ということがよく分かる。

 本当に落語はよいものだと思う。一つの噺を通して、江戸や明治の風習、庶民の生活などを推し量ることができる。
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by kogotokoubei | 2014-12-04 07:26 | 江戸関連 | Trackback | Comments(0)

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by 小言幸兵衛