噺の話

kogotokoub.exblog.jp

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。

“ブーム”で思い出す、自分の漱石体験のことなど。

昨日より、我が家は連れ合いの越後長岡の実家で夏休みである。
 特別に(?)、昨日の高坂サービスエリアでのミミー(左)とユウの、「暑いぜ!」というツーショット。
e0337777_11125829.jpg


 関越自動車道の渋滞のピークは過ぎてはいたが、暑さのピークは続いていたなぁ。

 昨日の朝日に、古書店で漱石から子規へ宛てた手紙が発見されたというニュースがあった。朝日新聞の該当記事

漱石、病身の妻を思うこころ 子規への書簡に未発表句
中村真理子
2014年8月13日07時11分
 夏目漱石(1867~1916)が親友の俳人・正岡子規(1867~1902)にあてた書簡が、東京都内の古書店で見つかった。1897(明治30)年8月23日付で、俳句が9句書かれており、そのうち2句が未発表だった。漱石が妻を思う心情をつづった珍しい句で、専門家は「きわめて貴重な資料だ」と評価する。

 小金井市で古書店を営む蝦名則(えびなのり)さん(64)が、15年ほど前に大阪の古書店用の市場で入手、今年7月に書簡の山を整理していて漱石の署名に気づいた。国文学研究資料館の野網摩利子助教(漱石研究)や、岩波書店で漱石全集を長く担当した秋山豊さんの鑑定で真筆と判明し、未発表句が含まれていることも分かった。

 漱石は当時、熊本の第五高等学校の教授。野網さんによると、書簡の前夜に東京・根岸の子規庵で句会があり、夏休みで帰京していた漱石も参加していた。書簡の俳句は鎌倉が題材で、句会から一夜明けて新作を子規に届けたとみられる。

未発表の句は、「愚妻病気 心元(こころもと)なき故本日又(また)鎌倉に赴く」という前書きに続き、「京に二日また鎌倉の秋を憶(おも)ふ」。前年に結婚した妻鏡子は体調を崩し、この夏を鎌倉の別荘で療養していた。病身の妻を思いながら、東京から鎌倉に向かう心情を詠んでいる。

 野網さんは「病気の妻を見舞う漱石の思いがはっきりと込められている。親友だから吐露した心境だろう」と受け止める。

 未発表のもう1句は「円覚寺にて」の前書きがついて、「禅寺や只(ただ)秋立つと聞くからに」。円覚寺はのちの長編「門」に登場する。



 朝日には翻刻された手紙の全文が掲載されているので、こちらもご紹介。
朝日新聞の該当記事

 国文学研究資料館の野網摩利子助教が翻刻した夏目漱石から正岡子規への手紙の全文は次の通り。末尾の「愚陀佛庵(ぐだぶつあん)」が漱石の署名で、「升(のぼる)様」が子規を指す。

       ◇

昨夜は失禮(しつれい)致候(いたしそろ)塩原(しおばら)

温泉の出口にて碧梧(へきご)生(せい)の為(た)

めに腕車(わんしゃ)を雇ひ呉(く)れ候(そうろう)但(ただ)し

同車屋も大兄(たいけい)の御出入(おでいり)と見え

て賃銭は大兄より頂戴(ちょうだい)する

由(よし)申(もうし)居(おり)候(そうら)へども遂(つい)に手前より

拂(はら)ひ置(おき)候故(そうろうゆえ)間違(まちがい)なき様

申上候(もうしあげそろ)鎌倉の俳句大

受(うけ)にて恐悦の至(いたり)に存候(ぞんじそろ)

左に二三句行列為致候(なしいたさせそろ)

間(あいだ)御笑覧(ごしょうらん)可(被下)候(くださるべくそうろう)

  鶴岡八幡

 徘徊(はいかい)す蓮(はす)あるをもて朝な夕な

 白蓮(びゃくれん)に卑しからざる朱欄哉(しゅらんかな)

  帰源院(きげんいん)禅僧宗活(そうかつ)

  に對(たい)す

 其許(そこもと)は案山子(かかし)に似たる和尚哉

  同寺にて

 山寺に湯醒(ゆざめ)を悔(くゆ)る今日の秋

 佛性(ぶっしょう)は白き桔梗(ききょう)にこそあらめ

  初秋鎌倉に宿(しゅく)す

 行燈(あんどん)や短かゝりし夜の影

       ならず

  星の井戸

 影二つうつる夜あらん

          星の井戸

  円覚寺にて

 禅寺や只(ただ)秋立(あきた)つと聞くからに

愚妻病気 心元(こころもと)なき故(ゆえ)本日又(また)

