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貴重な秋の上方落語、『まめだ』の直筆原稿発見!

昭和に作られた新作落語で、多くの噺家さんが演じることで古典となりつつあるネタは、いくつかある。

 上方落語で、その代表作の一つは、間違いなく『まめだ』だろう。
 「東京やなぎ句会」のメンバーでもあった三田純市が、桂米朝のために創作した噺だが、その直筆原稿が発見されたらしい。朝日の記事からご紹介。
朝日新聞の該当記事

落語名作「まめだ」の直筆原稿発見 桂米朝さんが初演
篠塚健一
2014年11月15日05時13分

 人間国宝の落語家桂米朝さん(89)が1966年に初演し、昭和生まれの古典落語となった「まめだ」の直筆原稿が見つかった。作家の故三田純市(みたじゅんいち、当時は純一)が同じ年に書いたとされる台本で、長らく行方がわからなかった。高座と比べることで、米朝さんの名演出ぶりも浮かび上がる貴重な資料だ。

 兵庫県尼崎市の米朝さん宅の資料整理を依頼されている小澤紘司さん(69)が9月18日に洋服箱の中にあるのを発見した。表紙に続き、400字詰め原稿用紙12枚にペンで記されている。銀杏(いちょう)の色づく秋の大阪・道頓堀界隈(かいわい)が舞台で、地元出身の三田が伝説に基づいて書いたと言われる。

 筋書きはこうだ。主人公の役者右三郎(うさぶろう)が帰宅中、イタズラをするまめだ(豆狸〈だぬき〉を指す大阪弁)をこらしめると、家の膏薬(こうやく)屋に見慣れぬ子が来ては貝殻に入った膏薬を買っていくようになった。その子が来ると売り上げに銀杏の葉が交じり、1銭足りない。やがて三津寺で体中に貝殻をつけたまめだの死骸が見つかる。右三郎は、まめだが化けていたことや膏薬のはり方がわからず命を落としたことを悟り、悔やむ——。

 高座に基づく「米朝落語全集 増補改訂版」(創元社)の「まめだ」と今回見つかった台本を比べると、米朝さんの施した繊細な工夫が読み取れる。

 物語の序盤、噺(はなし)の格調を高めるこの描写を入れた。

 「雨がしょぼしょぼ降ってきたんで、知り合いの芝居茶屋で傘を借りた。パラパラパラパラ番傘に雨の音。ええもんですなあ。時節はちょうど時雨の時期、秋です。人通りも、今のように賑(にぎ)やかなことはないんですが、太左衛門(たざえもん)橋を渡って、宗右衛門町(そえもんちょう)を通りすぎて、三津寺筋(みってらすじ)を西へとって……。カタカタ、カタカタと高下駄(たかげた)を履いて、雨の中を、借り傘をさして帰ってくる」

 主人公の右三郎が家に帰っていく場面。秋の美しい情景が目に浮かび、ぐっと季節感が深まる。一方、台本の記述は次のように淡々とつづられており、違った印象だ。

 「『降って来よったな。うっとしいな…秋口の雨というのはどうも陰気でいかんな』

 ボヤきながら太左ェ門橋を北へ渡って三津寺すじを西へ曲ります。なじみの芝居茶屋で借りた番傘を肩に心斎橋の手前まで来ますと」(原文のまま)

 三津寺の最後の場面も、巧妙に変えられていた。「サーッと風が吹いて銀杏の葉が一枚ヒラヒラとまめだの頭の所へ散りかかります」。それを見ていた右三郎の母親が「狸仲間から香典が届いた」というのが台本のサゲだ。

 米朝さんは「秋風がさーっと吹いてくる。銀杏の落葉が、はらはら、はらはら、はらはら、はらはらと、狸を埋(うず)めた上へ集まってきます」と幻想的に表現。さらにサゲを右三郎の言葉に変えて「お母はん、見てみ。……狸の仲間から、ぎょうさん香典が届いたがな」。悲しみの中にもより朗らかさを漂わせた。

 戦後、滅びかけた上方の古典に手を入れて再生してきた米朝さん。新作だった「まめだ」もまた、味のある原作に、米朝さん一流の名演出や脚色が加わってこそ、秋を描いたよき落語として今日まで引き継がれることになったのだろう。(篠塚健一)

  ◇

 〈三田純市(1923~94)〉 大阪・道頓堀の芝居茶屋に生まれた作家。著書「昭和上方笑芸史」で芸術選奨文部大臣賞。桂米朝さんや永六輔さんらとともに「東京やなぎ句会」のメンバーでもあった。


 なかなか良い出来事(?)だったと思う。しかし、当の米朝が再演するのは難しいだろうから、一門にぜひ継承していって欲しい。
 この噺、その一門の中で、もっとも米朝落語を正統に継承していると思われる桂米二が、三年前の内幸町ホールでの独演会で披露してくれたのを聴いている。
 
