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柳家小満んの会 関内ホール(小ホール) 11月19日

九月の会に続き、関内での小満んの会へ行くことができた。
 
 ロビーで、さん坊の開口一番、『松竹梅』をモニターで見ながらコンビニで買ったおにぎりを食べ、その高座の後に会場へ。
 六割ほどの入りか。いつもこの位。もうちょっと入ってもいいと思うけどね。

 ネタ出しされていた小満んの三席について、演じられた順に感想などを記したい。

柳家小満ん『猪買い』 (27分 *18:47~)
 上方落語『池田の猪買い』の東京版、ということだろう、東京の噺家さんでは、たぶん初めて聴いた。
(旧暦)十月の最初の猪の日「玄猪(別名は猪の子)」に、昔は炬燵を出した、という慣習は初めて知った。他にも、「猪(しし)食った報い」という言葉は、猪は体に良くて「薬食い」とも言うので、本来は「猪食った温い」という説もある、などのマクラは、この人ならではのもの。こういうまくらは、好きだなぁ。
 本編は、上方の池田の代わりに、猪は大山で漁師の六太夫(ろくだゆう)が仕留めることになる。時代設定は明治から大正なのだろう、万世から電車に乗って出かけている。
 上方版のように、池田まで行く道中のバタバタで笑いをとる演出はない。大山には電車のおかげもあって、すぐに着く。漁師と男のやりとりの可笑しさが中心となる。ややリズムに乗りきれていないように感じたが、こういうネタを演じてくれるだけでも、嬉しい。

柳家小満ん『忍三重』 (35分)
 いったん下手に下がってから、再登場。めくりにこのネタが出ていたのは、意外だった。きっとトリネタだろう、と思っていたのだ。
 この噺は、二年前の10月に、人形町らくだ亭で初めて聴いた印象が強く残っている。非常ににスケールが大きいし、ドラマチックな噺で、今回も楽しみにしていた。
 この噺の筋書きが好きなので、二年前に書いた記事から、あらすじを短縮して再度紹介したい。
2012年10月23日のブログ
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<越前船の航路と出来事>
・柏崎   銀三郎・おその夫婦が密航。 → 後で発覚。
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・今町(現在の直江津) 善光寺の芸者、お蝶が乗船
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|     銀三郎・おその夫婦の密航が発覚し、船長から、「海に飛び込め」と脅されるの
|     を見て、お蝶姐さん、「可哀そうじゃないか」と、二人の船賃を払い助けてやる。     
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・糸魚川  荷を積むために、沖で二泊することになった。
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|     お蝶と夫婦は互いの身の上を語り合う。お蝶は信州善光寺の色街にいたが、
|     役者の嵐伝三郎に惚れて、芝居を打っている水橋(富山)まで行く途中。
|     放蕩したかつての若旦那の銀三郎と芸者だったおそのは、今じゃ売れない
|     旅役者と 三味線弾き。
|     二人は仕事がなく食べるもの にも事欠き、思い余って密航したという。
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・水橋  三人は下船。 水橋で芝居を打つ嵐伝三郎と再会を果たすお蝶。喜んだ伝三郎は、
      銀三郎を弟子に抱え、嵐伝助と命名。おそのも下座としてやとわれることとなった。


 ここまでが前半で、所要時間は14分だった。
 さて、約20分の後半は、次のような展開となる。
 
・天保の改革
 おりしも江戸で天保の改革があり、加賀前田藩の支藩である富山前田藩でも、
 芝居は 興行できなくなった。悩んだ伝三郎。「そうだ、江戸では芝居小屋を猿若町
 一ヵ所に集めることになったようだ。この際、江戸に出て役者として勝負してみようか」。
 お蝶も「そうおしな」と後押し。
 
・飛騨高山~日陰村
 江戸に出る旅の途中、飛騨高山を過ぎた日陰村で、お蝶は病に伏せる。
 しかし、お蝶は、伝三郎に「私は大丈夫だから、江戸に行っておくれ」と言う。
 伝助とおその夫婦には、「無事、伝三郎を送り届けてちょうだい」と頼む。
 江戸に向かう伝三郎。しかし、伝助とおそのは命の恩人であるお蝶を置いて
 江戸に行くことはできず高山に戻り、いわゆる「辻芝居」をして投げ銭を稼ぎ、
 日陰村の宿で病に伏せるお蝶の宿賃や薬代に充てるのだが、雨が降った日
 には稼ぎもできず、困り果てたその時、伝助に名案が浮かんだ。