鎌倉に赴く

 京に二日また

  鎌倉の秋を憶(おも)ふ

二十三日

           愚陀佛庵(ぐだぶつあん)升(のぼる)様

  研北



 「愚陀佛庵」という署名が、楽しいではないか。
 漱石の妻である夏目鏡子については、弟子の一部では悪妻という指摘もある。しかし、「坊ちゃん」に登場する主人公が慕う下女の名が清で、鏡子の本名がキヨであるため、清に妻への感謝の思いを重ねたという説もある。本当のところは漱石本人しか分からないだろう。鏡子の本(聞き書き)『漱石の思ひ出』の中で漱石、いや夏目金之助の恥ずべき一面も含め赤裸々になっており、ロンドン留学後に子供達に暴力を振るう姿などもあるので、そういった面を気にする人は、鏡子を良妻と考えないかもしれない。
 しかし、今回発見された子規への手紙で、少なくとも結婚後一年目においては、漱石には歌に託すほどの妻への愛情があったことが証明されたわけだ。

 また、漱石については、朝日に「こころ」が連載され、新潮文庫の同書は累計700万部突破、とのこと。
朝日新聞の該当記事

漱石「こころ」700万部突破
2014年8月1日05時00分

 100年ぶりに本紙朝刊で連載中の夏目漱石の小説「こころ」の新潮文庫版が、累計発行部数700万部を突破したと新潮社が31日、発表した。「こころ」の新潮文庫版は1952年に刊行。今年4月に連載が始まると、販売部数が連載前の2倍以上に急増し、この3カ月だけで10万部を増刷。30日に計186刷701万500部に達した。累計部数は同文庫の歴代1位。



 ちょっとした“漱石ブーム”なのかもしれない。
 書店にも漱石作品の文庫が平積みになっていたりする。夏休みの読書感想文需要を当て込んだのかと思ったが、「こころ」に限らず売れているのだろう。

 私が最初に漱石を読んだのが、中学時代のこの時期、夏休みだったことを思い出す。「こころ」だった。
 なぜ「こころ」だったのかは、よく思い出せないのだが、誰かが薦めたのか、姉が一人、兄が二人いたので、たまたま家の本棚にあったからかもしれない。
 私は、その後、高校にかけて漱石の全作品を読んだ。ほぼ旺文社文庫でだったと記憶する。もっとも読書が捗ったのは、運動部の練習や体育の授業で捻挫などの怪我をして、整骨院(ほねつぎ)に通院している待合室だった。だから、私の漱石の読書体験の思い出は、整骨院の待合室とつながっている^^

 なぜ、あんなに漱石に夢中になったのだろう。

 今になって当時の自分の心境を振り返ると、次のように言えるかもしれない。
 昭和30年代に生まれた私は、安保闘争には間に合わず、その後“レイトカマー(Late Comer)”などと言われる世代だが、戦前派でも、戦中派でも、戦後のベビーブーマーでもない、歴史的な背景として劇的要素のない、いわば中途半端な存在だった。物心ついた時に、東京オリンピックがあり、テレビが普及し、高度成長期真っ只中で育った。もちろん、前の世代に比べて経済的に恵まれていたのは事実で、贅沢は言えないのだが・・・・・・。

 小学生時代には、傷痍軍人の姿をまだ見ることがあったが、あの戦争については断片的な知識しかなく、戦前や昭和初期、そして大正、明治時代の生活や文化には、私はほとんど知識がなかった。あるとしても、それはあくまで歴史の教科書で表面的に年表をたどっただけであったように思う。江戸時代のことなどは、異国のことという印象だった。だから、今になって江戸時代が大好きになったのかなぁ^^

 昭和30年代から40年代は、その時点の生活が、それ以前より素晴らしいものと疑っていなかった。そして、あの戦争の前に関する情報が、なんとも希薄だったのである。言い方を替えると、昭和20年以前と以降を、私の中では“不連続”に感じていた。戦争とともに戦争以前をも忘れようという風潮があったのではないか、と思わないでもない。

 私は、そんな精神的な状況の時に、漱石に出会った。
 そして、“カルチャーショック”を受けた。同じ日本人の小説から、である。
 そこにある物語に、あの戦争の前にこんな素晴らしい社会や文化があったことに衝撃を受けた、と言ってもよい。 
 神楽坂の菊人形が目に浮かび、美しいマドンナの顔を想像したが、何より、自分が住む昭和の喧騒と、小説の中の時間の流れ方の違いや、人間の思考の深さがあまりにも差があること、テレビなどなくても、寄席や芝居などの娯楽が豊富であること、などなどが新鮮な驚きであった。

 「こころ」については、明治天皇の崩御、乃木希典の殉死という漱石自身が受けた心理的動揺が執筆の背景にあることは知ってはいたが、その展開のミステリアスなこともあり、少し怖い推理小説を読むような心境で読み進めたような気がする。

 しかし、後から「猫」や「坊ちゃん」、「草枕」「二百十日」「野分」「虞美人草」と発表順に読んでいくと、私には前半の漱石の作品の方が好ましく思えてきた。「三四郎」で三代目小さんに関する文章を読んだ時の興奮は、よく覚えている。すでに、ラジオで落語を聞くのが楽しみになっていた頃だったのだ。なかでも、志ん生、金馬はよく聴いた。
 「三四郎」のヒロイン里見美禰子が、しばらくは理想の女性像になり、作中で何度か彼女が口走る「ストレイシープ(迷える子羊)」が、未年生まれで牡羊座の自分にとって縁が深い言葉のように思えてならなかった。
 