 落語愛好家仲間のYさんに誘われ、初めて米二の東京の会に行った際のネタの一つだった。
 その時の記事でも引用したが、米朝は、著書の中で、数少ない秋の噺としてこのネタを評価している。
2011年9月9日のブログ

 『米朝ばなし』(講談社文庫、昭和59年11月発行)からの引用。桂米朝著『米朝ばなし 上方落語地図』

 三田純市氏の新作で、十年余り前のものですが、道頓堀界隈に伝わる古いはなしをもとに作られたものです。だいたい東西ともに秋の落語が少ないので、三田さんのおかげで、非常にいい秋の落語が出来たことを、喜んでいます。


 そうなのだ。秋の噺は、意外に少ない。
 
 この噺は、三津寺(みってら)さんの銀杏の落ち葉、という季節感たっぷりな小道具が重要な役割を果たす。
 傘が急に重くなったのは、まめだの悪さのせいだろうと思った右三郎が、傘を差したままでトンボを切ったために地面にたたきつけられ傷を負った、まめだ。人間の子供に化けて銀杏の葉を金に変え、右三郎の母のところへ膏薬を買いに行く。膏薬の中身を紙や布に延ばして付けるべきところを、貝殻の容器に入ったまま体にべたべた付けていたため傷は治らず、残念ながら亡くなる。自分のせいで、まめだが亡くなったことに気付いた右三郎が弔ってあげようとしたところ、まめだの死骸の周囲に、三津寺さんの銀杏の落葉がたくさん落ちてきてた。
 それを見た右三郎が母に向かって、「お母はん、見てみ。……狸の仲間から、ぎょうさん香典が届いたがな」でサゲ。

 季節感といい、サゲの出来栄えといい、私は非常に良い噺だと思う。
 
 原稿発見を機に、米朝一門のみならず多くの上方の噺家さんに演じて欲しい旬のネタであり、できれば誰か東京の噺家さんにも東京版に改作して聴かせて欲しいと思う。東京の落語も、『目黒のさんま』のほかに、典型的な秋の噺というのは少ないのだよ。

p.s.
コメントでmyonさんから、露の新治も『まめだ』を演じるとの情報をいただいた。
後になって思い出したが、私が行けなかった9月21日(日)の内幸町ホールの独演会、三席のうちのひとつがこの噺だったのだ・・・・・・。落語愛好家の皆さんのブログを見て、悔しい思いをしたものだった。
そのうち、ぜひ聴きたいものである。
Commented by myon at 2014-11-17 15:42 x
こんにちは。
本文第二段落、「まえだ」となってます。
取り急ぎ、お知らせまで。

Commented by myon at 2014-11-17 17:02 x
いつも楽しく拝読しております。
「まめだ」、いい噺ですね。大分以前、米朝師で何度か聴いています。
近頃は、露の新治さんも時折かけておられます。桂千朝師に稽古していただいたとか、私はまだ聴いておりませんが。
東西問わず、大事にしていただきたいネタですね。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-11-17 17:17 x
コメントありがとうございます。

露の新治も『まめだ』を演りますか。
それは、ぜひ聴いてみたいものです。
米二を聴いてからは、まったく聴く機会がないので、この記事を読んで米朝の音源を聴こうと思っていました。

myonさんのブログは、引っ越しされたんですね。
また、ちょくちょくお邪魔いたします^^

『まめだ』は、ぜひ東京の噺家さんにも挑戦してもらいたいネタです。
紅葉の名所は、東京にもありますからね。
喬太郎あたりが演ってくれないものか、と思っていますが、どうかな。
今後も気軽にお立ち寄りください。

Commented by ほめ・く at 2014-11-18 16:53 x
『まめだ』は今年9月、内幸町ホールで開かれた「露の新治独演会」のトリで演じました(アレ幸兵衛さん、おられなかったですか?)。秋の季節にはピッタリで、最後のサゲには少しジーンと来るような素晴らしい出来でした。以前聞いた『権兵衛狸』もそうでしたが、新治はこういう民話風の噺も上手いですね。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-11-18 17:30 x
そうなんです、9月の独演会は行っていないのです。
日曜日は恒例のテニスおよびアフター・テニス(飲み会です)のため、落語会には行けないのですよ。
大雪の2月の会のチケットは、落語愛好家のお仲間にお譲りしたのです。
ほめ・くさんや佐平次さんのブログを読んで、歯ぎしりしていたのでした^^
これまた日曜開催だった成瀬のお寺の会でも演じたようです。
良かったんでしょうね、間違いなく(奥歯を噛みしめながら書いています)

