噺の話

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「盆前の借り太刀先で切抜ける」‐『大山詣り』が描く江戸の生活。

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 柳家小満んの何とも結構な独演会のトリネタで聴いた『大山詣り』だが、榎本滋民さんの『落語小劇場-下巻-』(三樹書房)の第一章に、この噺がある。

 概要解説にあたる「まくあい」から引用。

まくあい
 ほら熊による講中遭難報告から、女房連中に一斉剃髪までが山場だが、勇み手合いの活気にみちた道中、神奈川宿での騒動、翌朝の熊の驚きと怒り、大詰めの講中の敗北と、いささかもだれ場がなく変化にとむ名作。
 寄席芸人の経歴もあり、『大山道中膝栗毛』の作もある滑稽本作者瀧亭鯉丈(天保十二年没)の自作自演という説もあり、四代目円喬・四代目円蔵・三代目円馬・五代目円生・六代目円生という、三遊派のいなせな芸風の中で継承されてきた。女房連中に伝える悲報は、作りばなしと知っている聞き手までがつい引きこまれるような腕を必要とする。



 この噺は狂言の『六人僧』を原話とし滑稽本『耳嚢』などにも類話があるネタ、と解説している本が多いが、落語に仕立てたのは瀧亭鯉丈なのかもしれない。
 三遊派にこの噺を得意とする噺家さんが多かったのは事実だが、もちろん柳派が出来ない噺というわけではない。
 “人間国宝”小三治の音源を聴いたが、楽しい。冒頭に熊さんに釘を刺す場面もある。 

 榎本さんが指摘するように、場面転換も多いし、それぞれ聴かせどころがあるので、スピードがあってテンポが良い噺家さんの方が、この噺には合っていると思う。
 加えて、噺の舞台における時間と空間を聞き手にイメージさせる科白使いなども大事だ。
 たとえば志ん朝は、無事にお山が済んだ帰路、神奈川宿の場面に入る際、「神奈川宿から江戸までは七里」という一言が入るが、これだけで、「あっ、江戸までそんなに近いんだ」と分かる。こういうキーワードを忘れないことが重要ではなかろうか。

 榎本さんの本には、大山詣りに行く時期的な区分について、こう書かれている。

 六月二十六日から七月七日までを初山、八日から十三日までを間(あい)の山、十四日から十七日までを盆山。旧暦だから盛夏から初秋である。


 ちなみに、今年の旧暦七月十四日から十七日は、八月九日から十二日にあたる。

 小満んの会でいただいた、小さな可愛いプログラムには、次のようなことが書かれていた。
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 初山の始まりの日が榎本さんの本と違っているが、それは些細なこと。
 古川柳とその簡潔な解説が、実はプログラムには書かれていたのである。
 いいでしょう、こういう細かな配慮のある落語会って。

 榎本さんの本から補足する。出かける前の垢離場から。

 

両国橋東詰め(小石川関口にもあった)の垢離場で水垢離をとって精進潔斎する。
 罪障懺悔の唱えごとを一千回くり返すので千垢離というが、数を忘れないように緡(さし)を一本一本川に流す。よく流れるか渋滞するかで吉凶を占った。

 百度目のさしは目よりも高く上げ
 投げるさし十九本目に土左衛門
 屋根船の唄千垢離につぶされる
 清浄なへのこ南無帰命頂礼
 屋形を見まいおえるぞざんげざんげ
 

 涼み船の美女を見るな、へのこ(男根)がおえる(勃起する)とどなっているのだから、どんな野郎たちか想像できるだろう。
 上がると、伊達染めの浴衣か白い行衣の揃いで、納め太刀と称する七八寸から一丈あまりの木刀をかつぎ、いよいよ夜中に江戸を立つ。中には当時年二期(盆と暮れ)だった勘定の清算がつかず、借金とりを避けるために大山まいりに加わる者も多かった。

 盆前の借り太刀先で切り抜ける
 納まらぬ頭でかつぐ納め太刀 
 十四日抜き身を背負って夜道する
 所詮足りないと大山さして行き
 十四日末は野となれ山へ逃げ


 こういったことを知っていると、噺の楽しみが増える。

 榎本さんも小満んも、古典落語の背景にある江戸庶民の生活、文化、風習を古川柳などを含め知ることが、落語の楽しみをより深くするものであること、いいや、そういった落語が伝える生活を味わうことこそ本来の落語の楽しみ方であることを、よ~く知っているのだ。
 
 小三治の人間国宝ということに、落語会のチケットが取りにくくなるだろうというマイナス面もあるが、プラスももちろんあるだろう。
 それは、本来の落語の楽しさが奇をてらった現代風のくすぐりなどではなく、自然体でその噺の舞台である江戸や明治の庶民生活を描くことで、高座と客席が一体化した得がたい一期一会を共有することにある、というメッセージだと思いたい。
 そして、そういう大事な思いは、榎本さんの本からも強く伝わるものであり、小満ん、雲助などにも共有されているように思う。

 『大山詣り』という噺は、江戸時代の山岳信仰、それと表裏一体となった男の遊び、長屋の暮らしぶり、江戸っ子の心理、などなどが伝わる好きなネタの一つである。もちろん、旬を感じる噺でもある。ネタの表面的な演出や所作などだけではなく、そういったことを楽しめるからこその“古典”なのだと思う。

 榎本さんの本、サゲの部分を引用して、この記事もサゲとしたい。

 かみさん連中がくりくり坊主になるだけですんだのは、ほんとうにおけがなくっておめでたいことだった。熊公の報復は卑劣といえば卑劣だが、それを挑発した側にも集団暴力がないとはいえない。愚行の笑いの中で集団と個の問題を考えさせるような落語である。
 狂言の『六人僧』を原典とした上方落語『百人坊主』の移植だという説もあるが、背景と人物の適合性やはなしの運びの緻密さから見て、江戸系の創作と称して差す支えはないだろう。

 
 あら、最後に『六人僧』のことも書いてあるじゃないの。
 だから、本は落ち着いて読んでから引用しなけりゃならないのだよ。でも、修正はしない^^
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Commented by 佐平次 at 2014-07-19 10:47 x
一日おいて改めて小満んの「大山詣り」を楽しんでいます。
牛の反芻です。

Commented by 小言幸兵衛 at 2014-07-19 11:25 x
あら、胃が四つありましたね^^
時間がもっとあれば、きっと垢離場のことなども川柳を交えて話してくれたのではないかと思います。
しかし、開口一番からきっちり2時間の会、無駄に長い落語会も多い中で結構でしたね。

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by kogotokoubei | 2014-07-19 05:54 | 落語のネタ | Comments(2)

落語のことを中心に、ときたま小言や独り言。


by 小言幸兵衛