 漱石の著作には、明らかな時代による色合いの違いがある。
Wikipediaから、中編・長編を執筆時期順に並べてみる。Wikipedia「夏目漱石」

・吾輩は猫である(1905年1月 - 1906年8月、『ホトトギス』/1905年10月 - 1907年5月、大倉書店・服部書店)
・坊っちゃん(1906年4月、『ホトトギス』/1907年、春陽堂刊『鶉籠』収録)
・草枕(1906年9月、『新小説』/『鶉籠』収録)
・二百十日(1906年10月、『中央公論』/『鶉籠』収録)
・野分(1907年1月、『ホトトギス』/1908年、春陽堂刊『草合』収録)
・虞美人草(1907年6月 - 10月、『朝日新聞』/1908年1月、春陽堂)
・坑夫(1908年1月 - 4月、『朝日新聞』/『草合』収録)
・三四郎(1908年9 - 12月、『朝日新聞』/1909年5月、春陽堂)
・それから(1909年6 - 10月、『朝日新聞』/1910年1月、春陽堂)
・門(1910年3月 - 6月、『朝日新聞』/1911年1月、春陽堂)
・彼岸過迄(1912年1月 - 4月、『朝日新聞』/1912年9月、春陽堂)
・行人(1912年12月 - 1913年11月、『朝日新聞』/1914年1月、大倉書店)
・こころ(1914年4月 - 8月、『朝日新聞』/1914年9月、岩波書店)
・道草(1915年6月 - 9月、『朝日新聞』/1915年10月、岩波書店)
・明暗(1916年5月 - 12月、『朝日新聞』/1917年1月、岩波書店)

 いわゆる三部作が、前期が「三四郎」「それから」「門」、後期は「彼岸過迄」「行人」「こころ」である。

 「門」を執筆中の明治43(1910)年6月に、「修善寺の大患」と言われる大吐血を経験したことが、その後の作品に影響した、と言われている。
 精神的な病に加え胃潰瘍の持病にも悩む晩年の作品の味わいを否定するわけではない。「則天去私」という言葉を、よく意味も知らずにノートに書き連ねたこともあったなぁ。

 しかし、あえて前半と後半の漱石の作品でどちらが好きかと問われれば、前半、ベスト3には「猫」「坊ちゃん」「三四郎」を挙げる。
 幼い頃から寄席に親しみ、子規との出会いによって俳諧の素養も開花させた漱石の遊び心、洒脱さが反映された初期の作品が好きだ。

 もしかすると、漱石は前半を滑稽噺、後半を人情噺の作家に徹したのか・・・・・・。

 「猫」に登場する『花色木綿』さながらの楽しい文章を含め、漱石と落語については以前に書いたので、ご興味のある方はご覧のほどを。  
2009年2月9日のブログ
 子規と寄席や落語のことについて書いた際にも、少し漱石のことに触れているので、こちらもよろしければ。
2009年12月22日のブログ

 例年のごとく越後で過ごす、盆休み。漱石の記事を読んで、四十年余り前の夏に漱石に耽った日を思い出していた。
[PR]
Commented by 佐平次 at 2014-08-15 09:46 x
出久根達郎の随筆集を読みました。
彼は「漱石いのち」なんですね。
本の装丁も漱石全集のオマージュです。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-08-15 11:06 x
出久根達郎は読んだことがないなぁ。
また、読まなきゃリストに名前が増えました^^
茶豆はようやく出回ってきて、持ち帰って家で食べます。
さて、またUターンラッシュに紛れ込んで帰らなきゃ。

Commented by at 2014-08-16 07:29 x
今、漱石の弟子の一人内田百閒を読んでいます。
対象との間合いが絶妙で、独特のユーモアを醸し出し、その随想は時折り落語めくこともあります。

何かの座談会で、漱石は自分にとって「絶対的な存在」だと断言したのを読んだ記憶があります。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-08-16 09:42 x
弟子に師匠の遊び心が継承されているということですよね。
内田百閒といえば、黒澤映画「まあだだよ」を思い出します。
明治22年生まれなので、志ん生の一つ上なんですよね。
芥川にも慕われていたと聞きます。
ほんの数冊しか読んでいないので、また、読まなきゃリストに名前が増えました^^

Commented by 佐平次 at 2014-08-16 10:50 x
福さん、横から失礼。
私は百閒と漱石の全集を持ってます。
漱石のは小さい版、百閒のは大きな持ち歩きのできないの。
読むときは文庫本を買って読んでます。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-08-16 19:45 x
私は、一冊で漱石全作品という電話帳みたいなのを持っていますが、読む時は文庫^^
「まあだだよ」における百閒のような先生、今は望むべくもないですね。

名前
URL
画像認証
削除用パスワード

※このブログはコメント承認制を適用しています。ブログの持ち主が承認するまでコメントは表示されません。

by kogotokoubei | 2014-08-14 09:18 | 幸兵衛の独り言 | Comments(6)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