高倉健の訃報から思う、いろいろ。
2014年 11月 19日
国民栄誉賞の文字まで見え出してきた。
私個人は、『網走番外地』シリーズの中の一作で、小学生の時に北海道の生まれ故郷がロケ地になり、兄がエキストラとして参加したり、当時住んでいた家の近くのバーも撮影に使われたりしたので、あのシリーズに関しては思い入れが深い。
学生になってから、名画座で、東映の主演作三本立てを見た記憶もある。
安保闘争の学生運動の時代は過ぎていたとはいえ、映画館を出る時には、健さんになったつもりで、肩をいからせて歩いたはずだ^^
訃報に接して、私はまず最初に、日本人と‘任侠’、とでもいうようなことを考えていた。
映画俳優高倉健の経歴から、『網走番外地』や『昭和残侠伝』『日本侠客伝』を、はずすことはできない。
それらは、間違いなく、アウトローを主人公とするものであり、番外地以外の2つのシリーズは、‘任侠’の世界、‘やくざ’の世界を舞台としている。
もちろん、高倉健という稀代の役者だからこそ、多くのファンを獲得したのであろう。
しかし、私は訃報に続くメディアの内容などを見て思ったのは、日本人は、深層心理として、‘任侠’の世界に対し好意的であるのではないか。もっと言えば、ある意味での憧れのようなものがあるのではないか、ということ。
映画というフィクションの世界の主人公に、自分が現実(ノンフィクションの世界)では到底できない姿をだぶらせて、一種のカタルシスを得るためには、できるだけ非日常の世界が舞台であるほうが効果的だ。
それは‘寅さん’であれば、「気ままに、風の向くまま旅をしたい」という思いが、全国を旅する寅次郎の姿への憧れになる。
では、‘健さん’の場合はどうなのか。実際はできるはずがないが、嫌な奴に、「死んでもらいます」、と健さんのように言いたい気持ちが、やはり間違いなくあるのだろう。だから、男気を通して、強きをくじき弱きを助ける健さんの銀幕での姿に、喝采を贈るのだ。何より、泣き言も言い訳も言わずに、耐えて耐えて、最後に敵を打ちのめす姿が、‘かっこいい’、のである。
これは、‘男として、こうありたい’という、一つの理想像であり、高倉健は、映画ファンに、その姿を見事に演じてきたのである。
そして、市民にとって任侠の世界は、非日常の世界であり、男のあり方を象徴的に描くことのできやすい舞台であった。いわば、かっこいい男、という‘夢’を与えることのできる世界だったと思う。
しかし、幡随員長兵衛に代表される‘任侠’の世界は、その集団が‘やくざ’と呼ばれ、その言葉が‘暴力団’となるにつれて、映画のフィクションの世界で楽しむ気持ちは長続きせず、ノンフィクションの世界に引き戻される。
俳優高倉健も、実録シリーズでは、とても、観客に夢を与えることはできないと思うから、東映を去ったのだろう。
この、‘任侠’から‘暴力団’までの間にある深い溝を、普段は考えることはほとんどないし、また、多くの人は考える必要がないだろう。
しかし、あえてこう書いたら、どう思うだろうか。
高倉健は、山口組三代目組長の田岡一雄に可愛がられていた。それは、美空ひばりほどではないが、実際に映画で田岡を演じる際に、田岡自身の激励も受けている。田岡が入院している時には、当時の妻、江利チエミと一緒に見舞ってもいる。
それは、かつての興行の世界において、暴力団の存在は不可欠とも言えたからである。
やくざと芸能界については、以前書いたことがあるので、ご興味のある方は、ご覧のほどを。
2011年10月10日のブログ
あの世界の人と触れ合うことで、高倉健は、被差別者としての苦悩を含めて、あの世界の人たちの実像に近づくことができただろう。
三年前に施行された「暴力団排除条例」に照らすと、高倉健も美空ひばりも、暴力団の「密接交際者」となる。
「暴力団排除条例」に関連しても、記事を書いたことがある。
2011年10月25日のブログ
