志ん朝 大須の「まくら」 (1)『井戸の茶碗』 1990年10月4日
2014年 10月 04日
音源の発売元である河出書房新社に、大須のまくらのみ集めた本を出してもらいたいくらいなのだが、中には全ては文字に残すことを憚れる内容もあるかもしれないと思う。結構、自由に語っているからね^^
『よってたかって古今亭志ん朝』の巻末資料を元に、大須での独演会の公演日と演目の一覧表を作った。
*印が、初CD化のネタである。
52歳から61歳までの10年間、大須で独演会を開いている。
あら、24年前の今日、10月4日に大須は始まっているんだぁ・・・・・・。
何かの縁を感じて、全ては無理だろうが、何席かまくらの書き起こしをしようか、と無謀なことを思い立ってしまった。
それでは、記念すべき大須の第一席目、『井戸の茶碗』のまくらを書き起こすことにしよう。ネタそのもののまくらの前、大須ならではの、構えないで自由な雰囲気でのまくらを再確認したいと思う。
一杯のお運びでありがたく御礼申し上げます。うー、ここの高座へ出演させていただくの、十年ぶりだそうでございます・・・私なんか、つい五~六年くらい前のことかと思っていましたが、月日の経つのは早いものでございます。昔っから「光陰矢のごとし」なんという言葉がありまして、これはどういう言葉かと言うと、光陰というものは、あぁ、矢のごとしだなぁ、という意味なんです。大変に難しい言葉でございますが、どんどんどんどん月日が経つ、どんどん世の中が変わっていくのに、変わらないのが我々の方の商売でございます。世の中にひとつ位こんなものがあってもいいんじゃないかと思っておりますが。
ご当地名古屋というところは、芸どころなんということを言われておりまして芸ごとが大変盛んだ・・・そうじゃないんだよ、芸に対して厳しいんだよ、なんと言うような意見、いろいろと伺いますけれども・・・まぁ、どっちに転んでもこういう所にどんどんお客様がお出でになってくれないと、困るんでございます。えぇ、ひとつよろしくお願いをいたします、ねぇ。
こういう所でもって、独演会をやらしていただけるなんというのは、私たちにとってこんなに嬉しいことは、ないんでございます、ええ。また、これからもまたみんな、ちょくちょく参りますから、どうぞ一つよろしくお願いします。
こうやって、一回でも関わりを持つうてっともう逃げ切れませんよ。知らん顔しようたってそうはいかないんです。皆さんの写真はきちんと、ちゃんと入り口で撮ってある。逃げようたって、そうはいかない。ねえ、だから、よろしくお願いをいたします。
うウ、やっぱり、こういう所でもって三日間独演会をやる、なんと言うと、こちらのほうの新聞なんかには、私先ほど出ている、というんで見せられてびっくりいたしました。かなりのスペースを割いて、古今亭志ん朝が来る、なんという、独演会、他にもいろんな方の名前が並んでたりなんかいたします。こういう記事は、東京では出ておりません。ねぇ、えぇ芸能ニュースに載ったりしないんです。だけど、こっちのほうでは流石で、嬉しいなと思いまして、その新聞をうちぃ持ち帰って、まぁ、かみさんにでも見せて、ねぇ、ひとつ驚ろかしてやろうと思ってますが・・・うウ、それ位のことをしないってぇと、人のことを馬鹿にしてしょうながない、ねぇ。
まぁ、なんですよ、こういうところでもって、馬鹿なことを言っているというのが、我々の方の商売。ただ、毎度お願いをいたしておりますが、どうかあまり真剣に聴かないでいただきたい。これでございます。もウ、なかには真剣に聴く方がずいぶんいるんですから、えぇ。古典芸能を鑑賞しようなんて。そういうもんじゃないんですよぉ。ねぇ。あんまり真剣に聴く方はねぇ、しどい方になるってぇとメモをとったりなんかしながらね、睨むようにして、こう、じぃーっと聴いてますよ。それほどのもんじゃない。ねぇ。うウ。
あんまり真剣に聴いてるってぇと、しまいに腹が立つんでしょうな。こんな気持ちじゃとてもうちには帰れないから、あいつに何か言い残していこうっなんてんで表で待ってます。怖いですよ、こういう方は。
表ですーっと出て行くと、
「きみ、きみぃ」
「何ンすか」
「今、聴いてました」
「ありがとうございます」
「どうして、ああいう馬鹿馬鹿しいことをしゃべるんだぁ!」
なんてなことを言われたりなんかして、かなりきつく抗議を受けることがありますな。
そうかと思うと、やっぱり表に待ってらして、こっちがすーっと出て行くと、
「今、聴いてましたよ」