「日曜は、だめよ」男です・・・・・・。

Commented by 山茶花 at 2015-01-12 16:46 x
「まめだ」の事も書いて居られたのですね。

この噺、子供向けの昔話みたいで好きです。米朝師がお元気な頃、何度か生で聞きましたし、米二さん他一門の方、米朝一門以外では桂春之輔さんでも聞いた事があります。春之輔さんの噺を一緒に観に行った友人は、最後涙ぐんだと言っていました。

http://www.nicovideo.jp/watch/sm12312719
都んぼ改め米紫さんが演じておられる「まめだ」がニコ動にありました。

三田純一氏は、ご存命の頃よく演芸番組のゲストやコンテストでの審査員で出て居られました。今時のR-1の審査員等と違って(といっても、R-1を見た事がないが)、重鎮の審査員でした。

「まめだ」は、ご存じの様に笑いが少ない噺です。せいぜい「不思議ななぁ」程度。しかもラストが悲しい。以前繁昌亭で春之輔さんが演じられた時、笑う場面でも無いのに笑っている観客がいて、興ざめだった記憶があります。落語を聴きに行くのだから、笑いに行くというつもりで、最初から口を開けて待っているのでしょうね。作家の中島らもさんが以前そういう事をエッセイに書いておられました。ご自分の劇団で「こどもの一生」というホラー芝居を上演したのは、それが理由だとか。

「まめだ」は、描写がとても美しい。雨が降る様子、イチョウの葉が風で吹き寄せられるシーン。芝居小屋が並んでいて賑やかな道頓堀の様子が浮かびます。

落語はつくづく一人芝居だと感じますね。米朝師は役者でもあり、名演出家でもあったのでしょう。サゲの部分を作者の三田氏が書かれたお母はんの台詞を息子の台詞に変えた。

子供の絵本に出来そうなお話です。幼稚園で紙芝居にしても良いでしょうね。私は「饅頭怖い」を幼稚園の紙芝居で見たのが最初でした。落語入門にも良いでしょう。

Commented by 小言幸兵衛 at 2015-01-12 17:22 x
三田純市さんは、その名も『上方落語』の編集や、上方芸能に関する名著を遺してくれていますね。

『まめだ』は、舞台を東京に替えても演じて欲しいネタなのですが、まだこちらの噺家さんで演じる人はいないのではないでしょうか。
米朝師匠と縁のある誰かに、ぜひ継承して欲しいものです。

ゲラゲラ笑うばかりが落語ではないのですが、笑いの少ないネタは、噺家さんも“儲からない”という考えもあり敬遠するようです。
独演会で三席のうちの一席、そういう場合には秋にうってつけだと思うんですがね。

春之輔に米紫、ですか。
いろいろ貴重な上方情報、いつもありがとうございます。
今後もよろしくお願いします。

Commented by 山茶花 at 2015-01-12 22:44 x
江戸落語で「まめだ」を演じられた人といえば、私が知っている限り一人。但し「ジャズの蘊蓄より、落語に精進して」と言いたくなるこぶ平改め林家正蔵です。

彼は、米朝師作の「一文笛」も演じていました。私は彼の生の舞台は、米團治襲名公演で「味噌豆」を観ています。が、話芸で笑わせたのではなく、元々この噺が面白いから笑っていた状態。

正蔵の「一文笛」と「まめだ」は、テレビで観ました。が、涙を誘うしんみりした噺なのに何か薄っぺらいんです。

正蔵(というより、こぶ蔵)は、ざこばさん(関西ではザコビッチと呼ばれています)から教わった様です。ザコビッチの一文笛は、ザコビッチ本人が演じている時に感情が入りすぎて泣いてしまう様な状態です。幼少期の事を思い出して泣けてしまうのだとか。こぶ蔵は、下町のお坊ちゃんだからそういう部分が薄っぺらい。

ザコビッチとの関係は、昨年亡くなったやしきたかじんさんで繋がっているのでしょう。姉の泰葉がたかじんと昔ラジオ番組を担当していましたから、たかじんの鞄持ちをしていたそうです。たかじんのTV番組にこぶ蔵も出演していて、その話もしていました。

ザコビッチが席亭の動楽亭には、江戸の落語家も遊びに来られるとか。ザコビッチは、江戸落語の人達とも交流がありますから、お江戸へ持っていってくれる人もいるかと思います。

Commented by 小言幸兵衛 at 2015-01-13 09:21 x
情報、誠にありがとうございます。
実は、なんとなく正蔵あたりには合いそうだ、と思っていたので、このコメントにびっくりです。
ザコビッチ、ですか!
私はざこばに関しては、その芸よりも、枝雀の支援者として、好きな人です。
たかじんは、正直あまり好きな人ではありませんでした。

正蔵、ジャズと海外ミステリーの薀蓄は、間違いなく落語よりレベルが上です^^

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by kogotokoubei | 2014-11-17 07:04 | 上方落語 | Trackback | Comments(9)

あっちに行ったりこっちに来たり、いろんなことを書きなぐっております。


by 小言幸兵衛