 夫婦の会話。
  伝助  こうなったら、泥棒でもするしかねえな。
  おその 何言ってんだよ、お前さん。
  伝助  本物の泥棒じゃあねえ。こういうことだ。
  と伝助はおそのに自分の計画を打ち明ける。

・魚七
 さて、舞台はは高山の老舗料理家「魚七」。日が暮れ、泥棒装束となった伝助が
 魚七に忍びこむのだが、効果音として、おそのの「忍三重」(別名「ひぐらし三重」)
 の三味の音が響く。その音を聴いた魚七の店の者が騒ぎ出すが、主人は「静かに。
 皆、隠れて見るんだ」と、家の中で様子をうかがう。 この主人が、粋なのだ。
 さて、台所に忍び込んだ伝助。「有識 鎌倉山」の泥棒の場面よろしく、鍋の蓋を
 取ると、鱈の煮つけ。 「ありがてぃ、かっちけねぇ。奪い取ったる鱈の煮つけ」と
 科白を語ると、隠れていた主人から、「大根役者!」の声。主が明かりをつけて
 伝助を見て、「おや、辻芝居をしていた人だね。どうして、こんなことを。何か訳が
 ありそうだ」と親切な言葉がかけられた。伝助は、病で伏せているお蝶のためである
 と打ち明ける。
 魚七の主、「よ~く、分かった。鱈の煮つけの他にも何かこしらえて祝儀も出そうじゃ
 ないか。もう一度、芝居を見せてくれ」とうれしい言葉。店の者を皆集めて、あらためて
 “出前”芝居が始まる。
 伝助とおその夫婦の恩返しの芝居、そして魚七の粋な計らいでお蝶も快復した、という
 「忍三重」というお噺、これにてお開き。
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 この日のあらすじも、もちろんこのような内容なのだが、いつもに増して言い間違い、言いよどみが多くて、リズムに乗れなかったなぁ。伝助を伝七と何度も間違えていて、聴いていて、少し辛かった。
 体調がもっと良い時に、あらためて聴きたい噺。

柳家小満ん『妾馬』 (38分 *~20:40)
 めくりに『八五郎出世』と書かれていたが、これこそ『妾馬』であろう。
 赤井御門守が、八五郎の妹おつるを見初める場面から、八五郎が侍に取り立てられて馬に乗るサゲまで、しっかりと演じてくれた。そのぶん、八五郎が殿様に御馳走される席で演じるやりとりが、少し短くなっている。酔って都都逸をがなることもない。
 しかし、それに代わる楽しい演出は、前半の母親おくら、である。八とおつるの母親が、なんとも元気。
 おくらさん、大家に向かって、「ほんとにいい大家さんだ、家賃の催促もしないし」などと言って大家を煙に巻く。多くの噺家さんが演じる短縮版では、母親を、実の孫なのに顔を見ることもできない、可愛そうな存在として描かれることが多いが、これだけしっかりした母の子供たちだから、世継ぎを生んで‘おつるの方’となり、その妹のあっせんもあって、‘石垣蟹右衛門’として侍になった、とも言えるだろう。
 こちらをトリネタにしたことが、通しで聴いて合点できた。

 終演後は、我らがりーダー佐平次さんと、県民ホールで行われた三三の会に来られていたI女史の三人で、居残り会。
 九月の会の後で、初めて行って大いに満足した、ホール近く、常盤町の料理屋さんDへ。この道四十年のお店。
 日向産のかわはぎの薄造りを肝でいただき、三陸赤崎産のカキのフライに舌鼓を打ちながら、落語談義に花が咲く。
 北の銘酒男山の徳利が、さて何本空いたものやら。もちろん、帰宅は日付変更線を超えたのであった。

 次の会は、関内ホールの改装工事のため、来年三月とのこと。あら、残念。 

 やや言い間違いなどがあったにせよ、あの三席を選んだ小満んは、粋だ。一席目は、上方落語を舞台を移して演じた旬な噺。二席目、自らが創ったスケールの大きなネタ。そして、滅多に通しで聴けない噺。
 だから、しばらく関内はお預けでも、お江戸日本橋亭など、他の会場での小満んの会を楽しみにしようか、などと思っている。
Commented by 喜洛庵上々 at 2014-11-20 18:27 x
『忍三重』、私も「らくだ亭」で聴いて感銘を受けたので、もう一度聴きたかったのですよ~、羨ましい。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-11-20 21:34 x
同感です。
でも、らくだ亭の高座には、ちょっと及びませんでした。
しかし、それは、我がままなのかもしれません^^
やはり、この噺は良いのです。

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by kogotokoubei | 2014-11-20 06:08 | 落語会 | Trackback | Comments(2)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