「ありがとうございます」
「暇ですか」
「暇ですが、なにか」
「お食事を付き合っていただきたいんですが」
「ありがとうございます」
なんてんでお供して、割り勘なんて恐ろしいのがあるンですがぁ・・・。
いろんな方がいらっしゃいますから、ねぇ。
だいたい、ここあたりでまくらの半分過ぎ。約4分。
携帯音楽プレーヤーをスピーカーにつないで聴きながら、止めては書き、また戻ったりなんぞしながら書き起こすのだが、想像以上に大変だ^^
しかし、乗りかかった船、である。後半を続けよう。
よく、あの気のいいご婦人になるますってぇと、私たちのしゃべっていることに、いちいち頷いてくださる方がいらっしゃる。今でもいらっしゃいます。決して悪いことではございません。ありがたいんですよぉ、こっちの言うことに賛同していただけるんですから。こりゃあ、本当は嬉しいんです。嬉しいんですけど、結構、あれ、気になるもんでしてね。
こっちがなんか言うたんびに、「ウン、ウン、ウン、ウン・・・・・・」なんてんで。そうなると、どうしてもその方を中心に話しをする。今度は頷かない時には、「今言ったこと、気に入らなかったのかしら?」・・・ねぇ。
いろいろでございますが、どっちに転んでも、落語でございますんで、えぇ、まぁ、たいしたこたぁ、ないんですよ、ねぇ。 「じゃあ、いったいどういうもんなんだよ?」なんてんでぇ説明をしろと言われることがありますが、まぁ、難しいですねぇ。一言ではなかなか言えません。早い話が、なんと言うんでしょうか、暗闇ン中を手探りで歩いていて、うっかりオナラをしちゃった、というような、そんな芸でしょうな、えぇ。
自分じゃあ何したんだかわかんないんだけど、俺いまなんかしたかしら、なんてんでね、考えてるってえと、下からふーっと匂ってきたりなんかして、あぁ、屁だぁ、なんていう・・・。こういう芸でございます。
よろしくお願いをいたしますよ。えぇ、もうほんとに皆さま方が頼りで・・・よくこういうところにいらっしゃってね、つまらなそうな顔をしていらっしゃる方がいるんです。そりゃ、自由なんですよ、自由ですけど、こっちもちょっと気になりますから、ねぇ、 そういう方は終わってから後を追いかけてって、あぁ、この方だったなと思うから、
「どうして、あんなにおもしろくなさそうな顔してたんですか」
「いやぁ、どうもねぇ、ちょいとうちでおもしろくないことがあってねぇ、君たちに笑わしてもらおうと思って行ったんだが、やっぱりだめだった。うン、力不足だなぁ」
なんてぇなことを言われることがあるんですけど、それはまた、お考え違いでございまして、こういうところは治療院やなんかじゃないんですから、具合が悪い方を治そうてんじゃないんです、ねぇ。気分の悪い時なんというのは、どっちかってぇとお出でにならないほうがいいかもわかりません、ねぇ。こういう、なんと言うんでしょうか、頼りない芸というのは、皆様方の心の余裕にすがってやる芸ですから、えぇ。こりゃぁ、なんですよ、おもしろくない時に、冗談言われるってぇと腹立つでしょう。ねぇ、それとおんなじでございますから、えぇ。余裕を持って、ねぇ、あいつの噺を聴いてやろうじゃねえか、なんてんで、馬鹿なことを言ってやがる、ご覧よ、くだらねぇことを言って・・・いいなぁ、あいつは、えぇ、馬鹿馬鹿しくって、ハハ、可愛いい奴だよ、うン、いくらかやろうよ・・・そういう形をとっていただけると、いちばんありがたいんでございます。
うー、いろんな人間がおりますけども、どっちに転んでも、人間正直にこしたことはございませんで・・・・・・
ようやく(?)、ネタのまくらが始まったところ。
志ん朝が、このまくらを語っているのをぜひ想像していただき、お楽しみのほどを。
前半部分は、名古屋の落語愛好家に感謝し、そして、よいしょもしながら今後の来場もお願いしていることが、伝わってくる。
私は、メモをとって睨むように、という客の一人かもしれなぃ。反省しよう。
できるだけメモは少なくしようとは思っているけど、睨むように見ているかもしれないなぁ。
後半、落語という芸の喩えが、楽しいでしょう。おなら、ですよ^^
東京の伝統のあるホール落語会では、とても考えられないまくら。
さて、次は・・・・・・何にするか、またいつになるかは、お楽しみということで!
それにしても、この内容、河出書房新社に、著作権で訴えられるかなぁ。そのへんは、調べる必要がありそうだ。
法的に問題がありそうなら、この一回でお開きになるかもしれません^^