その時も、猪野健治著『やくさと日本人』(ちくま文庫)から、いくつか引用した。
この本は、‘やくざ’に関して非常に得難い本である。他に、これだけ系統だっていて、かつ聞き込みによる生の声も含む実証的な本は、ないだろう。
‘やくざ’や‘任侠’ということを、正しく認識する上で、重要だと思うので、以前と同じ部分の引用になるが、ご容赦を願いたい。
三年前の「暴力団排除条例」に先立つことほぼ20年、平成4年に施行された「暴力団対策法(暴対法)」について、この文庫の「補遺 あとがきにかえて」(平成11年5月10日付)から引用したい。
やくざの社会特有の任侠思想は、歌舞伎、新派、大衆演劇、映画、文学など日本文化にはかり知れないほどの影響を与えてきた。したがってやくざ問題を抜本的に解決するには、否応なく日本文化や部落差別、民族差別にまで踏み込んだ、時間をかけての構造的な取り組みが必要である。
ところが、そうした取り組みはまったくなされないまま、警察庁は暴力団対策法(暴力団員による不当な行為の防止等に関する法律)の施行(平成四年三月一日)へ向けて突進した。
この法律が策定されてから成立までの最大の特徴は、異例のスピードで法文が決定、成立したこと及び、過去において権力がやくざを利用した事実の完全な無視、頬かむりである。そこに権力の意図がはっきり見えるわけで、暴力団対策法によってやくざを「暴力団」と法的に規定し、社会から隔離して、権力悪のツケのすべてを彼らに押しつけ、一挙に帳消しにしようとはかったのである。
しかし一片の法律で、約五百年の歴史を持つやくざを強引に封じ込めようとすれば、猛烈な副作用が起こるのは当然である。
三年前の記事では、この後に、その副作用の事例を引用して記載した。
では、暴対法から約20年後の「暴力団排除条例」は、いったいどんな効果、あるいは副作用があったのか、ということはこの記事の内容から逸れるので、別途考えることにする。
ただし、参考として、2012年1月に、一部のマスコミ関係者が、この法律に反対する会見を行ったことに関するBLOGOSの記事のURLを紹介するにとどめたい。
BLOGOSの該当記事
猪野健治の、‘やくざ問題を抜本的に解決するには、否応なく日本文化や部落差別、民族差別にまで踏み込んだ、時間をかけての構造的な取り組みが必要’という言葉は重要だ。
私は、数多くの任侠映画に出演した高倉健は、田岡一雄との交友なども含め、相当踏み込んだレベルで、あの世界のことを知り、考えてきたと思う。だから、差別に関する問題意識は、相当深かったと察する。
たとえば、高倉健が自らの強い思いから出演した映画と言われる『ホタル』。特攻隊の生き残りという役であったが、この映画の見どころは、特攻隊として散って行った在日朝鮮人の故郷を訪ねる旅である。被差別者の問題を取り上げる映画への高倉健の思いは、任侠の世界で生きる被差別者への思いと、根っこではつながっているように思えてならない。
そして、最後の作品『あなたへ』の台本には、3.11大震災後、気仙沼市でがれきの中を唇をかみしめて水を運ぶ少年の写真が貼られていたらしい。この少年が象徴する大震災の被災者だって、いわば、被差別者なのである。
この写真は、最後まで持っていたとのことなので、次の作品としてどんな映画を考えていたのかが、非常に興味深い。
任侠映画のスター高倉健のイメージに相違して、小田剛一という人は、酒を飲まなかったらしい。コーヒーを飲みながら、夜を徹して映画のことを語ることもあったと、『昭和残侠伝』以来の付き合いがあり、『ホタル』や『あなたへ』の監督の降旗康男が回想している。
その降旗康男のコメントによると、次回作は、『あなたへ』のスタッフによる、親子の物語の予定だったとのこと。
私は勝手に、きっと3.11に関連する作品ではなかったか。それは、俳優高倉健の強い思いをもとに、震災による被差別者に捧げる映画であったに違いない、と思っている。
合掌